エドワード・ヒース元英国首相が亡くなられた。貴族階級が多い保守党の党首に、労働者階級から就任。1974年マーガレット・サッチャーに破れるまで首相を1期つとめ、EUの前身であるECへの英国加盟を果たすなどした。
といったことは報道で周知のとおりだろう。
ヒースには『音楽-人生の喜び』(別宮貞徳訳・日賀出版社/1980年)という著書がある。ヒースはオルガン奏者として音楽を専門に学んだ後、プロの音楽家にはならず、政治家になった。首相時代は官邸にピアノとクラヴィコードを持ちこんでいる。
〈10年にのぼるたえざる活動、討議、計画、交渉の集大成〉だったEC加盟が実現した日、ヒースはマスコミからも政治家からも逃れて官邸に戻り、少数の友人たちの前でバッハの平均律クラヴィーア曲集第1番のプレリュードとフーガを弾いた。〈十年の苦闘と敗北の後に訪れた成功〉をバッハの音楽で祝ったのだ。
政界を退いてからはロンドン・シンフォニー・オーケストラの理事長兼名誉指揮者となり、常任指揮者のアンドレ・プレヴィンと友に演奏旅行に出ている。日本でなら「変わり種」と呼ばれるところだが、ヨーロッパではそう珍しいことではないようだ。
たとえば、アフリカ医療で有名なシュヴァイツァー博士は、オルガン奏者・バッハ研究家としても一流だった。
音楽教育のスズキ・メソードで有名な故鈴木鎮一氏(以下・鈴木と記す)は、弟子が音楽の専門家になることよりも、政治家や企業家になることを喜んだという。それは鈴木が音楽を学ぶためにドイツに留学したときの経験からきている。
先に触れたシュヴァイツァー博士が鈴木の後見人だった。シュヴァイツァーの同僚たちがヴァイオリンやチェロなどの楽器を持って集まり、日本からの留学生と共にベートーヴェンやバッハなどを演奏して歓迎した。鈴木はてっきり音楽を教えている教授たちだろうと思ったが、実は物理学の教授や経済学の教授たちだった。
鈴木は「世の中をリードする人々に音楽の素養がある」ヨーロッパ社会を見て、日本でもそれを実現できれば、と決意したのだった。
鈴木門下からは優れた音楽家がたくさん育ったし、鈴木が本来願ったように企業家や政治家も出ている。お膝元である松本市での弟子のひとりは後に長野県知事になった。残念なことに鈴木は田中康夫知事誕生を目にすることなく他界している。
-------------------------------------
2005.07.18
Web posted at: 11:58 JST
- CNN/AP
ロンドン――英国のエドワード・ヒース元首相が17日、同国南部ソールズベリーの自宅で死去した。89歳だった。1週間前に自宅で誕生日を祝ったばかりだった。
大工の息子として生まれたヒース氏は1965年、貴族階級や上流中産階級の牙城だった保守党の党首となり、70年から74年まで首相を務めた。第2次世界大戦後の長い経済停滞を終わらせると公約し、73年には国内とフランスの反対を克服して英国の欧州共同体(EC) 加盟を実現した。
しかし、賃金不安による炭鉱ストや労働争議の多発で電力供給が週3日制になるなど、経済が混乱。事態打開のため行った総選挙でウィルソン氏率いる労働党に敗れた。翌75年には保守党党首選で、4年後に初の女性首相となるマーガレット・サッチャー氏に敗れた。
政治家としての手腕のほか、優れたヨットマン、音楽家としても知られた。
92年にはナイト爵の最高位ガーター勲位を授けられ、「サー・エドワード」となる。
03年にオーストリア・ザルツブルクで休暇中に体調を崩し、肺塞栓と診断されていた。
最近のコメント