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風葬

 7月12日のブログに書いたカラスの死体が、黒い羽根の塊になった。
 屋根の上で直射日光を浴び、風雨にさらされる様は哀れで、何とかしてやりたいと思ったが--。
 ところが、それは原形をとどめているうちのこと。しだいにぺちゃんこになる経過を目にして、「ああ、これが風葬なんだな」と気がついた。いま残っている羽根も、やがては風に運ばれて四散するだろう。盛岡に生まれ、盛岡の風にのって飛びまわり、盛岡の風に葬られたわけだ。

 夕方になると決まって、死んだカラスの横に来て鳴きつづける一羽のカラスがいる。伴侶だったのだろうか。親だろうか。子だろうか。兄弟姉妹だろうか。いかにも「泣いている」ような具合なので、あの声が聞こえてくるたびに切なくなる。

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ときにはバッハなど

『フーガの技法』/ジュリアード弦楽四重奏団を聴く

 『フーガの技法』は諸説あるらしいけれど、バッハ晩年の未完成の作品ということになっている。 20世紀に入るまでは、「技巧」のみに徹した「中身のない音楽」などともいわれていたそうです。重要視されるようになったのは、音楽学者と演奏家による再評価(再発見)のたまもの。おかげで私たちはこの素晴らしい作品をさまざまな演奏で聴くことができる。

 四声で書かれている作品なので「弦楽四重奏による演奏こそ相応しい」と私のような素人は思ってしまいますが、バッハの時代に「弦楽四重奏」という演奏形態はなかった(近いものではトリオ・ソナタがあるが)。 だから、がちがちのバッハ学者や古楽信奉者はこのCDを当然、認めないでしょう。

 そもそも残されている写譜に「楽器の指定」がないことが混乱の原因なのだが、「バッハはチェンバロによる演奏を想定していた」というのが定説となっている。私は単なるリスナーなので、学問的な聴き方に縛られる必要がない。その特権で、弦楽四重奏による『フーガの技法』を愛聴している。

img   第一ヴァイオリンにロバート・マンがいたころのジュリアード弦楽四重奏団によるこの演奏は、ゆっくりめのテンポとあいまって、ロマン派的なバッハ解釈といっていいかもしれない。 「技巧」のみの音楽どころか、人間の生の哀しみや、人生をしめくくるに際しての達観、諦念が感じられる名作であることをこの演奏は教えてくれる(バッハをそのように聴くこともロマン派的にすぎるのかもしれませんが)。

 教会で演奏するための作品(宗教音楽)ではないので、世俗音楽と分類されるが、こんなに深遠かつ崇高な世俗音楽も他にあるまい。 聖書を直接の下敷きにしていないものの、バッハの宗教心・宗教的精神が生んだ作品だと思う。

 うちのCDラックには古典四重奏団や、この曲をライフワークにしているケラー四重奏団による演奏がある。確かエマーソン弦楽四重奏団も録音しているが、私は持っていない(ほしいんですが)。

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エドワード・ヒース、音楽と歩んだ政治家

 エドワード・ヒース元英国首相が亡くなられた。貴族階級が多い保守党の党首に、労働者階級から就任。1974年マーガレット・サッチャーに破れるまで首相を1期つとめ、EUの前身であるECへの英国加盟を果たすなどした。
 といったことは報道で周知のとおりだろう。
 ヒースには『音楽-人生の喜び』(別宮貞徳訳・日賀出版社/1980年)という著書がある。ヒースはオルガン奏者として音楽を専門に学んだ後、プロの音楽家にはならず、政治家になった。首相時代は官邸にピアノとクラヴィコードを持ちこんでいる。
 〈10年にのぼるたえざる活動、討議、計画、交渉の集大成〉だったEC加盟が実現した日、ヒースはマスコミからも政治家からも逃れて官邸に戻り、少数の友人たちの前でバッハの平均律クラヴィーア曲集第1番のプレリュードとフーガを弾いた。〈十年の苦闘と敗北の後に訪れた成功〉をバッハの音楽で祝ったのだ。

 政界を退いてからはロンドン・シンフォニー・オーケストラの理事長兼名誉指揮者となり、常任指揮者のアンドレ・プレヴィンと友に演奏旅行に出ている。日本でなら「変わり種」と呼ばれるところだが、ヨーロッパではそう珍しいことではないようだ。
 たとえば、アフリカ医療で有名なシュヴァイツァー博士は、オルガン奏者・バッハ研究家としても一流だった。

 音楽教育のスズキ・メソードで有名な故鈴木鎮一氏(以下・鈴木と記す)は、弟子が音楽の専門家になることよりも、政治家や企業家になることを喜んだという。それは鈴木が音楽を学ぶためにドイツに留学したときの経験からきている。

