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センチメンタル

昨日、推理作家協会主催のパーティ(第58回推理作家協会賞授賞式)があり、上京してきた(運悪く今年一番という暑さを記録した日で、新橋では子カラスが夏バテでダウンしたという)。

所用があって青山通り(国道246号)を歩いていると、突如として懐かしさに襲われた。不意をつかれた感じがした。

東京(都下)を離れ、盛岡に帰ってきて5年目に入った。この間、3カ月に2度のペースで上京している(滞在日数は一回平均2日)。だから、別に懐かしさを感じるほどのブランクは空いていない。それなのに、いったいなぜだろうか。

1988年から2001年まで13年間を、川崎市宮前区で過ごした。会社勤めだったころは、この下を通っている地下鉄半蔵門線を通勤に使っていた。週に2、3日はオートバイ通勤(スーツとビジスネシューズを会社に置いてあった)していたので、この道を通っている。そのころの断片が瞬発的に脳裏によみがえったのだ。

そのころのことを振り返ると「よく頑張ったな」と心の底から思う。よくぞ流されず(いや、ずいぶん流されたと思うけど)、そして押しつぶされずに生き抜いた、と我ながら感心して不覚にも涙が出てしまった。

そして、(盛岡の自室で)これを書いている今、窓からは爽やかな風が入ってきて、涼しいくらいだ。こんな街中でも、どこからか蛙の合唱が聞こえてくる。熱心なさんさ踊りの太鼓の練習も、どこか郷愁を誘う。

東京の雑踏も故郷も何もかもがいとしく思えてならない。つまり、俺も相当に歳をとってしまったということなのだろう。

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福井良之介孔版画展

岩手県立美術館で開催中の福井良之介孔版画展にもう一度行きたいと思いつつ、時間をつくれずにいる。

僕は版画に対してあまりいい「観手」ではないが、福井の作品を観ているときは「版画」であることを忘れていた。そして、僕の目は喜びと切なさを受け取っていた。これは、ニコラ・ド・スタールを初めて観たときの印象に重なる(だからといって作品が似ているわけではない)。

会期は7月18日までだから、まだ時間がある。何とかしてもう一度行くつもりだ。

(「孔版画」とはガリ版として知られる「謄写版(トウシャバン)」を使った福井独自の特殊な技法)

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ロックの生き証人、アル・クーパー

30年振りのソロ新作を発表したアル・クーパー氏がプロモーションのため来日した。

季刊『大人のロック』(日経BP社)のOさんから「会ってみませんか」というお話があったとき、「そんなおそれおおい」といったんはお断りしたが、こんな機会はもう二度とない。意を決して、お会いすることにした。

22942229_15 「気難しい方だ」という噂も耳にしていたが、実際にお会いしてみると、シャイなニューヨーカーだった。

アル・クーパーはユダヤ系だ。アルの名盤『フィルモアの奇蹟』などで有名なフィルモア・イーストとフィルモア・ウェストを経営していた故ビル・グレアムもユダヤ系だ。ジャズではブルーノート・レコードを創設したアルフレッド・ライオンがユダヤ系だし、クラシック界を牽引したレナード・バーンスタインやアイザック・スターンもユダヤ系だ。アメリカ(ひいては世界の)音楽シーンをつくったのはユダヤ系のミュージシャン(アーティスト)たちだったのではないか、と訊いたところ、「そんなことはないよ。僕が若い頃はユダヤ系とイタリア系と黒人が音楽界をリードしていた。他の人種もたくさん加わっていた。決してユダヤ系だけではなかった」とおっしゃった。つまり、その雑多な人種の混合が「アメリカ文化の象徴だ」という意味だった。

詳細は10月発売の『大人のロック』をお読みいただきたい。

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南昌山林道

72042_1603126369 ゴールデンウィークに登った紫波三山のつらなり、南昌山の山頂近くを通る林道へ出かけて来た。ついこのあいだまでは芽吹きの山だったのに、緑が色を濃くし、エゾハルゼミの声が賑やかだった。

帰路、御所湖畔の道で野良猫の轢死体と遭遇。いつものように草むらに隠してあげた(「弔い」のことを書いたばかりでしたね)。

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これは去年の秋に同じところで撮った写真だ。

自宅から往復2時間の小ツーリング。でも、得られる喜びは大きい。

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さよなら、ミセス・ロビンソン

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映画『卒業』のサントラ盤のジャケットだ。手前の美しい脚の持ち主が、アン・バンクロフトが演じたミセス・ロビンソンだ(脚の部分は別撮りしたという噂もある)。

この映画は私にいくつかの影響を残した。

主人公ベン(ダスティ・ホフマン)が乗りまわすアルファ・ロメオ・スパイダー・ジュリエッタは私の永遠の憧れとなった(後に手に入れるチャンスがあったが、憧れはそのままにしてくほうがいいと判断した)。

ミセス・ロビンソンは私を年上の女性好みにし、脚フェチにもした。

この映画で私はサイモン&ガーファンクルを知り、ギターを弾くきっかけになった。いずれにしても、中学1年の子供には「毒」な映画だった。

アン・バンクロフトは「ミセス・ロビンソン役の--」といわれることをあまり好まなかったそうだ。『奇跡の人』の舞台でトニー賞、映画でアカデミー賞をもらっているうえ、他にもいい作品がたくさんあるのだから当然といえば当然だ。

