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私のビアンキ

 有名なイタリアの自転車メーカー、ビアンキのボルペというモデルだ。
 一見、ロードレーサーのようだが、ブレーキはMTBに使うカンチブレーキ(さまざな太さのタイヤに適応できる)だし、21段変速(フロント3×リア7)ギアもMTB用のものだ。したがって、スピ28593389_10ードはあまり出ないが、坂道を登るときは楽だ。
  ホイールベース(前輪の車軸と後輪の車軸までの長さ)もやや長めなので直進性が高く、のんびり走るのに向いている。ビアンキではクロスバイクとカテゴライズしている。ヨーロッパで盛んなシクロクロス(野山と一般道を走るレース)に用いるモデルなのだろうか。詳しいことはわからない。
ノーマルでは未舗装路走行に備えてタイヤもやや太めなのだが、私は舗装路しか走らないのでちょっと細いものに換えてある。ボルペは「キツネ」という意味だそうだ。

 もう十年近く前になるが、独特のフレームカラーが好きで、最初から「買うならビアンキの自転車」と決めていた。現在もこのモデルは継続されていて、リアのギアが9枚に増えて27段変速になっている。

  これで下関から広島(輪行といって、下関まで新幹線で行き、広島から新幹線で帰ってきた。自転車はばらしてバッグに収め、肩に担ぐ)、帯広から狩勝峠を越えて旭川(つまり、富良野~美瑛がメイン。帯広までは寝台列車とローカル線で行き、旭川からは空路で帰ってた)をサイクリングした。いずれも宿泊なのでテントを積まない軽装備サイクリングだ。

 今はもう長距離を走ることはなくなった(それだけの時間が取れない)。もっぱら実用とポタリング(日帰りの軽サイクリング)に使っている。そのため、泥よけ、サイドスタンド、フロントバッグ(軽食、カメラ、水彩画道具、地図、サイフなどを入れる))、ボトルフォルダー2個(1つはボトル用、1つはポンチョあるいは輪行用バッグの収納用)、サドルバッグ(パンク修理キット、工具)、ベル、ワイヤレス・メーター、バックミラー(ドロップハンドルのエンド部)を付けてある。サドルもオリジナルのものではない。痩せたお尻に合うサドルに出会うまで、ずいぶん散財した(笑)。

  オートバイから自転車に乗り換えると、まず音がしないことに驚く(人力なのだからあたりまえだが)。また、このクラスの自転車になると、本当によく走るので、自転車を見直してしまう。ママチャリとはまったく別の乗物と思っていい。
 もうひとつ明記しておくべきことがある。この自転車にきちんとした服装で乗っていると、後ろからクラクションを鳴らされることがない。

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ホセ・ラミレス

ホセ・ラミレスのエレガットを三カ月ぶりにケースから出した。弦がすっかり駄目になっていた(当然です)。いつも使っているアクイーラを張った。きらびやかないい音がする(あまりに人工的な音だと嫌う人もいるに違いない)。

タブ譜とにらめっこしながら、とつとつとボサノヴァを弾いた。指がなまっている。3カ月も弾いていなかったのだから仕方がない。毎日、少しずつでも弾くようにすればいいのだが、それがなかなかできない。

2cwe ホセ・ラミレスはギター製作者の堂々たる系譜につらなる銘柄で、クラシック・ギターの愛好家にはもちろん、エリック・クラプトンが使用したことでロック界にも知れわたっている。だが、私のはいわば普及品だ。しかも、ワンカッタウェイでマイク内蔵のエレガットというモデルだ。

5年前に中古で手に入れたので、つくられてから10年くらいは経っているだろう。木の乾燥具合もいいようだ。

国産の10万円クラスのギターを預かったことがある。とてもいい音がしたので、私にはそれで充分だと思った。普及品とはいえ私のラミレスはその3倍以上もする(新品ならの話。私のは中古だったので、そんなにはしなかったが)。分不相応もはなはだしい。

そう思いながら今度はラミレスを弾いた。一瞬、私は自分の腕が上がったのかと錯覚した。音の粒立ちがまったく違うのだ。国産のも確かにいい音がするし、弾きやすい。細工もラミレスより相当にいい(ラミレスは細部が荒い)。だが、ラミレスに比べるとはっきりと劣っていることがわかってしまい、愕然となった。

国産のギターは和音を弾いたときに「ひとかたまり」の音になる。これは「まとまりがいい」と評価することができるのかもしれない。一方、ラミレスは和音を弾いてもそれぞれの弦の音をちゃんと聴きわけることができる。たとえが悪いかもしれないが、国産のはご飯粒のかたまったチャーハン。ラミレスはご飯がぱらぱらと分離しているが、それでいてバサバサではないチャーハンといった感じ?

