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ジャン・コクトー展を観る

岩手めんこいテレビ公式サイト連載中の『目と耳のライディング』第124回に、サヴァリン・ワンダーマン・コレクション『ジャン・コクトー展』の感想を書きました。

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臓器提供意思表示カード

免許証と一緒に臓器提供意思表示カードを持ち歩いている。カードを確認したら、、1998年の署名となっている。

何かのとき、ぼくの体が少しでも役に立つなら使ってほしいと思い、このカードを持つようになった。なるべく、子供に提供したいと思っているのだが、相手は選べない。あるいは、ちゃんと子供を優先する仕組みになっているのかもしれない。

ただ、これは「脳死を人の死として認める」という議論と別のものであることは明記しておきたい。これは「ぼくにかぎっては」という個人的な行為にすぎず、他人に(あるいは一般論として)「脳死は人の死である」と押しつけようとは思っていない。また、ぼくは50年近くも生きてきたから、ひとさまの臓器をちょうだいしてまで生きたいとは望まない。

臓器提供意思カード所持は妻と話し合って決めたことで、妻も持っているし、カードにはお互いに署名もしてある。これがないと死後に遺族が揉め、本人の意思が尊重されない場合が少なくない。

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華麗なる古典舞踏

珍しい古典舞踏のコンサートがあります。
古典舞踏はルネサンス、バロック期のダンスです。やがて、振り付けが突出してバレエに、歌も入って劇性が高まってオペラになっていったそうです。

バロック音楽を聴いていますと、メヌエットとかブーレ、パヴァーヌという曲名があります。これは当時のダンスの種類です。

当時、楽譜にダンスのステップが書かれたものがありまして、これを舞踏譜といいます。その舞踏譜をもとに再現するのが、今回のコンサートです。ちなみに、バロック音楽を演奏するには、古典舞踏の素養が不可欠ですが、これまでは研究が充分ではありませんでした。古楽が大胆かつ斬新に復活した20世紀も半ばになって、ようやく古典舞踏も注目されるようになりました。

〈曲目(楽器構成)〉

〈曲目〉
①パヴァーヌ        Dan  S  R  Vn  Lu  Vc  Cm
② ガイヤルド               Dan   S Lu
(J・ダウランド 1562/63~1626英)

                 
③無伴奏チェロ                          Vc
組曲第1番BWV 1007 ト長調より
プレリュード   サラバンド  ジーグ
(J・S・バッハ 1685~1750独) 

④ Zのメヌエット                     Dan Vn Vc  Cm
(P・Torri) 

⑤ ヴァイオリンソナタ イ長調             Vn  Cm
作品2の2RV31
プレリュード カプリチオ  コレンテ  アダージョ  ジーガ
(A・ヴィヴァルデイ 1678~1741伊)

⑥ フォリア                         Dan Vn Vc Cm
(A・コレッリ 1653~1713伊)

第2部 (Cm 岡田龍之介)

⑦ アルマンド       Dan  Ft  Vn  Lu  Vc  Cm
(A・カンプラ1660~1744仏)

⑧ フルートソナタ                 Ft  Vc  Cm
ニ長調HWV 378
アダージョ  アレグロ   アダージョ  アレグロ
(G・F・ヘンデル 1685~1759英)

⑨ カンタータ「愛らしい羊飼いの娘」    S  Lu  Vc  Cm
(G・F・ヘンデル)

⑩ 二人のサラバンド                Dan  Ft  Lu  Cm
(A・カンプラ)

⑪ パリ四重奏曲第2番                  Ft  Vn  Vc  Cm
(G・P・テレマン 1681~1767独)

Dan  舞 踊              Vn ヴァィオリン
S  ソプラノ              Lu  リュート
R  リコーダー           Vc  チェロ
Ft  フラウト・トラヴェルソ    Cm  チェンバロ

