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ニュー・シネマ・パラダイス

映像も音楽もイタリア映画の伝統がよみがえったような映画だった。

この映画、 本当は興味がなかったが、郷里(当時、私は盛岡を離れ、川崎市宮前区に住んでいた)の親父から「おまえみたいなのが主人公だ」と電話があり、それで観ることにしたのだった。

私の実家は映画館で、親父はそこの支配人だった。住まいは映画館のなかにあった。なにしろ、もとは芝居小屋(劇場)だったので、バカでかい映画館だった(今はもうない。跡地にはマンションが建っている)。 映写室には「行ってはいけない」と釘をさされていたが、映写技師のおじさんたちも暇なものだから、私の訪問(私にとっては冒険だったが)を喜んでくれた。 そこでの体験はそのままトト少年と重なる。

夏、映写室の窓をあけると、映画館の向かいの建物の壁に映画が反射して映っていることがあった。この映画を観て、そのことを懐かしく思いだした。 同じような経験を岩手県一関市の映画館の息子さんだったKさんもしている。Kさんは、後に大きな映画祭を手がけるプロデューサーになった。トト少年のように映画の道に進んだわけだ。

いっとき、私も映画の道に進もうとしたことがあるが、親父に止められた。親父は日本映画の絶頂期と衰退を身をもって知っているから、その言葉に逆らうことはできなかった。

ちなみに親父は映画館から足を洗い、岩手県民会館で定年を迎えた後、盛岡市民文化ホールの初代館長をつとめ、現在はタウン誌「まち もりおか」(これは「銀座100店」の次に古いタウン誌)の編集長をしている。

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矢巾町芸術祭終了

■昨日は私が贔屓にしている盛岡の弦楽合奏団バディヌリの定期演奏会(盛岡市市民文化ホール大ホール)。これが出色の内容で、素晴らしかった。打ち上げにも参加し、音楽を語り合いつつ飲んだ。演奏と同様、充実した時間だった。 こんないい仲間たちを持つことができたのも、音楽を愛してきたおかげだ。

■で、本日は矢巾町芸術祭(於・矢巾町田園ホール)。所属する田園室内合奏団(私はヴィオラ担当)もトリで出演。ヘンデル「メサイア」から第一番「シンフォニー」、パリー「イギリス組曲」から「V.パストラル」と「VI.アリア」を演奏。昨日のバディヌリの足もとにも及ばないが、透明感のある田園室内合奏団らしい演奏ができたと思う。

田園室内合奏団はこの後、11月27日の田園フィルハーモニー・コンサート(於・矢巾町田園ホール)と12日22日のキャンドルナイト(於・盛岡市おでって大ホール)に出演する予定だ。

■田園室内合奏団の活動を優先させているのだが、さらに12月3日、4日公演の盛岡文士劇の稽古もあるので体も気持ちも休まる暇がない。
というより、本業の時間が---。

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いかす! ズージャ文の世界

10月10の日記の続編です。

引っ越し以来、4年半ぶりに対面した本のなかに「テメエットリのジャズ」があった。
これ、後にロック評論の大御所となる故福田一郎先生(ピンクフロイド公演のとき、「岩手からわざわざ来たんだから、もっといい席でご覧なさい」と前の席をお譲りいただきましたこと忘れません)がジャズ評論家だったころの文章を集めたご本です。
「ダンモ」、「ボントロ」、「シーメの前にルービ」の世界です。

段ボール箱にはさらに「ヒッチコック・マガジン」(宝石社から1959年から1963年まで、二冊の増刊を含めて全50号が発行された)全冊も入っていた。
これ、小林信彦氏がまだ中原弓彦だったころに編集長をつとめられていた幻の雑誌です。
テディ片岡(後の片岡義男氏)ら後に名を成す人たちが書いていますが、そのなかに「レイコ、びっくりしちゃった」という文体でジャズ評論をやっている女子大生がいます。
この御方こそ後の湯川れい子さんです。

宝箱、いや玩具箱のような段ボール箱に付き合っていると時間が経つのも仕事も忘れ--いや、これはマズい!!