そんなわけで、猫に小判、豚に真珠とわかっているが、ラミレスを気に入っている。

私の場合、バンドのなかでギターを弾くことになる(別にバンドを組んでいるわけではないけど)。バンドのときはマイクを立て、ギターの音をアンプで増幅させる。つまり、マイク使用を前提にしているので、はじめからマイクを内蔵しているモデルを選んだ。アンプはエレアコ用のビンゴを使用している。

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スーパーカブの燃費

フロントスプロケットを交換後、初めての燃費計算をしてみた。196キロ走行して、3.25リットル給油したので、ざっとリッターあたり60キロということになる。ホンマかいな! 50CC並みですよ、これは。

フロントスプロケット交換前の平均燃費はリッターあたり43キロだった。こんなによくなるものだろうか。不思議だ。

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走りが軽やかに

昨夏、スーパーカブ90DXを入手した。原付2種なので、一般道では普通乗用車と同じ最高速度が出せる(原付1種、つまり50のバイクは30キロ制限)。

60キロ巡行時のエンジン回転数が高いような気がする。もう1段オーバートップがあればなあ、と思っていたら、リアスプロケット(後ろ歯車)を交換するといいという話を聞いた。

そこでノーマル39丁に対して36丁のリアスプロケットに交換した。
結果は上々だ。
発進時の加速が悪くなる不安があったが、90は馬力があるのでさほど悪影響はなく、むしろ軽くなった(1速、2速のギアでカバーできるスピードが上がったから)。

60キロ巡行時はエンジンにまだまだ余裕があるので、もう1~2丁落としてもいいかなあ、と思う。 ただ、ツーリング時には荷物を満載するし、峠越えもあるわけだから、これでようすを見ることにした。
おそらく燃費もぐっとよくなるはずだ。

ところで、リアスプロケットを3丁落とすのは、フロントスプロケットを1丁増やすのとほぼ同じことになるのだそうだ。
パーツ代、工賃を考えるとフロントスプロケットを交換するほうが少し安い。
ただし、微妙な調整をするなら、やはりリアスプロケットで試してみるほうがいいという。
今回はパーツ代&工賃(お店にやってもらった)で5020円だった。

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スーパーカブの今日性

 ツーリング専門誌アウトライダーに3回(vol10~12)にわたって「イーハトーヴォをスーパーカブで味わう」を連載した。岩手のそこかしこに残る宮澤賢治の足跡(そのごく一部だが)をスーパーカブでツーリングした紀行文だ。

これに対して、「なぜ、スーパーカブなのか」という声が寄せられた。アウトライダー本誌でも触れているので重複(ちょうふく)するが、改めて「なぜ、スーパーカブなのか」を考えてみたい。

 スーパーカブが誕生したのは今から半世紀も前のことだ。その当時、日本では自動車がまだ高嶺の花だったので、それに代わる乗物としてスーパーカブは大いに人気を博した(今、アジア諸国で当時の日本と同じ現象が起きている)。
 一家族あたりの自動車保有台数が自転車の保有台数を上回った現在、もうスーパーカブの時代ではなかろうと思うのに、実際にはまだまだ売れつづけているし、「新しい」と感じさせるものも持っている。

