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アル・クーパーとのツーショット

6月24日のブログに、アル・クーパーと会ってきたことを書いた。そのときの記事が現在発売中の「大人のロック」(日経BP社)vol.4に掲載されている。

記事を読みながら、「ああ、あれは夢なんかじゃなかったんだなあ」と妙な感慨にひたっている。 私はあの日以来、あのころのロックを聴く時間が増えた。引っ越しの際に段ボールにつめたまま「あるいはもう聴くことはないかもしれない」と思っていたCDである(残念ながらLPは再生装置を持っていない。LPもたくさんあるのだが)。

10代のころ、多大な影響を受けたアル・クーパーとの「再会」から、私はまたしても少なからぬ影響を受けているようだ(ちなみにビートルズとストーンズからは影響を受けていない)。

■岩手ジャズ愛好会の会報SWING LIFE第36号に「私が初めて買ったジャズのレコード」というエッセイを書いてます。ご笑覧いただければ幸いです。

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つづれおり/キャロル・キング

"It's too late"は世の中で一番好きな曲です(「いそしぎ」と「優しく歌って」が次につづく)。この曲が入っているから、このアルバムは私の宝物です。10代のときに、この曲に出会ったことに感謝しています。

カールした長い髪、ざっくりしたセーターと洗いざらしのジーンズ、素足、座布団に坐ってこっちを見ている子猫、窓から射しこむ薄日--ジャケットの写真そのままの音楽がこのアルバムに収まっています。

そして、ダニー・クーチの最高のプレイ(渋いです)がこのアルバムで聴けます。

このアルバムと出会ったのと同じころに、映画「イージー・ライダー」を観たように記憶しています。大きな庭付きの一戸建ての家に住み、ガレージには車が2、3台収まっている--アメリカはそういう豊かな国だと思いこんでいた私が「どうも本当は違うようだ」と気づくことになった時期でもあるんですね(そういうアメリカ幻想と結びついている音楽としてアラン・コープランド・シンガーズなどがあったわけですが)。

キャロル・キングは最近、ピアノの弾き語りのアルバムを出されたようですね。お元気で何よりです(って、そんなお歳ではないんですよね。作曲家として10代のころからヒット曲を出していたので、音楽歴は長いわけですが)。

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美しきボサノヴァのミューズ/ナラ・レオン

どこまでもクールで、どこまでも美しく、どこまでも切ないアルバム。

ナラ・レオンはボサノヴァの歴史そのものの一人である。彼女の家でボサノヴァが生まれたといっても大きな間違いにはならない。

ブラジル国内の内政不安や軍事政権の台頭から、ナラは中産階級(かの国の中産階級は日本の上流階級に匹敵する)の音楽だったボサノヴァと訣別し、トロピカリズモに傾斜する。

このアルバムは、そういった変遷を経た彼女が自身のルーツであるボサノヴァに回帰した作品。ナラの歌い方は、ワンダ・ジ・サーやアストラッド・ジルベルトとはまったく異なる。というか、ボサノヴァの歌手のなかでは独自のスタンスだった。 さまざまな思いや過去を表に出さない唄法が、逆にその思いの深さ、陰影のある過去をくっきりと浮かび上がらせる。それはジャケット写真のようなモノクロームの画面であって、決してフルカラーではない。

女性ギタリストTUCA(ツーカ)のギターも素晴らしい。TUCAはフランソワーズ・アルディの「LA QUESTION(私の詩集)」でもアレンジとギターを担当し、そのアンニュイな名作に貢献している。

1988年、僕がまだFM岩手に勤めていた当時、ボサノヴァ30周年があった(1998年の40周年ほどは盛り上がらなかったが)。ボサノヴァを水で薄めたようなアルバムを日本のレコード会社がナラに出させ、けっこう売れた。その翌年、ナラは47歳で他界した。あのときの寂しさを、このアルバムを聴くたびに思いだしてしまう。

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コンサートキャラバン2005

  2002年のコンサートキャラバンの感激は未だに薄れていない。

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  あれから3年、コンサートキャラバンが(奇跡的に)再び実現することになった。私はスタッフとして潜りこませてもらい、全7日間のキャラバンのうち4日間、同行した。

