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『ダ・ヴィンチ・コード』を観る

映画『ダ・ヴィンチ・コード』が昨日、世界一斉に封切りになった。改めて言うまでもなく、同名のベストセラー小説が原作だ。

ぼくは映画と小説は別物だと思っている。小説は(映画になどしていただかなくとも)それじたいで完結している。映画化するなら、小説とは別の次元の映画ならではの世界を見せてほしいと思う。そうでなければ、単なる映像化にすぎない。

ぼくが期待しすぎたのかもしれないが、残念ながら、本作は映画化ではなく、映像化した作品だった。ロン・ハワード監督やジャン・レノにとっては収入のプラスにはなっても、キャリアのプラスにはならなかったんじゃないだろうか。

ストーリーの簡略化と映像化によって、原作の持っていたリアリティが失われている。これは別に珍しいことではなく、文章のほうがリアリティを表現ができる場合があるという一例にすぎない。この映画が原作より先に公開されていたら、バチカンの不興を買うこともなく、こんにちの奇妙な社会現象を招くこともなかっただろう(つまり、インパクトが弱い)。

奇妙な社会現象は「小説(フィクション)」として発表されたものをノンフィクションとして受け取ってしまった純朴な人々が引き起こしている。 映画ではその混乱を避ける努力がなされていた。 原作ではまえがきで「すべて事実に基づいている」と断っているのに対し(ここからすでに小説=フィクションがはじまっているわけだが)、映画では例によって最後に「この映画に出てくる団体~はすべてフィクションです」となっているのだ。これには笑った。

笑ったといえば、ロンドンのバスの場面でリン・ピクネットとクライヴ・プリンス(「マグダラとヨハネのミステリー」、「トリノ聖骸布の謎」などの共著者)が乗り合わせているのにも笑った。こういう遊びがあるとは。

『ジュラシックパーク』もそうだったが、映画化は小説から毒を抜く。その毒こそが著者の最も言いたい肝心なことなのに。

本作は原作を読まないで観るほうが「単純な宝探しもの」として楽しめるかもしれない。ただし、このレベルの映画はごまんとある。

ぼくの知人(ぼくと違って映画マニア)は「そもそも原作が、まるでノベライズ(映画を小説化したもの)みたいなものだから、わざわざ映画を観る必要がない。行くのは図柄や建物を観るだけのため」と言っていた。 そういう方のために角川書店からヴィジュアル版が出ている。これには作中の絵画、建物、場所などの写真が豊富に載っている。ぼくは美術展の図録や画集をひっぱりだして読んだから、こういう本があるといいな、と思っていたのだ。

ここから下は映画を観ていない人、原作を読んでいない人は読まないでください。

同映画の封切りを伝える岩手日報20日夕刊の記事(共同通信配信)に〈キリストが子どもをもうけ、カトリック教会がその事実を隠したという設定が議論を呼び〉という文があった。これって、ネタバレじゃないの? もう少し気をつかってほしい。

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