 いったい、なぜだろうか。

 スーパーカブは基本設計や外観こそ発売当時とあまり変わってないが、実はエンジンをはじめとして各部に先進技術が導入されている。その結果、スーパーカブの実用燃費は、自動車の流れと同じように走って一リッターあたり40キロから50キロにもなる。そのうえ車検もないし、任意保険も自動車のファミリー特約に加入できるので安く上がる。基本的な整備は自転車と同じ工具を使って自分でできる。駐車場代もかからない。しかも、耐久性が高くてなかなか壊れないから、寿命がとても長い。使い捨ての大量消費社会にあって、こういう工業製品は希有である。何かひとつ手にいれるとさらに別のものを、あるいはさらに大きなものを手に入れないと気がすまない。そういう欲望が現代社会を支えているなかにあって、スーパーカブという存在それ自体が、これに対するアンチテーゼでもある。

 このようにズバ抜けて経済的でエコロジカルなスーパーカブは、きわめて現代的な乗物といっていい。役割を終えたかのように見えるスーパーカブが今も売れつづけている理由はこの経済性と質実剛健さにあるのではないだろうか。

 実用一点張りのスーパーカブだが、これで北海道ツーリングや日本一周をなしとげている人たちもたくさんいる。つまり、ちょっとした冒険にも充分に応えるだけの能力を持っている。私自身、荷物を積んで種山ケ原にキャンプに行き、「けっこうやるじゃないか」と感心した。スーパーカブと過ごしていると「足るを知る」ということを教わる。

 ところで、スーパーカブには排気量50ccの原付一種と、90ccの原付二種があり、私のは後者である。前者は普通自動車免許を持っていれば乗ることができるものの、最高速度30キロと定められているし、二車線以上の交差点では二段階に分けて右折しなければならない。一方、後者は小型自動二輪免許を必要とするが、自動車と同じ最高速度で走れるし、もちろん交差点も自動車と同じように右折できる。ただし、高速道路や自動車専用道路は通行できない。

 カタログによれば、スーパーカブ50の燃費は、始動がキックのみで3段リターン変速機のスタンダードおよびデラックスがリッターあたり130キロ。セルモーターを装備し、その分重量が増加しているにもかかわらず4段リターン変速機を持つカスタムがリッターあたり(なんと!)146キロとなっている。
 で、スーパーカブ90はセル付きもキックなしも同じで、リッターあたり60キロだ。50と90では倍以上のひらきがある(要するに90のほうが倍以上、燃費が悪いことになる)。これだけを見ると、50に比べて90はずいぶん経済性が悪い。

 ところが、カタログデータというのは、平坦なコースを加減速せずに原付一種の場合は法定速度30キロ、原付二種は同60キロの定速走行で出した数値だから実際とは隔たりがある。 私の場合、平均してリッター45キロくらい走る。知人が50に乗っていて、私の90とほぼ同じ燃費だ。

 セル無しの90を選んだのは、セル付きだとライトとウィンカーが角形になってしまうからだ。スーパーカブには丸型ライトが似合うから、見た目を優先してセルを切り捨てた(セル付きのカスタムは、角形ライトを採用することで高級感を出そうとしたようだが、逆に安っぽく見える)。
11 私はオートバイにあまり手を入れないタチなのだが、スーパーカブ乗りの先輩の薦めもあって、ライディングポジションに柔軟性があるダブルシートに交換し、ヘルメットを収容できるサイズのトップケース(GIVI製)をリアキャリアに装備した。また、レッグシールドの内側にメッシュインナーラックを付けた。これは、地図や飲み物を入れるのにとても便利で重宝している。

 納車してすぐ、盛岡市南郊の田園地帯をスーパーカブで訪れた。
 農道で地元の農家の人のスーパーカブとすれ違いざま、なんとなく頭をぺこんと下げて挨拶をした。青々とした田圃の向こうに濃い緑の紫波連山が美しい。反対側に目をやると、早池峰山の神々しい頂きが彼方にあった。
54903_1781323615 私にとってスーパーカブは懐かしい乗物でもある。十代のころ、親戚のスーパーカブに悪戯をして乗り、運転を誤って生け垣に突っ込んでしまったことが思いだされた。私は『オートバイ・ライフ』というオートバイ入門書などを書いたりしているが、原点はスーパーカブだったのだ。

追記:2007年5月惜別。

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FMファン

■我が家ではテレビよりもFMラジオをつけている時間が長い。民放(FM岩手=かつての私の職場)もあるのだが、子供向けの内容なのでめったに聴かない。もっぱらNHK-FMである。ほとんど一日中、NHK-FMを聴いていると言っても過言ではない。