というわけで、岩手では(たぶん)初めて、東北でもめったに見られないコンサートです。ぜひお出かけください。

6月2日(金)マリオス中ホールで18時30分開演。大人3000円、高校生2000円です。問い合わせは019-692-2698、しずくいし音楽館。なお、これはしずくいし音楽館10周年記念事業です(盛岡タイムスの記事をご参照ください)。

音楽監督にチェンバロ奏者の岡田龍之介さんを迎え、古典舞踏の第一人者である古賀穂南美さん、岩手在住のヴァイオリニスト山口あういさん他が出演します。実はぼくが案内役をつとめます。みなさんと一緒に楽しむことができれば嬉しいです。

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反ペーパータオル

トイレのペーパータオルを初めて使ったのは、いつだったろうか。そんなに昔のことではないような気がする。そして、ペーパータオルを設置しているトイレには何となく高級な印象を抱いたものだ。

現在、ぼくはペーパータオルを使わない。手を拭かないのではなく、ハンカチかバンダナチーフをいつも持ち歩いているから、そんなものは使わなくてもすむのだ。ただ手を拭くだけのことに紙を使い捨てるなんて、もったいない。たとえ、リサイルするにしても、そのエネルギーを考えれば無駄なこと、この上ない。

かつては豊かさの象徴だったかもしれないペーパータオルも、こんにちでは貧困な想像力の象徴でしかない。そして、あんなものを(一人で何枚も使っている御仁も少なくないが)何の疑問もなく使う人たち精神構造も推して知るべし。ペーパータオルで手を拭く前に、顔を洗って、考えてみてはいかがだろうか。

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うちから30キロでガス欠

ずいぶん長いこと、サイクリングをしていない。今日、あまりの天気のよさに誘われて花巻を目指した。
花巻までは片道およそ30キロ程度で、ほとんが平坦路だ。楽勝とはいえないけれど、脚慣らしにはちょうどいいだろう。

交通量のHanamaki多い国道を通らず、田植え中の農道をあちこち回り道しているうちにバテてきた。空腹で脚に力が入らない。ガス欠である。うちを出て2時間、ちょうど30キロの地点だった。回り道などしないで向かっていれば花巻に着いていただろうに、まだちょっと手前の石鳥谷だった。
ところが、ここは合併して花巻市になったので、初期の目標はかろうじて達成したことになる。

佐々木屋(石鳥谷の蕎麦屋)でラーメンを食べようと寄ってみると、なんと定休日だった(ぼくはこれがよくある)。ここは、蕎麦ツユを鳥ガラダシで割ったSasakiya スープの和風ラーメンで有名。前から食べたいと思っていたのに。

名物の酒饅頭(ここは南部杜氏発祥の地)を買って帰路につく。

別ルートで矢巾を経由し、矢巾駅前の横澤酒店でトイレ休止とミネラルウォーターの補充をした。「月の輪」の新製品、酒粕の焼酎(いわゆるカストリ焼酎)があったので入手。これは3月に「月の輪」の酒蔵見学をしたときに、仕込んでいるのを拝見している。本日入荷とのことで、ラッキーだった(500ミリリットル1,400円、35度)。

カッコーとウグイスとキジの鳴き声、それに爽やかな風に励まされてどうにか走りきった。次回は片道40キロを目指すぞ。携行食(カロリーメイト、ウィンダーインゼリーなど)も忘れずに持とう。

総走行距離:65.25キロ
走行時間(実際に走った時間で、食事や休息を除く):4時間
平均速度:16.2キロ
最高速度:36.3キロ(どこで出たのかなあ)

服装:ウィンドブレーカー(出発後、すぐに脱ぐ。その後、ずっと着なかった)、ダクロンのポロシャツ、アームウォーマー、薄手のストレッチ・ジーンズ(本物志向派は顔をしかめるだろうけれど、自転車にはこれがいい)、スニーカー

Omiyage 持ち物:修理キット(パンク修理キットは持たずスペアチューブを持つ)、デジタルカメラ、携帯電話、FMラジオ、財布、水筒、手拭い(お土産の下に敷いているのがそう。腰に下げておくと乾くから使い勝手がいい)