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現代の音楽を聴く

うちにいるときはほぼ毎日、NHK-FMのベストオブクラシック(午後7時20分~9時)を聴いている。
今週は特集「海外の現代音楽祭」だ。同番組ではときどき、現代音楽祭特集を組んでくれるが、これこそNHKでなければ聴くことのできない好プログラムだ。

まあ、しかし、こんなのを(といっては語弊があるが)喜んで聴くのは音楽大学で作曲を学んでいる人と、私のような物好きくらいのもので、たぶん日本中で数千人しかいないだろう。

しかし、MOMA展などは長蛇の列ができるのに、現代音楽のコンサートに人が入らないのはいったいなぜだろう。

ピアニストの内田光子さんがクラシック専門誌で「20世紀の美術に比べて音楽は(一般的に)遠い存在だ。でも、シェーンベルクの音楽をあまり好きでない人が、どうしてピカソの〈泣く女〉が好きなのか(好きになれるのか)不思議だ」と発言されていた(カッコ内は私の蛇足めいた補足)。同感だ。

これはあくまでも私見だが、人間は目からの情報に対しては鈍感で、耳からの情報に対しては過敏なのかもしれない。だから、現代音楽には極めて瞬時に拒絶反応を示す。別の言い方をするなら、現代美術展で現代美術を見ても実は(失礼ながら)何も見ていないに等しい。

ともかく、今週はなかなか聴く機会のない現代の音楽をたっぷり味わえるので嬉しい。

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盛岡文士劇の稽古が始まりました。

盛岡文士劇の稽古が昨日から始まった。

今年の演し物は『鞍馬天狗』。鞍馬天狗はもちろん高橋克彦さん。杉作は盛岡文士劇史上、数々の名ポスターを制作してくださったグラフィックデザイナーの山崎文子さん。新撰組局長の近藤勇に谷藤盛岡市長(昨年は県道五段の腕前をご披露いただける場面がなかったが、今回は--)、同副局長に北上秋彦さん。それに、岩手放送の瀬谷佳子アナウンサー、奥村奈緒美アナウンサー、NHKの飯塚洋介アナウンサーらが出演する。
何と飯塚アナは子供のころに劇団ひまわりに在籍していて、『はぐれ刑事純情派』などに子役で出ていたという本格派だから心強い。

私の役は勤皇の志士、桂小五郎だ。
演出家の浅沼久さんが「この役は善玉の二枚目です」とおっしゃるので、「それなら地でいける」と応じたところ、出演者全員から大顰蹙を買ってしまった。アハハ

実はすでに先週から稽古は始まっていたのだが、私はみちのく国際ミステリー映画祭のゲスト兼裏方として忙殺されていたため、昨日が初参加。まだ台本を手にしての「読み稽古」の段階なのに、北上秋彦さんはもう半分以上のセリフを暗記されていた。私は「本番に間に合えばいい」といつも覚えるのが一番遅いのだが、今から覚えても逆に本番までに忘れてしまうアル中ハイマー進行中というのが本当の事情だ(トホホ)。

昨年のような派手さはないものの、脚本が愉快なので芝居として大いに楽しんでいただけるものになると思う。

公演は12月3日、4日。ただ、あいにくチケットはすでに売り切れてしまったという。出演者である私たちでさえチケットを入手できないのだから、いや恐ろしい人気ぶりですなあ(なぜか不思議だが)。

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下北、津軽ツーリング

18日から21日にかけて下北・津軽をツーリングしてきた。これはBMW BIKESの取材ツーリングで、食道園の若旦那(知る人ぞ知るオートバイ&ツーリング・マイスター)に北東北の「快走ルート」を案内してもらうというシリーズの第3弾。ただし、掲載は来年の秋(先行取材ってやつですね)。

〈1日目〉
(盛岡)ー(安比)ー七時雨ー稲庭岳ー六ヶ所村ー松楽ー尻屋崎ー大間ー下風呂温泉
〈2日目〉
f172699_3800623979 下風呂温泉-薬研温泉ー恐山ー脇野沢ー[フェリー]ー蟹田ー今別ー竜飛岬ー龍泊ラインー十三湖-亀ヶ岡遺跡ー岩木山ー弘前