■神奈川県川崎市に住んでいたときは、T字型に電線を張る室内アンテナできれいに受信できていたのだが、転居先の盛岡の部屋は(マンションの構造上のせいか)FMの受信状態が悪く、NHKに相談の電話をかけた(NHKは受信料を受け取っている関係で、あらゆる家庭に電波を送りとどけることを義務としている)ところ、NHKの説明では「屋外アンテナを付けていることが受信の条件」とのことだった。つまり、室内アンテナは仮のものでしかないので、受信不良の扱いにはならないのだった。

FMアンテナって、需要が少ないせいか、けっこう値段が高い。取り付け費用なども入れると軽く5万円を超える。「それならケーブルテレビに加入するほうが安いかも」とアドバイスをしてくれる方がいた。ケーブルテレビでNHK-FMが聴けることを初めて知った。

さっそくケーブルテレビを申し込んだのだが、工事中、このマンションに引かれているケーブルはFM電波をうまく分離することができないことが判明した。せっかく来てくれたケーブルテレビの方には申し訳なかったが、ケーブルテレビが見たいのではなく、NHK-FMの受信が目的だったので契約を破棄した。

少々高くつくが結局、FMアンテナを付けるiことにした。意外にこれが苦労だった。なにしろ、扱っているお店がない。町の小さな電気屋さんをいくつかあたったが全滅だった。いわゆるオーディオ専門店がFMアンテナを扱っていないのにも驚いた。ようやくアンテナを専門にしている店を探しだしたが、そこも「FMアンテナを付けるのは初めて」と言っていた。テレビ・アンテナ屋さんなのである。

ベランダにFMアンテナを立てたら、素晴らしい状態で受信できるようになった。

■我々の世代では「エアチェック」といって、FM放送をカセットに録音して何度も何度も、ありがたく聴いた(というか、私の場合は現在進行形で「ありがたく聴いている」)のだが、もうそういう時代ではないようだ。でも、海外のクラシックコンサートの放送などは、NHK-FMでしか聴けない。いくらお金を積んでも惜しくない内容のものだ。

■しばしば欧米のクラシックコンサートでは、演奏に不満があると客席からブーイングが飛ぶという話を聞くが、実際にそれを見聞きした経験はなかった。今日午後3時から放送されたバイエルン国立歌劇場のベルディ作『リゴレット』(指揮はズービン・メータ)で、ブーイングを初めて聴いた。

これは演奏に対するものではなく、なんと『猿の惑星』を導入したという演出に対するブーイングだった。演奏はかなりの力演、名演だったから、大きな拍手も起きていた。演奏には拍手を、演出にはブーイングを----というわけだ。いずれにしても、出演者にはたまらなかっただろう。せっかくいい演奏をしたのに、ブーイングを浴びたのだから。

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美術展めぐり

19日~20日、打ち合わせがあって東京へ行ったついでに都内の美術展めぐりをした。

■ベルリンの至宝展(東京国立博物館)
目当ては印象派と (日本ではあまり観ることのできない)ドイツ・ロマン主義。出品数は少ないが、質の高さで補っていた。
エジプト美術品が充実していたが、こういうのを観るにつけては、エジプトがいかに「巨大で偉大な美の殿堂」だったかがよくわかる。なにしろ、大英博物館にもルーヴル美術館にもメトロポリタン美術館にも、素晴らしいエジプト美術品がごっそりあるんだから。 世界中に散在しているエジプト美術をすべてエジプトに返し、美の殿堂を再構築したら、どんなことになるだろうと夢想する。意地の悪い人は「きっと略奪されて、現在よりもっと散在するだろう」などと言うかもしれない。宗教紛争による宗教遺蹟の破壊や、イランでの国立博物館の略奪を見るとそれも頷ける。

常設に川村清雄が出ていた。やはり、鬼気せまる妖気を漂わせて美しかった。

博物館周辺で芸大の学生が写生をしていた。水彩画だ。グワッシュの人もいた。鉛筆でぎっしりと描きこんでいる人もいた(この人は彩色しないのだろう)。ちらりと観ただけだが、二人ばかり「線ができあがっている」感じの人がいて、思わず唸ってしまった。
こういう人の描く線は、点と点を結ぶ線だけで面を想像させる。