自転車はいつものビアンキ・ボルペ。毎年、ロードレース・モデルに心が傾くが、今日は砂利道も3キロくらいあった。クロスバイクだから走りぬけることができたわけで、やっぱりこの自転車はいい。大切に長く使おうと固く心に誓う。

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『ダ・ヴィンチ・コード』を観る

映画『ダ・ヴィンチ・コード』が昨日、世界一斉に封切りになった。改めて言うまでもなく、同名のベストセラー小説が原作だ。

ぼくは映画と小説は別物だと思っている。小説は(映画になどしていただかなくとも)それじたいで完結している。映画化するなら、小説とは別の次元の映画ならではの世界を見せてほしいと思う。そうでなければ、単なる映像化にすぎない。

ぼくが期待しすぎたのかもしれないが、残念ながら、本作は映画化ではなく、映像化した作品だった。ロン・ハワード監督やジャン・レノにとっては収入のプラスにはなっても、キャリアのプラスにはならなかったんじゃないだろうか。

ストーリーの簡略化と映像化によって、原作の持っていたリアリティが失われている。これは別に珍しいことではなく、文章のほうがリアリティを表現ができる場合があるという一例にすぎない。この映画が原作より先に公開されていたら、バチカンの不興を買うこともなく、こんにちの奇妙な社会現象を招くこともなかっただろう(つまり、インパクトが弱い)。

奇妙な社会現象は「小説(フィクション)」として発表されたものをノンフィクションとして受け取ってしまった純朴な人々が引き起こしている。 映画ではその混乱を避ける努力がなされていた。 原作ではまえがきで「すべて事実に基づいている」と断っているのに対し(ここからすでに小説=フィクションがはじまっているわけだが)、映画では例によって最後に「この映画に出てくる団体~はすべてフィクションです」となっているのだ。これには笑った。

笑ったといえば、ロンドンのバスの場面でリン・ピクネットとクライヴ・プリンス(「マグダラとヨハネのミステリー」、「トリノ聖骸布の謎」などの共著者)が乗り合わせているのにも笑った。こういう遊びがあるとは。

『ジュラシックパーク』もそうだったが、映画化は小説から毒を抜く。その毒こそが著者の最も言いたい肝心なことなのに。

本作は原作を読まないで観るほうが「単純な宝探しもの」として楽しめるかもしれない。ただし、このレベルの映画はごまんとある。

ぼくの知人(ぼくと違って映画マニア)は「そもそも原作が、まるでノベライズ(映画を小説化したもの)みたいなものだから、わざわざ映画を観る必要がない。行くのは図柄や建物を観るだけのため」と言っていた。 そういう方のために角川書店からヴィジュアル版が出ている。これには作中の絵画、建物、場所などの写真が豊富に載っている。ぼくは美術展の図録や画集をひっぱりだして読んだから、こういう本があるといいな、と思っていたのだ。

ここから下は映画を観ていない人、原作を読んでいない人は読まないでください。

同映画の封切りを伝える岩手日報20日夕刊の記事(共同通信配信)に〈キリストが子どもをもうけ、カトリック教会がその事実を隠したという設定が議論を呼び〉という文があった。これって、ネタバレじゃないの? もう少し気をつかってほしい。

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まちなみフォーラム

盛岡ブランド・フォーラム・まちなみ景観づくり「盛岡町家の町並みと暮らしを魅せる」(17日午後6時半から/盛岡市プラザおでってホール)を拝聴してきた。

菅原由美子さん(地域振興アドバイザー)の「観光とは〈くにの光を観せる、観ること〉」というお話に頷きつつ、各地の事例紹介を楽しく聞いた。「ここは道が細くて開発されず、たまたま残った地域。それでも、こんなに失われている」というのが、現存する古い町並みに共通していることのようだ。