  左は非公開リハーサル中のマエストロ(撮影禁止なので手帳にボールペンでスケッチ)。ショートパンツにTシャツである。鋭い指示が次々に飛ぶ。このために集められたオーケストラもそれに敏感に応じる。緊張感を楽しんでいるようすが伝わってくる。

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   こちらはロシアのマエストロ。みんなから尊敬と親しみをこめて「スラバ」と呼ばれている。今回はサン・サーンスのチェロ協奏曲とハイドンのチェロ協奏曲、それに急遽アレンスキーの「チャイコフスキーの主題による変奏曲」が用意された。

  おそるおそるスケッチした手帳を差しだすと、私の手からペンをとってサインをしてくださった。

  書き切れないほどたくさんの思い出があるが、ある日の断片を紹介したい。

   小さな漁村の中学校の体育館でのこと。                                                             「本当に来るんだろうか」                                                                                          こんな田舎に世界的な巨匠二人がそろい、無料のコンサートをひらいてくれるなんて、そんなウマい話が今どきあるものだろうか。
 村の人たちは半信半疑だったらしい。それでも、中学校の体育館には大勢の村人が集まった。
 やがて、キャラバンバスが到着し、若い楽団員と一緒にマエストロ小沢征爾氏と、スラバことムスティラフ・ロストロポーヴィチ氏が姿を見せると、一瞬のためらいの後、拍手が起こった。

 サン・サーンスのチェロ協奏曲の後、スラバの指揮でアレンスキーの弦楽合奏曲「チャイフフスキーの主題による変奏曲」が演奏された。

 今年の岩手は残暑が厳しい。エアコンのない体育館で、大人はもちろん、4歳くらいの子供たちも額から汗を流しながらも目をまるくみひらいて、聞き入っている。

 その姿に打たれた。
 楽団員も聴衆の熱心さに感動していた。演奏者と聴衆の気持ちがひとつになって、素晴らしい演奏会になった。

 聴衆を代表して、小学校6年生の女子が「小澤先生の演奏はCDで聴いています。生で聴くのは初めてです。ひとつひとつの楽器の音が素晴らしかったです。自分も中学校に進んだらフルートをやりたいです。それに、いろんな楽器にも挑戦したいです。素晴らしい音楽をありがとうございました」と挨拶をした。

 楽団員が(男も女も)目を真っ赤にしている。「音楽家であることの喜び」が、その顔にあらわれていた。
 スタッフも演奏家もボランティアで行なっているコンサートキャラバンは、「音楽家であることの喜び」を得ることがそもそもの目的だ。それを得るには、隠れた努力の積み重ねが必要だ。
 スタッフの一員として同行するなかで、厳しいリハーサルを目にし、その努力の片鱗に触れることができた。だから、楽団員の涙も少し理解できた(っていうか、もらい泣きしましたけど)。

 小澤征爾氏見たさの物見遊山、ミーハー気分で会場に来た方も、最後はまるで仏さまにでも会ったかのような顔つきで拍手を送り、盛んに目をしばたかせていた。

 音楽を愛してきてよかった。

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プエノスアイレスのマリア/アストル・ピアソラ

B00005ETY8 これはピアソラ自身によって〈オペラータ(小オペラ)〉と名づけられた作品で、タンゴを生んだブエノスアイレスに捧げられた「本能的な贈り物」(アストル・ピアソラと台本を書いたオラシオ・フェレールの言葉)ということです。 私が思うに「タンゴに捧げられたタンゴ」でもあるんですね。 ミルバ主演の「ブエノスアイレスのマリア」を02年5月に観劇しました。 ミルバの存在感に圧倒されましたね。「死と官能」のトーンに満たされた舞台でした。バックの演奏も素晴らしかった。一生の思い出です。

私が初めて出会ったピアソラは、「タンゴ・ゼロアワー」だった。1985年か86年のことだったと思います。 それがきっかけで「テニス、そして殺人者のタンゴ」という長編小説を書き、講談社からデビューした。