ところで、展示会場で来館者(高齢のご婦人)から声をかけられた。何か質問してきたのだが、意図がよくわからなかった。聞きかえすと「博物館の方ではないのですか」といわれた。違うとわかると、「まあ、ごめんなさい」と離れて行った。
ニューヨークのMOMAで「アー・ユー・キュレイター?」と声をかけられたことを思いだした。
どこに行っても「主」みたいな顔をして歩いているのだろうか、私は。

■資料は繋ぐ-名作と下絵・連作(東京藝術大学大学美術館)
下絵や素描が好きなので、楽しみに出かけた。
高橋由一の画帳に圧倒された。前にここで黒田清輝の「昔語り」(作品は焼失)の習作を観ているが、今回は出品されていなかった。

■岡倉天心展(渋谷ワタリウム美術館)
芸大の前身である東京美術学校の創設にかかわり、校長をつとめた天心を顕彰する企画展。
私は天心の「茶の本」や「東洋の理想」に感銘を受け、茨城大学五浦美術文化研究所や五浦の六角堂をツーリングしたことがあるので、ちょっと期待外れ。天心入門にはいいだろう。

■ルーヴル美術展(横浜美術館)とゴッホ展(東京国立近代美術館)は長蛇の列ができていた。待ち時間が1時間~1時間40分ということで、今回は断念せざるをえなかった。

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なぜ、R1150ロードスターなのか

1150 4年前からBMWのR1150ロードスターというオートバイに乗っている。BMWのなかでは目立たない、マイナーな車種といっていい。BMWといえば、やはり主流はRTかGSですよね。

これに乗る以前はカワサキW650に乗っていた。W650との出会いなどについては拙著『オートバイ・ライフ』にだいぶページを費やしているので、ここで多くは触れない。

私は長くSRに乗ってきたから、W650に乗り換えたことは傍目に見ても納得できたようだ。だが、R1150ロードスターに乗り換えたときは周囲から「え?」と疑問付付きの視線を浴びた。

ま、私自身、まさかBMWに乗ろうとは思ってもいなかった(あんなのはオッサンマシンだ、と公言していたわけですから)。ところが、知人のR1150ロードスターに乗って目から鱗が落ちた。見た目より軽く、扱いやすかったのだ。

実は私が最初に手に入れたオートバイは(今はもう生産されていない)HONDA BROSだっbros6501 た。BROS のカタログを見て一目惚れし、これに乗るために中型免許をとったのでした。それまでノートン・コマンドやトライアンフ・ボンネビルなど1960年代末のブリティッシュツイン以外は目に入らなかった私に、BROSはオートバイの新しいありかたを示してくれた。とても大きな存在で、初期型とマイナーチェンジ後の最終モデルと二台のBROSを乗り継ぐほど惚れこんだオートバイだった。

写真を見くらべるとおわかりのように、BROSとR1150ロードスターはよく似ている。何というか、むっちりしているんですね。ディテールに目を向けると、2気筒(V型と水平対向型の違いはあるが)、エンジンを吊り下げてフレームとしても機能させる手法、やや跳ね上がった短めのマフラー、片持ちスイングアームなどが似ている(ちなみにBROSの輸出仕様車はBMWと同じようにシャフトドライヴだった)。歯切れのいい低音の排気音も似ている。

最新のメカニズムながら、クラシカルなムードも漂わせている--それがこの二台の共通点ではないかと思っている。ま、要するに私にとってR1150ロードスターの選択は「振り出しに戻る」なのかもしれない。

私にとってオートバイは旅の道具として充分であればそれでいい。だから、R1150ロードスターにはとても満足している。

けれども、R1150ロードスターにはBROSより劣っている点がひとつある。BROSはマフラーが右側に出ていたが、R1150ロードスターは左側だ。日本は車両が左側通行だから、R1150ロードスターの排気ガスは(排気音も)歩行者に向けられる。ジェントルなオートバイらしくない部分だと思う。