それで思いだすのが、「ヴェネツィアは貧しさの象徴だ」という、ある美学者の言葉だ。中世に商業都市として栄えたヴェネツィアはその後役割を終えて寂れる。ところが、気がついてみると、中世がそのまま残る「貴重な観光都市」となっていた。もし、ヴェネツィアが19世紀以降も経済的に栄えつづけていれば、昔の建物は一掃されて、近代的なビルが建ち並んでいたに違いない(いや、あそこは杭を土台にした海上都市だから、ビルは無理か)。

世界自然遺産となった白神山地にも同じことがいえる。山好きのあいだにさえほとんど知られていなかった僻地ゆえ、開発の手を逃れて原生的自然をこんにちまで残すことになった。白神の自然保護運動の先駆者である根深誠氏が語った「一番遅れた土地が、最先端の土地になった」という言葉も忘れられない。

鉈屋町が「遅れた土地」「貧しさの象徴」だとは決して思わない。実際、まちなみ塾のときに公開される町屋を訪問し、その暮らしぶりをうかがうと、盛岡が誇るべき豊かさの象徴がそこにある。豊かさとは道路をクルマが埋め尽くし、高層ビルが空を狭くする都市を言うのではない。それは前世紀までの価値観だ。

都市計画によると、鉈屋町は道路拡幅によって町並みが破壊される可能性もある。この日、パネラーからも鉈屋町で暮らしている方々からも「大きな道路は古い町並みばかりでなく、コミュニティも破壊する」という指摘があった。それは「くにの光」を奪うことに他ならない。

町並み保存は容易なことではない。そこに暮らす人はもちろんのこと、我々盛岡市民が「覚悟」を決めなければ実現しない。木曽路の宿場町では「(土地を)売らない、貸さない、(建物を)壊さない」と住民が覚悟を決めて保存に取り組んだ。

改めて考えてみれば、中心市街地活性化も町並み保存も交通問題も、ひいては盛岡ブランドも、すべて「市民の覚悟」にかかっている。ぼくたちは覚悟を試されている時代に生きているのかもしれない。

追記:20代の男性が何人か参加していた。嬉しいことだ。

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『こぐこぐ自転車』を読む

昨日に続いて自転車本の紹介です。
「年寄りの独り言を金出してまで読む気が知れない」と、ぼくの知人は言うのだが、そういうのが好きなんだからしようがない。
なにしろ、『ヘンリ・ライクロフトの手記』なんてのが愛読書なのだから。

老人というのは、偏屈か、ものわかりがいいかのどっちかだと思っていたら、古希をまたいで自転車に熱中しはじめたという著者はそのバランスが絶妙だ。毒もたっぷり含んでいるのだが、厭味がない。ユーモアという知性で包んでいるからだが、ま、要するに「人生の余裕」でもって書き上げた逸品ですね。

文章もまったく力みがなく、読みやすい。軽いけれど、決して軽薄ではない。タダモノではないな、と思ったら、なんと伊藤整のご子息なのだそうだ(この本ではそんなことはおくびにも出されていない)。

本書に出てくる多摩川サイクリングロードはぼくもずいぶん走ったので、懐かしく読んだ。また、著者が北海道のホテルで経験した自転車差別(自転車と自転車乗りを邪魔者扱いしがちで、高級車とそれに乗ってきた人を大事にする)はぼくも覚えがある。 著者はホテルの経営者にあたっている連中は想像力が貧弱だからと一刀両断だが、昨今想像力が貧弱な連中はホテル経営にとどまるまい。盛岡駅の西口に岩手県がつくった豪華な施設は、駅の東側から自転車で行くことすら困難なのだから。