〈3日目〉
弘前ー岩木山スカイラインー弘前(黒石)ー青森(青森中央)ー八甲田ー酸ヶー(黒石)ー(盛岡)

脇野沢から蟹田までは睦奥湾を横断するフェリー(下北汽船)を利用した。所要時間およそ1時間程度の船旅だけど、いつも地べたばかり走りまわっているから、新鮮だった。片道(自動二輪)が3260円はちょっと高いかな。

弘前では「杏」で津軽三味線のライヴを堪能した。いささか期待外れだったのは、遮光器土偶が発見場所として知られている亀ヶ岡遺跡。ベンチとトイレのある小公園に土偶を模した石像が建っているだけなんだもの。

それにしても、3日間とも晴天だったのは嬉しかった。「雨男」の私としては「奇蹟」と呼びたいようなツーリングだった。

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映画祭が終わりました。

第9回みちのく国際ミステリー映画祭が終わった。財政的にますます厳しいと聞いていたが、最新作『まだまだあぶない刑事』(鳥井邦男監督と主演女優の原沙知絵さんが舞台挨拶)、高橋克彦氏原作『オボエテイル』(主演の葛山信吾さん、中村美玲さん、明石知幸監督、芳田秀明監督、久保朝洋監督の舞台挨拶など)、ワールドプレミアム上映『拍手する時に去れ』(チャン・ジン監督の舞台挨拶など)など充実した内容だった。また、新人監督奨励賞の審査員の行定勲監督(第2回の映画祭で同賞を受賞)や時代作家の諸田玲子さんらにも映画祭を盛り上げていただいた。
y チャン・ジン監督も行定監督もこの映画祭がきっかけで盛岡を大事にしてくださっている。低予算ながら、市民が中心になってこつこつと9回もつづけてきた映画祭の財産といっていい。

新人監督奨励賞は『誰がために』の日向寺太郎監督に決まった。この審査会の立会人を私はつとめたが、なごやかな中にも緊張感の漂う、いい選考会だった。

そして、この映画祭、誰が呼んだか飲んべえ映画祭といわれるほど飲む機会が多い。それは私の得意分野なので、ゲストのみなさんに岩手の銘酒を存分に味わっていただくように努めた。
で、本日は休肝日。

明日から三日間、下北~津軽をまわる(BMW BIKESの取材ツーリング)。

2 岩手めんこいテレビ公式サイト連載中

目と耳のライディング」更新しました。

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入門しないジャズ講座

岩手放送ラジオが発作的(年に2回やったり、4回やったり)に放送する同名番組のパーソナリティをつとめています。「入門すれば破門されることもあるんだから、入門なんかしないでジャズを聴こう」というコンセプトです。

ある人が「ジャズ入門したいのですが、何から聴いたらいいですか」とジャズ通に訊いたら、「ディキシーから順を追って」とアドバイスされたそうで。う~ん、ディキシーランド・ジャズから聴き始めてジャズにハマる人は(皆無とはいいませんが)あんまりいないのでは?

ジャズ史に限らず、歴史って、現代を起点にして過去を逆にたどっていくほうが面白いと思います。もっとも、この番組では歴史にもほとんど触れませんが。

今回は「新しめのギターを聴く」と題して、下記を選曲。

ジョナサン・クライズバーグ/ミッシェル
カート・ローゼンウィンケル/ジバゴ
トーステン・グッズ/フォーリング・イン・ラヴ・ウィズ・ラヴ
ジョン・ピッツァレリ/エスタテ
ヤマンドウ・コスタ/雲
ベボ・フェレ/セレステ
エーヴァン・スヴェンソン・トリオ&アントワン・エルヴェ/ワルツ・フォー・ヴァーニャ
アダム・ロジャース/モーメント・イン・タイム

5曲目のジョン・ピッツァレリ以下はナイロン(ガット)弦のアコースティック・ギターを使った演奏です。秋になると、なぜかアコースティック・ギターの音色に浸っていたくなります。