ところで---。                                              日本人によるピアソラの演奏には残念ながら「いかがわしさ、猥雑さ」が欠けていて面白みがありません。それはタンゴには絶対に欠かせない要素だと思います。 ま、このごろはジャズにも同じことが言えるんですけどね。

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水墨画を描く

水彩画は大小の筆2本、鉛筆、透明水彩絵の具(3原色+α)、それに紙と水という僅かな道具で、風景と戯れることができる。これをさらにシンプルにしようとすると、当然、水墨画の領域に足を踏み込むことになる。

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中山道の馬籠宿。恵那山の美しい姿が見えるはずなのだが、あいにくの天気で頂上付近が雲に隠れている。空にちょっとだけ彩色をした。

これは、しかし、「モノクロで描いた風景画」にすぎず、私が理想としている水墨画には遠い。つまり、モノクロ写真の代用品のような絵を描いても仕方がないということだ。

北上高地の山100034_3943235643並みを筆ペンで描いた。水筆ペンも使って、墨の濃淡を出している。さらに、ペンで線を描いて仕上げた。理想とは異なる水墨画ではあるけれど、上の「馬籠宿」よりは気にいっている。

我々は普通、フルカラーで風景を見ている。だから、モノトーンによる風景は本来ありえない世界だ。ありえない世界を表現するのだから、水墨画は人間の心(精神)を通したものになる(実のところ、水墨画に限らず絵画というものは、すべてそうなんですが)。

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で、これは由利高原(秋田側)から見た鳥海山だ。だいぶ脚色が入っている。一気呵成に描いたもので、実はこれが今のところ理想に近い(もちろん、まだまだ遠いのだが)。

sesshu_6 最終的には左のような境地に達したいものである。ま、いかにも畏れ多いのだが、雪舟の「破墨山水図」(国宝)ですね。誰が付けた題名なのか(もちろん、雪舟自身の命名ではない)破墨というのは誤りだそうで、これは没骨画法なんだそうです。描線がなく、一気呵成に墨の濃淡だけで表現している。あたりまえですが、う~ん、凄い!

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ブルーノート再復習

ブルーノートのジャズを聴きかえしている。

ブルーノートが後世に残したレコード(アルバム)のうち、特にレコード番号が1500番台、4000番台(1600番台にいかず、いっきに4000番台に飛んだので、そのあいだにはジャズのレコードはない)のそれぞれ約100枚は名盤である。

B00016ZQPC あえて名盤と書いた。というのも、恐ろしいことに、ブルーノートのジャズには「外れ」がないのだ(さらにもちろん、「群を抜いた一枚」も多数存在する)。

私が持っているCDは(ちゃんと数えたわけではないが)、4100番台以降も含めてだいたい50枚程度。これでは「再復習」といっても、ほんの触りの勉強にしかならない。

「勉強」と書いたけれど、これが冗談として受け取りにくい世の中になってしまった。ジャズに(クラシック同様)教養音楽というレテルを貼りつける侮辱(!)がまかりとおっているのだ。ジャズの側に、それを喜んでいる人が少なくないのも困った事実だ。

私は植草甚一のジャズ本を(少し遅れたものの)オンタイムで読んだクチなので、植草甚一がそうだったように、ジャズを聴くことを「勉強」と書いてしまう。植草甚一はミステリを読むことも「勉強」と記した。私もそれにならって、仕事部屋とはいわず、勉強部屋と呼んでいる。

そういえば、8年くらい前のリイシューの際(ブルーノートは数年おきにリイシューされており、今年も大々的におこなわれている最中です)、CDのライナーノーツに「マイ・フェバリット・ブルーノート」とかいう駄文を書かせていただいた。確かハービー・ハンコックの『処女航海』を選んだような記憶がある。そのCDが、なんと見つからない(誰かにあげたような気がする)。リイシューのたびにライナーノーツは変わるので、あの文章も幻となってしまうのだろう。