あとがきに「こぐこぐ自転車」は〈岩手の「チャグチャグ馬こ」を連想させないでもないと書いていらっしゃる。この方、きっといい人に違いありません。

自転車のいいのは、目的地をピカピカ光らせてくれるところにある。汽車や自動車ではそんなふうにならないはこの本の白眉と言っていい名文だ。

そして、著者自身、自転車を相手に子供のように目を輝かせているのが何よりも素晴らしい。

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『華麗なる双輪主義』を読む

ぼくも歳をとったせいか、こういう一人よがり(なにしろ、ご自分の自転車生活を紹介するのに「華麗なる」と自画自賛する御方だ)を楽しめるようになった。

サブタイトル「スタイルのある自転車生活」の通り、あたりかまわず自分の言いたいことだけを言う爺いスタイル(ごめんなさい)の文章なのだが、これが実にいい。なにしろ、経験を積んだ達人なのだ。
「文句あっか」
とはジェントルマンだから決して書かないけれど、そういう姿勢に貫かれている。
英国ものを中心とした自転車グッズの写真も嬉しい。実際、ぼくもヒントをいただいた。 著者のいう「普段使いのものを活かす」の普段使いは、ぼくのような庶民レベルのそれとは異なるものの、読んでいて楽しい。

著者はスローライフという言葉もロハスという言葉も使っていないが、スローライフやロハスの教科書にもなる。

必ずしも一般向けの内容とはいえないが、こういう本が出版されるということが(心の)豊かさを生み、自転車文化を向上させると思う。

版元に注文がある。いささか編集に問題があるように思った(セリフとセリフのあいだの1行アキなど目障り)。こういう処理の仕方で本の品格が左右するのだから、気を配ってあげるべきだろう。 蛇足ながら、この人、たぶん吉田健一の影響を受けていますね。

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愛用品 水彩道具

261483_3421977902 ぼくが使っている水彩画の道具だ。ウィンザー&ニュートンの固形絵の具が10数色(どの色を持つかは季節によって異なる)、筆(ペンサックを用い、短く仕舞えるように工夫してある)、水入れ、ガーゼ(またはスポンジ)、ペン(万年筆や筆ペン)、鉛筆などをカセットウォークマン用の袋とほぼ同じサイズの袋に収めてある。絵の具は6色もあれば充分なのだが、まだまだ修行が足りない。

スケッチブックはごく普通のもので、F4~6号が多い。両面使えるものも愛用している(開いて使えば、大きな絵が描ける)。

先月創刊した北東北エリアマガジン「ラクラ」に『走れ、自転車探訪者』というエッセイの連載をはじめた。これに水彩画も描いている。第1回に描いた↓は、横手郊外から見た奥羽山脈だ。

Photo

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祝!

松田隆行さん(八戸市出身)が、青森県の5大民謡全国大会「小原節の部」で優勝しました(参照記事)。

松田さんは津軽三味線の全国大会で3連覇という偉業を成し遂げている。2連覇した方は何人もいるが、3連覇は松田さんだけ。津軽では「3連覇して1人前」というそうで、いや、大変な世界だ。

松田さんは小さい頃は民謡歌手を目指したが、声変わりなどで津軽三味線に転向したそうだ。それでも「津軽三味線をやるには、やはり民謡をちゃんと歌えないといけない」という信念のもと(高橋竹山も同じことを主張していており、「民謡を感じさせない三味線が増えた」と嘆いていた)、民謡にチャレンジし、これで二度目の優勝となった。

古典を重んじた上で、新しい音楽を追求している松田さんの今後の活躍を大いに期待したい。

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さようなら、村上善男さん

村上善男さんが亡くなられた。

岡本太郎門下の一人で、60年代はアヴァンギャルドの旗手として活躍し、ニューヨークでも評価された。津軽(弘前)と南部(盛岡)を拠点に、「風土と芸術」を常に意識した創作と執筆活動をされてきた。
お加減が悪いとうかがっていたが、盛岡のタウン誌『まち』には健筆をふるっていらしたので訃報に驚いた。

7年前だったろうか。春秋社の編集者T氏が、
「装丁をお願いしに行った美術家が盛岡出身なのを思いだして。斎藤さんを知っているだろうかとお訊きしたところ、『知ってるも何も、こんな小さなときから』と--。誰だかわかりますか」
「村上善男さんでしょうか」
「当たり!」
「もう何十年もお会いしていませんが」
「村上先生もそうおっしゃってました」