放送は明日15日(日)夜8時から9時まで。

私は今日から恒例の映画祭に参加。

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原稿をいつ書くか。それが問題だ。

 週末にみちのく国際ミステリー映画祭がある。三日間、ゲスト兼接待係として身を粉にして(笑)お手伝いしなければならない。
 しかし、そんな余裕があるだろうか。
 不安になってきた。来週までのスケジュールを確認してみよう。

12日  13時30分~15時:岩手県立美術館運営協議会出席。はじまったばかりのルオー展を見るので早めに家を出ること。

13日  9時30分:「日経エンタテインメント」の電話インタビュー。

14日~16日  第9回みちのく国際ミステリー映画祭参加。

17日  映画祭で三日間飲みつづけるので休肝日。

18日~20日  BMWBIKES取材ツーリングで下北、津軽へ。

21日 10時~17時:盛岡市行財政構造改革推進会議出席。19時~ 盛岡文士劇稽古。                                                               

22日 9時~ 近代遺産見学会参加。

23日 10時~12時:田園室内合奏団練習。

  この間にエッセイ、紀行文、コラムなど5本の締切りがある。む、む、無理だ! 書く時間がない。
  上記のうち、仕事といえるのは(つまり、収入に結びつくのは)13日に受ける電話インタビューと18日~20日のツーリング取材のみ( ただし、これは来年の9月に発売する号の先行取材なので支払いも来年の秋になる)。こういうのって、多忙とはいえませんよね。
 雑用(といっては問題があるけれど)が本業を圧迫しているわけで、何とかしないといけないなあ。

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本が出てきた。

 勉強部屋を少し片付けた。そんなことをしている余裕はないのだが、試験が近づくと部屋の片付けをしたくなるという昔の習性がときどき出てくる。 ま、しかし、おかげで7月20日のブログに「見つからない」と書いた本が見つかった。

 で、どれだけ片付いたかというと、さほど成果はなかったような気がしないでもない。勉強部屋の隣の部屋(六畳ほどだろうか)に本棚を12本(本棚を数える単位は何だろう)置いて書庫としているのだが、収容力を超えてしまっているせいだ。  本棚に収まりきらないのは、判型の大きい図録だ(絵の展覧会場で売ってるやつですね)。これを収めるにはかなり頑丈で大きな本棚が必要だ。でも、そんな本棚を置けるスペースはうちにはもうない。

  本の整理をしていて、まだ見つからない本があることに気がついた。グリール・マーカス著「ミステリー・トレイン」だ。やっぱり、再購入するしかないか。だけど、買うと出てくるんだよなあ。

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「和賀川学校」のち「12人の怒れる男」

■沢内村で「沢内和賀川学校」というシンポジウムにパネラーとして参加してきた。地域の財産である和賀川の魅力と、これからの活用のあり方について、鍔山英次氏(写真家)、村田久氏(釣り名人)という大御所の隅っこでアレコレ語ってくる。

この模様は10/15(土)午前9時25分からテレビ岩手「土曜、どこか行こうヨ!」のなかで紹介されるとのこと。

今春急逝された加藤昭男沢内村長は、私が卒業した城南小学校の担任の先生だった。今日の会場に未亡人がおみえになられていたが、言葉に詰まってろくにお悔やみの言葉も言えなかった。
その後を継いだ高橋村長は何と「わたし、高橋克彦のいとこです」とのこと。私は克彦さんの一番弟子だから、沢内村とは何かと縁があるようだ。

沢内村は来月、湯田町と合併して、西和賀町が誕生する。

■速攻で盛岡に帰り、プラザおでってメインホールでミステリー劇『12人の怒れる男』のゲネプロ(ゲネラルプローベ=最終総合練習)を観る。
これは第9回みちのく国際ミステリー映画祭恒例のプレイベントだ。

映画は演劇、美術、音楽などの総合芸術だ。だから、この映画祭では演劇とライヴにも力を入れている。他に類をみない企画といっていい。盛岡は音楽、演劇ともにレベルが高いのでこの企画が実現できた。