でも、申し訳ないけれど、私にとってアン・バンクロフトはやっぱりミセス・ロビンソンその人だった。きっと今ごろは天国で私のような男を増やしているに違いない。

[ニューヨーク 7日 ロイター] 舞台や映画で幅広く活躍した米女優アン・バンクロフトが6日夜、子宮がんのため入院先のニューヨーク市内の病院で死去した。73歳だった。

 コメディアンで映画監督の夫メル・ブルックスの広報担当者が明らかにした。

 ニューヨーク市内ブロンクスで、イタリア移民の両親の間に生まれる。

 17歳で市内の演劇学校に入学し、アン・マーノの芸名で創成期のテレビに出演。誘いを受けてハリウッドに移り、著名プロデューサーのダリル・ザナックの勧めで、芸名をアン・バンクロフトに変えた。

 役に恵まれずニューヨークに戻った後、「メソッド」で有名なアクターズ・スタジオに学んだ。

 1958年にアーサー・ペン演出の舞台劇「二人でシーソーを」でトニー賞を初受賞。翌年に再びペンが演出を手がけた「奇跡の人」のサリバン先生役が当たり、同賞の2年連続受賞を達成した。

 「奇跡の人」の映画版でも同じ役を演じ、62年にアカデミー主演女優賞を獲得。

 67年には、映画「卒業」のロビンソン夫人役を好演した。

 このほか映画の代表作に「女が愛情に渇くとき」(64年)「愛と喝采の日々」(77年)「アグネス」(85年)など。

 夫ブルックスとの共演作「メル・ブルックスの大脱走」(83)もある。

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弔い

ツーリング中、しばしば動物の死骸に遭遇する。市街地では猫、田舎ではタヌキ、テン、キツネなどだ。クルマに撥ねられて死んだのである。

私はできるだけ弔うようにしている。できるだけ、というのはペシャンコになってしまった死骸は気持ちが悪くて触れないからだ。それと、ヘビが苦手なので申し訳ないが素通りする。

撥ねられただけの死骸は案外きれいなものだ(ハラワタがはみでたりしているのは、その後、轢かれたためだ)。ライディング・グローヴをしているので、死骸に触るのはさほど気持ち悪くない。

別にいいことをしようと思ってやっているわけではない。放っておくと次に通ったクルマに轢かれて無残な姿になる。そうさせたくないから、道の傍らの草地に隠してやる。お経をとなえてあげることはできないから、手を合わせるだけ。

子供のころ、野良犬や野良猫にずいぶん悪さをした。その罪滅ぼしの気持ちもあって、これまで十数体の動物を弔った。ずいぶん立派なタヌキや、毛並みのいいテンが記憶に残っている。

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ビセンテ・アミーゴの新譜「音の瞬間」

私は決してフラメンコのいい聴き手ではない。二十代のころにパコ・デ・ルシアを知り、以来、フラメンコをルーツに持つギター音楽への興味を持ちつづけてきた。
今、パコの流れを受け継ぐフラメンコギターのニューウェイヴといえば、トマティートとビセンテ・アミーゴということになるだろう。

B00092QSDM ビセンテにとって、このアルバム『音の瞬間(とき)』は5年振りの新譜。私は『ポエタ』、『イデアの街』、『魂の窓』を愛聴しているが、本アルバムはこれまでで最も彼のルーツを色濃く反映した音楽が収められている。

過日、このアルバムの発売に合わせて来日公演があった。私はさくらホール(岩手県北上市)に聴きにいった(岩手めんこいテレビ公式WEB連載中「目と耳のライディング」をご参照ください)。
ビセンテを生で聴くのは初めてだった。そして、「CDはビセンテの音楽を半分も伝えきっていない」ことを思いしらされた。
18634027_210 スピード感、音の密度、迸る情熱。ギターが熱ければ熱いほど募る切なさ--これらはライヴでこそ肌で感じとれるものだ。ま、これはビセンテに限らないけれど、音楽はやっぱり生を聴いてみないことにはホントのところはわかりませんね。

CDを聴きながら、あの「熱いステージ」を思いかえす日々が続いている。

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イージー・リスニング考

ジャズやクラシックで「骨抜き」の演奏に出会うと「まるでイージー・リスニングじゃないか。いや、イージー・リスニングより始末に悪いかも」などと言ってしまう。でも、決してイージー・リスニング(ムード・ミュージック)が嫌いなわけではない。むしろ、好きなほうだ。事実、うちにはCD16枚からなる全集まである。

イージー・リスニングは「癒し」の音楽だろうか。たぶん、そうだろう。ギトギトぎすぎすしたところがまったくない音楽なのだから。でも、「癒し」を押しつける「癒し系」には「卑しさ」が感じられて私は好きになれない。

イージー・リスニングにはその「押しつけ」がない。

パーシー・フェイス、フランク・プ.ゥルセル、ポール・モーリア、カラベリ・グランド・オーケストラ--どれも「甘いサウンド」だ。しばしば音楽通は「甘い」ものを軽蔑しがちだが(それが〈通〉であることの証みたいになっている)、「甘い」のもひとつの芸だ。それを極めたこれらの「大甘の大家」の演奏となると、実はなかなか真似のできるものではないと思う。

「大甘の大家」の演奏を聴いていると、何か懐かしさがこみあげてくる。それは、たいていの場合「夏休み」の淡い記憶をともなっている。そういえば、私は初夏の季節にイージー・リスニングが聴きたくなるようだ。

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