ブルーノートのジャズを聴きかえしている。
ブルーノートが後世に残したレコード(アルバム)のうち、特にレコード番号が1500番台、4000番台(1600番台にいかず、いっきに4000番台に飛んだので、そのあいだにはジャズのレコードはない)のそれぞれ約100枚は名盤である。
あえて名盤と書いた。というのも、恐ろしいことに、ブルーノートのジャズには「外れ」がないのだ(さらにもちろん、「群を抜いた一枚」も多数存在する)。
私が持っているCDは(ちゃんと数えたわけではないが)、4100番台以降も含めてだいたい50枚程度。これでは「再復習」といっても、ほんの触りの勉強にしかならない。
「勉強」と書いたけれど、これが冗談として受け取りにくい世の中になってしまった。ジャズに(クラシック同様)教養音楽というレテルを貼りつける侮辱(!)がまかりとおっているのだ。ジャズの側に、それを喜んでいる人が少なくないのも困った事実だ。
私は植草甚一のジャズ本を(少し遅れたものの)オンタイムで読んだクチなので、植草甚一がそうだったように、ジャズを聴くことを「勉強」と書いてしまう。植草甚一はミステリを読むことも「勉強」と記した。私もそれにならって、仕事部屋とはいわず、勉強部屋と呼んでいる。
そういえば、8年くらい前のリイシューの際(ブルーノートは数年おきにリイシューされており、今年も大々的におこなわれている最中です)、CDのライナーノーツに「マイ・フェバリット・ブルーノート」とかいう駄文を書かせていただいた。確かハービー・ハンコックの『処女航海』を選んだような記憶がある。そのCDが、なんと見つからない(誰かにあげたような気がする)。リイシューのたびにライナーノーツは変わるので、あの文章も幻となってしまうのだろう。
今回の再復
習で「おおっ、これは!」と何度も聴きかえしているのは、グラント・グリーン(G)の『サンデイ・モーニング』(4099)、、ウォルター・デイヴィス・ジュニア(P)の『デヴィス・カップ』(4018)、それにアンドリュー・ヒル(P)の『ブラック・ファイア』(4151)だ。いわゆる(誰が呼んだか)新主流派のジャズに惹かれるのは、ジャズを聴きはじめたころから一貫している。私はつくづく成長しない人間らしい。
ところで、ジャズクラブのブルーノートと、ブルーノート・レコードは関係がない(青山のブルーノートが店を閉めるそうだ。こけら落としのトニー・ベネットに行ったのがついこあいだのこのような気がする)。ちなみに、ブルーノートとはブルーズから生まれたブルーノート・スケールという音階のこと。
ジャズが熱かった時代の息吹を今も新鮮に伝える名盤の数々を、「超ブルーノート入門」(中山康樹著/集英社新書)でエピソードを読みつつ味わううちに夏の夜は更けていく。
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