44031987_121 『12人の怒れる男』はシドニー・ルメット監督、ヘンリー・フォンダ主演の社会派映画の名作だが、実は演劇の映画化ではなく、映画が後に演劇化された(これは普通と順序が逆で、たいていは5年前に上演した『暗くなるまで待って』のように演劇で当たったものがを映画化される)。
盛岡版では陪審員を9人(日本で行なわれる陪審員制が9人なので)にし、オリジナルは男性だけだが、女性を加えて今日性を高めた。

出来はひじょうによかった。9人の個性が際立っていたのは、演出家浅沼久氏の手腕だろう。それに応えたキャストも素晴らしい。ことにオンシアター自在社の福地智恵子さんの役(映画ではヘンリー・フォンダが演じた)は、実直さと芯に秘めた正義感を求められる。これは癖のある悪役よりもずっと難しい役だが、さすがに演技派だけのことはある。みごとに演じきっていて、説得力があった(福地さんは2003年のミステリー劇『情婦』でもマレーネ・ディートリッヒ顔負けの凄い演技で観客を魅了している)。

緊張感のある推理劇を堪能した。
付け加えておくと、出演者はアマ劇団員と一般の方、アナウンサーである。

本番は明日。

■それにしても、「12人の怒れる男」や「スミス、都へ行く」などを、今、 藪大統領を含む多くのアメリカ人に観てもらいたいものだ。

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秋のツーリングに行きたい

窓から見える山々が、心なしか秋の色に変わりつつある。これから雪が降るまでの短いあいだが、実はツーリングに絶好のシーズンでもある。

私は年間8,000キロから10,000キロほど走行するが、今年はいつもの半分くらいにとどまっている。さほど忙しかったわけでもないので、時間の使い方が下手なのだ。しかし、一番の理由は、ツーリングを予定していた日に限って雨が降ったからだ。仕方なく車で出かけたこともあった。

そんなわけで私はしばしば「雨男」と呼ばれる。事実なので仕方がないです。トホホ。

15531407_159 これは5月の連休に八幡平へ行ったときの写真だ。今年は雪が多かったので、いつにも増して雪の壁が高かった。周囲の雄大な風景を見ることはできないものの、自然の力をダイレクトに感じることができる。だから、私は飽きずに毎年、この季節には八幡平アスピーテラインと樹海ラインをツーリングしている。

この写真を見て、今年最初のツーリングを懐かしく思いだしながら、これからのツーリング計画などを考えている。

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小沢征爾&ロストロポーヴィチ コンサート・キャラバン

 岩手めんこいテレビ公式サイトに連載中の『目と耳のライディング』の第106回と第107回にコンサート・キャラバン2005(8月23日のブログをご参照ください)について書きましたが、まだ書き足りないのでこっちに追記しておきます。

 コンサート・キャラバン2005はボランティアスタッフ、ホームステイ受け入れ先などの協力によって支えられています。演奏が行なわれる各地では事前にTシャツを販売し、これが経費に充てられた。物資の援助をしてくださった企業もあれば、多額の寄付をしてくださった個人の方もいる。つまり、市民の多大な協力と援助による活動がコンサート・キャラバンなんですね。
 もちろん、小沢征爾氏もスラヴァ(ムスティラフ・ロストロポーヴィチの愛称)も無償です。

 宮古市の浄土ヶ浜パークホテルで、宮古市民との交流パーティが催された。
このとき、オーケストラの面々が突如、楽器を会場に持ち込んだ。そして、「みなさんに感謝の思いをこめて」と演奏をしてくださった。予定外のことだった。
 曲目はモーツァルトのディベルティメントK136。
「この曲は斎藤秀雄先生が最後に振った曲なんですよ。やばいなあ」
 ほろ酔い加減の小澤征爾氏が頭を掻きつつ、指揮をされた。
 それは、正式なコンサートでは決して見ることのできない指揮で、会場にいた人々を大いにわかせた。

 吉里吉里小学校での印象的な演奏会の後、キャラバンは大槌港でランチをとった。地元の人々の手料理である。
 ランチ会場では大槌高校吹奏楽部による歓迎の演奏があった。 これが愉快な演奏で、オーケストラのメンバーも食事をそっちのけで楽しんだ。