 先に触れたシュヴァイツァー博士が鈴木の後見人だった。シュヴァイツァーの同僚たちがヴァイオリンやチェロなどの楽器を持って集まり、日本からの留学生と共にベートーヴェンやバッハなどを演奏して歓迎した。鈴木はてっきり音楽を教えている教授たちだろうと思ったが、実は物理学の教授や経済学の教授たちだった。
 鈴木は「世の中をリードする人々に音楽の素養がある」ヨーロッパ社会を見て、日本でもそれを実現できれば、と決意したのだった。
 鈴木門下からは優れた音楽家がたくさん育ったし、鈴木が本来願ったように企業家や政治家も出ている。お膝元である松本市での弟子のひとりは後に長野県知事になった。残念なことに鈴木は田中康夫知事誕生を目にすることなく他界している。

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2005.07.18
Web posted at:  11:58  JST
- CNN/AP

ロンドン――英国のエドワード・ヒース元首相が17日、同国南部ソールズベリーの自宅で死去した。89歳だった。1週間前に自宅で誕生日を祝ったばかりだった。

大工の息子として生まれたヒース氏は1965年、貴族階級や上流中産階級の牙城だった保守党の党首となり、70年から74年まで首相を務めた。第2次世界大戦後の長い経済停滞を終わらせると公約し、73年には国内とフランスの反対を克服して英国の欧州共同体(EC) 加盟を実現した。

しかし、賃金不安による炭鉱ストや労働争議の多発で電力供給が週3日制になるなど、経済が混乱。事態打開のため行った総選挙でウィルソン氏率いる労働党に敗れた。翌75年には保守党党首選で、4年後に初の女性首相となるマーガレット・サッチャー氏に敗れた。

政治家としての手腕のほか、優れたヨットマン、音楽家としても知られた。

92年にはナイト爵の最高位ガーター勲位を授けられ、「サー・エドワード」となる。

03年にオーストリア・ザルツブルクで休暇中に体調を崩し、肺塞栓と診断されていた。

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怪奇! 探シモノ出テコズ

 どうしても解決しない、不可解なことがある。
 まず、本が見つからない。
 マーガレット・キャンベルの『名チェリストたち』(東京創元社)とヨーアヒム・ハルトナックの『20世紀の名ヴァイオリニスト』(白水社)が見つからないのだ。実は前者は一度見つからなくなって(外に持ち出すことがないのに紛失するのはありえないことなのだが)再度購入したものだ。で、「よく使う本だから二冊を一緒のところに置いておこう」と思った。それはよく覚えている。だが、いったいどこに置いたのだろう。
 広い家じゃないんだから、探せば出てくるはず。あんな分厚い本が本棚の隙間に入りこんでいるわけもないし。
 でも、見つからない。

 つい先日は、長部日出雄さんの『津軽世去れ節』(文春文庫)が見つからなくて困った。直木賞受賞作であるにもかかわらず、この文庫は品切れ状態(絶版?)なのだ。幸いAmazonのユーズドに出ていたので入手できた。津軽三味線の出てくる小説を書いていて、「もしかするとこれは長部日出雄さんの作品とダブっているかもしれない」と内容が気になっていたのだが、それは記憶違いだった。
 さて、読み終えて文庫用本棚に入れようとしたら、ちゃんとあった。探していたときは見つからないのになあ。我ながら「いったいどこに目をつけてるのか」と腹立たしくなる。 

 本やCDがうまく見つからないことは、ま、しょっちゅうあることだ。が、これはちょっと大物だ。なんとキャンプ用品の一部が見つからないのだ。
(1)モンベルのドライダッフルバッグ
(2)モンベル・ムーンライトII(テントですね)用のポールセット
(3)コッヘル
(4)ランタン
(5)コンロ
(6)サーマレスマット
(7)サーマレスマットを座椅子化するグッズ

 (2)と(7)は細長い袋に一緒に入っている。(5)は(3)に収まっている。そして、これらのすべてが(1)に入っている。だから、(1)はかなり大型のバッグだ。
 この狭い家のいったいどこに隠れているのか。

 これらを怪奇現象といわずして何というべきか。

 え? 健忘症ですって?