今回の再復4087201635習で「おおっ、これは!」と何度も聴きかえしているのは、グラント・グリーン(G)の『サンデイ・モーニング』(4099)、、ウォルター・デイヴィス・ジュニア(P)の『デヴィス・カップ』(4018)、それにアンドリュー・ヒル(P)の『ブラック・ファイア』(4151)だ。いわゆる(誰が呼んだか)新主流派のジャズに惹かれるのは、ジャズを聴きはじめたころから一貫している。私はつくづく成長しない人間らしい。

ところで、ジャズクラブのブルーノートと、ブルーノート・レコードは関係がない(青山のブルーノートが店を閉めるそうだ。こけら落としのトニー・ベネットに行ったのがついこあいだのこのような気がする)。ちなみに、ブルーノートとはブルーズから生まれたブルーノート・スケールという音階のこと。

ジャズが熱かった時代の息吹を今も新鮮に伝える名盤の数々を、「超ブルーノート入門」(中山康樹著/集英社新書)でエピソードを読みつつ味わううちに夏の夜は更けていく。

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岩山漆芸美術館

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岩山漆芸美術館自転車で行ってきた。といっても、カテゴリー超A級(ツール・ド・フランスでの山岳ステージの難易度)の坂道だし、猛暑だったので、ほとんど押して歩いたから、「自転車で行ってきた」と書くのは正確ではない。

岩山漆芸美術館は2001年に閉館した旧盛岡橋本美術館を漆芸家の全龍福さんが改修、活用なさっている。                                           かつて私はここで橋本八百二(竹橋の国立近代美術館にも作品がある。県議会議長もつとめた)や八百二と同時代の画家の作品や、バルビゾン派の作品と出会い、それが美術に開眼する一歩となった。それだけに閉館したときの落胆は大きかったが、全さんがとても上手に活用してくださっているので嬉しい。観光客の評判もよく、たくさんの人が訪れている。

全さんは目黒雅叙園の漆芸工芸品の修復で知られている。その雅叙園での個展会場で、私は初めて全さんとお会いした。5年か6年前のことだ。あのころ、全さんは川井村にアトリエを持っていらしたので、「岩手出身です」とご挨拶したところ、初対面にもかかわらず私を昼食に誘ってくださり、芸術のこと、日韓のいろいろなことを話し合った。それ以来のお付き合いである。

岩山漆芸美術館では絵本作家で、「二人のゴッホ ゴッホと賢治37年の軌跡」や「カザルスへ8の旅」などの著書もある伊勢英子さんの原画展がひらかれていた。

その原画を拝見しながら、久しぶりに館内を散策(散策という言葉が似合う建物なんです)した。南部曲屋をそっくりそのまま移築されているフロアもある。昔はあまり気にとめなかったが、よく残してくれたなあ、と思う。

八百二はここを「即興的に建てた」という話が伝わっている。設計図などあってないようなもので、その都度ひらめくままに大工さんに指示し、できあがったのだという。そういうことがまだ許される時代だった。

現在、旧橋本コレクションは盛岡市が寄贈を受け、保管している。残念なことに、盛岡市は市立美術館がないので、常時公開はされていない。

帰りはここに明記できないようなスピードで下った。冷汗で涼しくなった。

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水彩画を描く

       54923_728022811   これは七時雨です。画面中央の建物の手前に、有名なイーハトーヴ・トライアルのスタート台があります。

スキャンでとりこんだためか、実際の絵より色が薄いようです。

毎日30分でも鉛筆と絵筆を手にする習慣をつければ、もっと自由に、思い通りに描けるようになると思うんですが、それがなかなかできない。

でも、上手に描けるようになりたいという意味ではないのです。私が描きたいと思っている「絵」と、できあがった「絵」が違うことに対する反省です。ま、これは楽器にも同じことがいえますが。

54923_650967262 これはイタリア北部のアオスタ市で描きました。水が違うせいか、絵の具の発色がいいように思います。

54923_101014169854923_2066532314 左は平戸(九州は長崎ですね)、右は櫃取周辺。左はペンを使ってみました(上の七時雨もペン使用)。

右の絵が私の「描きたい絵」に近い出来です。

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