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田園フィルの練習日

午前中、マンション管理組合理事長として町内会総会に出席。文教地区の古い町だけあって、おだやかに終わる。

午後は久々に田園フィルハーモニー・オーケストラの練習。
6月19日の本番(於:矢巾町田園ホール)には出られないのだけど、ベートーヴェンの交響曲第6番「田園」を弾きたいがために練習のみ参加しているしだい。

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ベートーヴェンの交響曲はあまり好きじゃなかったのに、昨年の演奏会で5番(日本では「運命」というけど、ベートーヴェンはそんな題は付けていない)を弾いたら、開眼してしまいました。
ベートーヴェンは楽器弾きの心がよくわかっていたんですね。だから、弾いていて気持ちがいいし、高揚する。
ヴィオラを弾いていて、「こう行きたい!」と思う方向に音楽が進む。かと思うと、予想外の進展があらわれる。これもまた気持ちのいい「外し方」なのだ。
モーツァルトも弾いていて気持ちがいいけれど、ベートーヴェンのような「高揚感」はない(と私のレベルでは思う)。

それにしても、多くのアマオケ(プロのオケもそうだが)はホールで練習なんて本番前日くらいのもの。田園フィルは本番までに何度もホールでの練習を積める。
恵まれたオケである。

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何が好きかって

寝る前に酒を飲みつつ、CDを聴きながら、本を読む。いわゆる寝酒ですね。この時間が一番好きだ。

バーボン、シングルモルト、スコッチ、ウォッカ、ジンなどの常備酒のなかからその日の気分で選ぶわけだが、やはりバーボンとスコッチのことが多い。手のこんだ肴がいらないのは洋酒のいい点だ。

今夜のCDはアラン・コープランド・シンガーズのイフ・ラヴ・カムズ・ウィズ・イット」B000793AVK ジャケットがよければ、中身もいいというのが70年代までの常識でした(笑)。CDになってから、ジャケットが持つ力が失せたので、この「定義」は通用しなくなった。
このアルバムはジャケット通り、大人の音楽。子供のころ、こういう音楽を聴いて「早く大人になりたい」と憧れたことを思いだした。映画館で育ったのでマセた餓鬼だったのです。

選曲が素晴らしい。「クラシカル・ガス」にのせて「スカボロー・フェア」を歌う(体位法というのでしょうか)一曲目から秀逸です。「ディス・ガイ」、「イエロー・リボンズ」、「ウィチタ・ラインマン」などをメローなコーラスと管楽器がメインのアレンジで聴かせる。 こういう音楽は安バーボンを二倍くらい高い酒に変えてくれます。
しかし、考えようによっちゃ、とことんWASPの音楽だなあ、とも思う(ジャケットも含めて)。1969年、この種の音楽が最後の輝きを放った宝石です。

本は「福澤諭吉を描いた絵師 川村清雄伝」(林えり子著・慶應義塾大学出版界)を少しずつ読んでいるのだが、これについてはまた改めて。

というように独り酒を楽しんでいるが、もちろん仲間たちとワイワイ飲むのも嫌いではないし、キャンプ場で星空や焚火を肴に飲んでいると「こんな贅沢な時間は他にないな」と思う。

要するに酒のからんだシチュエーションならどれも好きということか。アハハ。

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山笑ふ 

11日から12日にかけて、今シーズン最初の泊まりがけロングツーリングに行ってきた。BMW BIKES(7月発売号)に掲載する紀行のための取材ツーリングである。

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若葉が萌え、ヤマザクラやコブシが咲く東北の山々は、今が一番美しい。

あいにく、12日は雨になり、旅程を切り上げて帰ってきた。今日は冷え込んでいて、ストーヴが必要だ。岩手山方面ではどうやら雪が降っているようだ。17238917_180