 さらに、オーケストラの管楽器奏者たちが、吹奏楽部の部員たちの個人指導をはじめてしまった(はじめてしまった、と書いたのは、これは予定外だったため、その後のスケジュールに大きな影響を与えることになったからだ。でも、私はこういうこともキャラバンの意義と魅力なのではないかと思っている。長く待っていただいた別会場のみなさんもきっと理解してくださるだろう)。 これがひじょうに効果的な指導だった。楽器の調整から構え方、息の使い方など基本的なことなのだが、指導前と指導後の違いは傍で聴いていて驚くほどだった(指導されている先生も「わっ、〇〇くん、できたじゃないの!」と驚かれていた)。

後日、大槌町の知人から嬉しいニュースがもたらされました。あのときの吹奏楽部が、吹奏楽の東北大会でみごと1位に輝き、10月8、9日に千葉市で開かれる第5回東日本学校吹奏楽大会に進むことになったのだ。
これを知れば、オーケストラの面々も一緒に喜んでくれるに違いない。

 キャラバン・コンサートの「隠れた名物」に楽器紹介がある。各パートの奏者が趣向をこらして、短いながら印象的かつ、その楽器の特色を最大限に発揮する曲を演奏して楽器を紹介する。この「楽器紹介コーナー」を僕も毎回楽しみにしていた。
 どの会場でも同じ曲で通したパートもあれば、全部違う曲だったパートもあった(前夜、寝る間を惜しんで必死に編曲をしたのだという)。

 印象的だったのは、最初のうち、ヴィルトゥオージティというか高度な演奏技術を発揮していた奏者たちが、回を重ねるにつれて、シンプルな曲の演奏へと変化していった点だ。そして、最終日前日は奇しくも二つのパートが「ふるさと」の一節を演奏した。
 それはちょっと尋常ではない演奏だった。とても短い演奏のなかに、思いが凝縮していた。私は涙を拭きながら拍手を送った。
 東京という大都会で暮らす彼らが、日本の原風景といっていい岩手の田舎を巡っていくなかで、何か変化が起きたのは明らかだった。彼らはわずか一週間で、かけがえのない経験をした。そのことがはっきりと感じられた。

 もうひとつ付け加えておこう。
 『目と耳のライディング』にも書いたように、私の車で小澤征爾氏とスラヴァが移動したことがある。地元の人々の多くは、黒塗りのセダンで登場するものと思っていたので、意外だったようだ。小沢征爾氏もスラヴァも特別扱いを嫌う(特別扱いが必要な時と場所ではそうではないだろうが、今回はそういう場ではなかった)。だから、オーケストラと一緒にバスで移動することもあった。

 小澤征爾氏とロストロポーヴィチ氏の食事の席が別に設けられている場合がしばしばあった。小沢征爾氏は「みんなと一緒のほうがいい」とこういう特別扱いを断った。
 それが単なるポーズじゃないのは、誰とでも親しく言葉を交わすことからもわかる。各地で人々はそんな小沢征爾氏の人柄に打たれた。

 スラヴァもまた然り。車椅子の子供を抱きしめてキスをする。老人と握手を交わす。それらをごく自然にやっている。
「スラヴァという人は、音楽で泣かせ、スピーチで泣かせ、ああやって行動でも泣かせる--」
 スタッフの誰かがそう呟いた。私もまったく同感だった。

 コンサート・キャラバン2005に(すべての日程ではないが)参加できたことを私は一生の宝にするだろう。
  音楽を愛してきてよかった。

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盛岡市文化振興事業団アドバイザー

 今日は少しおカタい話です。
 このたび盛岡市文化振興事業団のアドバイザーに就任しました(10月1日付け)。以下は岩手日報「風通信」に書いたコラムの一部です。文化施設あるいは文化行政についての私の考えを述べています。

 盛岡にはキャラホール、岩手県民会館、盛岡劇場、市民文化ホール(マリオス)などがある。作曲家で指揮者の外山雄三氏は「盛岡は恵まれていて羨ましい。仙台にも盛岡のようにホールがあったらなあ」とおっしゃっていたが、盛岡のほとんどの方は「恵まれている」とは思っていないようだ。残念なことに「無駄にホールが多い」とか「お役所的なやり方が目立ち、利用しにくい」という声もよく聞く。