 う~む、そうともいうか。

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カラスの死闘

勉強部屋(一般的には仕事部屋という)の窓から、カラスの死闘が見えた。1羽を4羽がかりでやっつけたのだ。
「ひどいことをするなあ」
そう思いながら、我々人間にカラスを残酷だと言う資格がまったくないことに気がついた。
karasu16  カラスの死骸はまだ屋根の上にある。共食いはしないらしい。
やられたカラスに同情しつつ、もしかするとそいつは「カラス界の悪の帝王」で、勇気ある連中が団結して反乱を起こしたのだとしたら---などとも思った。

二戸市の駅駐車場では、クルミの実をくわえて高いところから落とし、割ろうとしているカラスがいた。何度やってもクルミは割れない。見るに見かねて僕が割ってあげた。
我が家の近くでは、車の通るところにクルミの実を置き、轢かせて割ろうとしているカラスを見たことがある。クルマという道具を使っているわけで、感心した。

前に住んでいた家からはカラスが電柱につくった巣が見えた。巣は電力会社によって撤去された。その日は一日中、悲痛な声でカラスが鳴いていた。

カラスは都市の嫌われ者だが、カラスを悪者にしているのは我々人間だ。

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3原色の話

 赤、黄、青を3原色といい、この3つの色を混ぜることであらゆる色ができる。誰もが知っていることだけれど、これはあくまでも理論上の話で、3原色に忠実な絵の具は存在しないらしい。つまり、近似値で妥協しているわけですね。
 ゲーテに『色彩論』(ちくま学芸文庫)という著書があって、前半の「科学方法論」は歯が立たないけれど、後半の「教示編」はなかなか面白く、ときどき拾い読みしている。いつかキャンプ・ツーリングにこれ一冊持って読破(そんなふうにして読んだ本に、『草枕』や『森の生活』がある)しようと思いつつ果たせないでいる。
54923_650967262  それはともかく、私はウルトラマリン・ブルー(青)、イエローオーカー(黄)、アリザリンクリムソン(赤)を基本3原色として用いてきた(ウィンザー&ニュートンの水彩絵の具を使用)。実際にはこれにブラック、フッカーズグリーンナンバー1(緑)、レモンイエローも足して持ち歩いている。ひとくちに「青」といっても、何十種類もの「青」があるので、混色の適性や好みで選ぶわけだ。付け加えておくと、水彩絵の具は混ぜれば混ぜるだけ濁ってしまい、仕上がりが暗くなるので、基本的に4色以上は混ぜない。

 ところが最近、3原色は上記とは違うということを初めて知った。ウィンザー&ニュートンの水彩絵の具の場合、3原色に最も近いのはウィンザーブルー(青)のレッドシェード、パーマネントローズ(赤)、ウィンザーレモンなのだそうだ(しかし、ウィンザー&ニュートンのセットにパーマネントローズなんて入ってたかな)。 ウィンザーレモンはレモンイエローとほとんど変わりないような気がするが、さっそく入手したパーマネントローズは今まで使ったことのない色合いだ。

 新しい絵の具が増えると何となくワクワクする。梅雨が明けたら、「正しい3原色」を持ってスケッチ・ツーリングに行こうと思う。

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天野滋さん、さようなら

天野滋さんが亡くなられた。

http://jyoho.kahoku.co.jp/member/news/2005/07/20050705t33002.htm

お酒を2、3度飲んだことがあっただろうか。どこか茫洋とした、おおらかな方だった。淡いお付き合いだが、共通の「師」の下でつながっている仲だった。

「師」とは岩手放送の北さんこと故北口敦夫氏のことだ。「北の北口」と業界で知られた名物ディレクターだった(ついでながら、「南の井上、東の水野とつづく。すみません、西は失念しました。それぞれ、名物番組をつくったり、新人を売りだしたりした名物ディレクターです)。
 北さんのところに出入りをしていた人を思いつくままに挙げていこう。人気画家の藤井勉さん、角川書店で〈ザ・テレビジョン〉や〈東京ウォーカー〉を大ヒットさせたNさん(私の中学~高校時代に岩手放送で深夜放送のディスクジョッキーをやっていた)、作家の高橋克彦さん(高校時代に演劇部に属していた克彦さんは、岩手放送のラジオドラマの脚本を書き、北さんに指導を受けた)、音楽関係では高橋研さん、あんべ光俊さんら、それに昨年逝去された星吉昭さん(姫神)がいる。私も北さんのもとで長くアルバイトをした。天野滋さんとはこのアルバイト時代に知り合った。その後、FM岩手ディレクター時代にもお仕事をご一緒させていただいた。
私が北口さんを「北さん」と呼べるようになったのは、FM岩手に入社してからだ。私は二十代半ばを過ぎていたが、ようやく「北口スクールの仲間入りができた」と嬉しかった。

天野さんが闘病生活を送られていることは人づてに聞いていた。N.S.P.が復活したように、きっと復活してくれると思っていた。
あまりに早すぎる。
無念でならないが、言うまい。
天国で北さんや星さんらと賑やかに酒を酌み交わしていることだろう

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