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ワイエスの表現

今時期の山は、淡い紫色や小豆色、橙色、茶色、芥子色、薄紅色、濃淡さまざまの緑色などの彩りが実に美しい。
そして、この時期の山は日一日とその色合いが変化する。

実際に山に入っていみると、木々が若芽をつけ、あるいは小さな葉をつけたり、ヤマザクラやコブシが咲いたりしている。これらが上に記したような山の彩りをつくる。

これを絵に描こうとするとき、現実に即して、芽や花を一筆一筆描いていくだろうか。
そういう画法もあるが、アンドリュー・ワイエスはそうはしない。とてもリアルなので、一見、ディテールをよく描きこんでいるような印象を与えるワイエスだが、近くで見ると部分的に抽象画と思えるようなデフォルメをしている。
離れて見ればリアルに見える。それを計算した上での独特の画法といっていい。

事実の再現とは決してディテールの再現と同義ではない。それが表現というものだ。
ディテールに満ちた春の山を思いかえしながら、そんなことを思った。

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白いカタクリ

紫波三山と総称される低山(一昨日、山火事のあった山だ)に登ってきた。今回は7時間かけて東根山(アズマネヤマ/928m)と不動岳(フドウダケ/731m)を縦走した。

標高700mから上はブナ林で、地面もスポンジ状になっていて歩きやすい。ただ、「ヘッタクレ」と呼ばれる痩せ尾根を渡るところはけっこうヒヤヒヤした。

登山道の両側はみごとなカタクリ群落(もう時期は終わりかかっていたが)で、そのなかに白いカタクリがあった。1万株のうちの1くらいの確率で出る突然変異種だという。 54611_2041385853

その後、もう1株あったので、それだけカタクリの数が多いという証左だろう。
まだ俗化しておらず、入山者が少ないから自然が守られている。
紫波町ではここを観光資源としたいようだが、このままそっとしておきたいと願うのも(山を荒らす人と同様に)人間のエゴだろうか。

山頂付近から眺める紫波町、矢巾町の水田には満々と水がはられていて、「水びたし」だと思った。 16742957_157
そして、反対側に目をやるとヨーロッパのまきばを思わせる風景がひろがっている。小岩井農場のある雫石町だ。

豊かな緑と水の山里である。

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ベアテの贈り物

いやあ、しまった、しまった。
ドキュメンタリー映画『ベアテの贈り物』を見るために野村胡堂・あらえびす記念館(紫波町)へ行ったら、なんと財布を忘れて持ってこなかった。幸いロビーに野村晴一館長がいらしたので事情を話し、1000円貸していただいた(後日、拙著を添えてお返しした)。

見応えのある、いい映画だった。
高名なピアニストの娘ベアテ・シロタ・ゴードンは、戦後、新憲法の草案委員会に参加した唯一の女性。映画は、野村胡堂・あらえびす記念館で行なわれたベアテさんの講演を基調に、我が国フェミニズム運動の流れを追った秀作。

ベアテさんは↓こういう方です。

http://www.kashiwashobo.co.jp/new_web/info/beate/beate.html

憲法「改正」(「改悪」)が進行しつつある。その大きな根拠のひとつとして「押しつけられた憲法」という主張がある。
このドキュメンタリー映画のなかでベアテさんは「日本国憲法は誰がつくったのか--人類の叡知がつくった」と語る。
いい言葉だ。アメリカの押しつけ憲法だと主張する人々もこの言葉に謙虚に耳を傾けてほしい。

藤原智子監督のインタビュー↓はこちら。

http://www.mainichi-msn.co.jp/geinou/cinema/cinecom/


ベアテさんのお父上レオ・シロタは、ロシア生まれのユダヤ人ピアニスト。少年時代、パデレフスキーに才能を認められウィーンへ留学。ブゾーニに師事し大きな影響を受けたシロタは、ブゾーニ派ピアニストへと成長する。ウィーンを拠点にヨーロッパで活躍し、若手ピアニストとして名声を博した。その演奏スタイルはヴィルテュオーゾ・タイプと評された。
シベリアを横断し、1928年初来日。山田耕筰と親交を深める。
1931年、東京音楽学校教授に就任し、教育面でもすぐれた才能を発揮した。多くの才能を育み、園田高弘も弟子の一人であった。
戦中は軽井沢に軟禁状態になり、苦しい生活を強いられる。戦後アメリカに移住。後進の指導に当たる一方、リサイタルや放送の活動も続けた。
1963年再来日し、シロタの最後の演奏会が開催された。

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