 今、公共ホールなどの文化施設は独立採算制の導入や民営化、指定管理者制度の導入など大きな岐路に立たされている。効率化のみを尺度にする方策には反対だが、現状の見直しが必要なのは改めていうまでもない。文化施設とて決して「聖域」ではないのだ。私が何よりも恐れるのは、市民から文化施設が見放されることだ。

 ここで私は文化施設と書いているが、それは建物(ハード)を指すと同時にそれよりも文化施設の運営(ソフト)に重点を置いている。
かつて盛岡劇場は、充分な施設とはいえないにもかかわらず、市民との協働を先取りした運営に取り組み、全国の舞台監督のアンケート調査で「使いやすいホール全国二位」に選出されたことがある。また、キャラホールが参加育成型の音楽事業で注目されたこともあった。

  ところが、手間のかかる市民参加型の事業はどんどん減ってきている。クラシックの大物アーティストのコンサートは充実しており、音楽ファンとしては嬉しい限りだが、クラシックファンが育っているとはいえないし、育てようともしていない。
  演劇だろうと音楽だろうと地に足がついた市民の文化活動という底支えがなければ定着しないし、発展もありえない。このままでは大物アーティストを招いても空席が目立つようになり、そのうちクラシックコンサートなどは「採算が合わない」と切り捨てられるだろう。

 地域を機軸とした活動や、いわゆる教育普及活動を文化施設が怠れば、自ら文化施設を滅ぼすことになる。これらは、プロモーターが売り込んでくる大物アーティストのコンサートをひらくのと違って、智恵も手間もかかる。そういう意味でも、各文化施設の長は単なる施設管理責任者であってはならず、地域の文化振興に対する深い見識と実行力、そして市民が何を求めているのかを把握するために、市民に向かってひらかれた耳を持っていることが求められる。
 市では盛んに市民協働を訴え、着実に進めている。その点からいっても、文化事業ほど行政と市民が一体になって進めるのにうってつけのものはない(環境保護活動もそうなのだが、これについては機会を改める)。宝の持ち腐れなどと他都市の人たちから言われないような文化施設のあり方をみんなで考え、取り組んでいくシステムをつくっていくことが私たち住民の課題だ。

 盛岡はいいホールに恵まれていて、いい演奏家による音楽会もある。立派な美術館もある。私たちはそれらを享受するばかりでなく(あるいは与えてほしいと望むばかりでなく)、自ら文化を支え、育て、高めていく義務がある。この義務をまっとうしてこそ、公共の文化施設は初めて市民が誇れる共有財産となる。

 上記に関連して、盛岡タイムスに書いたコラムです。クリックすると読めます。

〈『芸術立国論』を読む〉
http://morioka-times.com/news/0406/24/04062406.htm
〈『イベント創造の時代 自治体と市民によるアートマネージメント』を読む〉
http://morioka-times.com/news/0412/21/0412106.htm
〈『イベント創造の時代 自治体と市民によるアートマネージメント』を読む・その2〉
http://morioka-times.com/news/0501/27/05012708.htm
〈『指定管理者制度』を読む〉
http://morioka-times.com/news/0502/22/0502312.htm

 さしあたっての課題は、文化施設が「まちづくり」や「活性化」のシンポルであることを認識し、どのようなビジョンをもって活動していくべきかをきちんと考え、表明すること。利用者の側に立った運営(ホールを貸してやる、ではなく、借りていただくという基本姿勢の徹底)だと思っています。市民からの声をひろいあげ、反映させていく努力も必要なのはいうまでもありません。

   

  これは無報酬ですが、だからといって肩書だけではなく、ちゃんと結果が見えるように努力していきたいと思っています。また、そのための就任依頼と受け止めています。他のアドバイザー(2名)は私など足もとにも及ばない、その道の専門家ですので心強いかぎりです。

 それにしても、ただ働きが増える一方です(笑)。今月は第9回みちのく国際ミステリー映画祭でもコキ使われます。

sign 岩手めんこいテレビ公式サイト

目と耳のライディング」連載中

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