村上さんの個展が銀座でひらかれるとT氏から聞き、足を運んだところ、たまたま村上さんもいらしていて、再会することができた。
「ああ、その目だ」ぼくを見るなり、村上さんはおっしゃった。「その大きな目でぼくをじっと見ていたっけ。変わらないね」
ぼくがまだ小学生のころの話だ。
村上さんはしょっちゅう我が家に、酒を飲みにいらしていた。子供ながらに「偉い画家の先生」と認識していたから、好奇心を持っていたのだろう。

古文書をベースにした作品を見て、ぼくは感想を言った。
「ICチップに似ていますね。最先端のICチップも拡大して内部を窺えば、古い文化や、漢字の世界が凝縮されているという意味でしょうか」
ところが、村上さんはICチップをご存じなかった。

この再会がきっかけになり、お互いに本を送ったり送られたりするようになった。
新聞のコラムで『赤い兎―岡本太郎頌』(創風社)を「岡本太郎を語ることで村上氏自身を語る自画像のような本」と紹介したところ、「いい文章を書くなあ」と褒めていただいたことを思いだす。

最後にお会いしたのは、岩手県立美術館で何かの展覧会の初日だった。「知り合いといっぱい会うから、初日ではなく、別の日にゆっくり観るほうがいいね」とおっしゃって、笑った。その笑顔が今も脳裏に焼きついている。

132095733_150 写真は村上さんが弘前で乗っていたペデルセン。日本に数台しかない自転車で、ほかには永六輔さんが乗っていらっしゃる。いかにもダンディな村上さんらしい。

まだまだこれからの創作活動が楽しみな方だった。いろいろと教えていただきたいこともたくさん残っている。

喪失感ばかりがしだいに大きくなっていく。

5月21日、盛岡で「お別れ会」があった。都合がつかず、出席できなかったが、盛岡タイムスがそのようすを伝えている。改めて、ご冥福をお祈りします(22日追記)。

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桜と共に

朝から風が強い。
29日(から30日にかけて)一斉に開花した桜が、今日(8日)、GWの終わりと共に散ろうとしている。みごとなもんです。

GW中は--
〇盛岡城址(岩手公園)で文化地層研究会のお花見。
〇念願の北上展勝地でお花見。華麗な花吹雪を見た。市民がドンチャン騒ぎしないで静かに楽しんでいることに感服。
〇友人主催の高松の池のお花見には参加できなかったが、自転車で出かけてみた。凄い人出だった。
〇BMWR1150ロードスターで遠野へ。ここも凄い人出だった。遠野博物館とみやもりホールで勉強。
〇映画『プロデューサーズ』を見た。笑っているうちに終わった。ユマ・サーマンの3枚目ぶりが素晴らしかった。
〇短い原稿を3つ書き上げ、水彩画を1枚仕上げ、ゲラを2本チェック。
〇県立美術館で「ジャン・コクトー展」観る。ホールでの関連上映「悲恋」を観る。ジャン・マレーが美しかった。
〇出演するイベントとテレビ番組の打ち合わせ各1本ずつ。
〇友人との飲み会2つ。

×読み終えるつもりでいた資料をまったく読めなかった。
×書き上げるつもりでいた書き下ろし長編が、予定の半分しか進まなかった。

GW中に関西・近畿方面へのツーリング(仕事がらみ)を予定していたが、これがNGになったので、基本的に仕事中心の日々となった。結局、ふだんとまったく同じ--。

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この世の春

半年ぶりにR1150ロードスターに乗った。去年より一カ月遅い初乗りだ。盛岡動物公園、盛岡競馬場界隈の大渋滞を横目に遠野まで行ったら、ここも大渋滞だった。休日に出かけることがあまりないので驚いたが、さすが大観光地だけのことはある。

道中、満開の桜と柳の若芽の緑が美しく、涙が出てくるほどだった。
3時間でわずか150キロだが、オートバイ乗りであることの喜びをひしひしと感じた。

Sign 岩手めんこいテレビ公式サイト連載中の「目と耳のライディング」第122回にプラド美術館展の感想を書きました。

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