« 2006年8月 | トップページ | 2006年10月 »

賢治のチェロを聴く

報告が遅れたが、9月21日に「賢治祭」に行ってきた。これは宮沢賢治(これまで、ぼくは時代的なことを考慮して、宮澤賢治と書くようにしてきたが、改めて賢治の自筆を見ると「宮沢」と書いている。新しいものを積極的に取り入れる賢治だったから、新字にも抵抗がなかったのかもしれない)の命日に昭和9年から欠かさず開催されてきたという。

今年の話題は何といっても、6年ぶりに賢治のチェロが宮沢賢治記念館から「散歩に出た」(林風舎談)ことだ。演奏者は6年前にもこのチェロに命を吹き込んだ藤原真理さんだ(そのときの、ぼくは岩手日報の特別企画で藤原真理さんと対談をさせていただいた)。

演奏曲目は下記の通り。

[1]バッハ:アリオーソ

[2]ヘンデル:ラルゴ

[3]エルガー:愛の呼びかけ

[4]カタロニア民謡(カザルス編):鳥の歌

[5]宮沢賢治:星めぐりの歌

[6]宮沢賢治・林光:星めぐりの歌(ヴァイオリン/花巻私立花巻小学校6年 宮澤香帆)

チェロ:藤原真理

キーボード:倉戸テル

会場は「雨ニモマケズ詩碑前」の広場、すなわち羅須地人協会がかつてあった場所だ。つまり、野外である。にもかかわらず、藤原真理さんはPA(マイク)を通さず、生の音で豊かな響きを聞かせてくれた。

しかも、予定では最後の曲だけを賢治のチェロで弾くことになっていたのだが、全曲を賢治のチェロで弾かれた。真理さんのことだ、片時も離さずに音出しをし、備えてくださったのだろう。いつもながら、頭が下がる。

宮沢賢治記念館からチェロ(門外不出とされている)を借りるにあたっては、二転三転あったらしい。最終的には大石市長の英断で今回の演奏会が実現し、花巻市民のみならず、全国から訪れた多くの人々に喜ばれた。

楽器は飾っておけば、楽器の形をしたタダの箱になってしまう。これを死蔵という。もともと賢治のチェロは藤原嘉藤治に貸していたおかげで、宮澤家が火災の際に焼失をまぬがれた「奇蹟の楽器」だ。「オレのカカだもす(俺の女房だ)」というほど愛していたチェロを、親友に貸すという賢治ならではの行為がこの奇蹟を起こした。 「門外不出」は賢治の精神に最も反するものとぼくは思う。

藤原真理さんからいただいたメールを一部紹介させていただく。

楽器は一年に最低一度はチェックがてら弾かないと、弾きにくくなるみたいです。前回はヨーヨー・マが触ったあと翌年だったかで、もう少し素直な感じでした。
何か1曲だけガルネリで弾こうかと最後まで迷っていたのですが、、お客さんは熱心な賢治ファンのかたがた、1本にしぼりました。 
賢治記念館のロビーがかなり響きが良いので、ピアノもありますし、わたくしが日本にいて、他の本番と重ならないかぎり、お手伝いで伺い、ミニ演奏会と楽器チェックが毎年実行できないか、考えてもらおうと思います。
 (ガルネリは真理さん愛用の名器。その音もぼくは聴きたかったが)。

真理さんのお気持ちが花巻市民に伝わり、来年以降もきっと実現するだろうとぼくは思っている。

ところで、真理さんの演奏の前に岩手県立農業高等学校鹿踊り部による鹿踊りがあった。声が若く、動きがシャープかつ野性的で、迫力があった。観ていて涙がこみ上げてきて、どうしようもなかった。民俗芸能を見て、こんな気持ちになったのは初めてだ。

50年近く前に、この鹿踊りを見て感激した岡本太郎の気持ちがちょっとわかったような気がした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

木村大ギターリサイタルを聴く

木村大ギターリサイタルを聴いてきた(26日午後7時、盛岡市民文化ホール大ホール←もうそろそろこの名前も変えてはどうかな。我々は通常、マリオスと呼んでいるのだから、マリオスホールと表記すればいいのに)。

大ホールは三階までいっぱいの大入り満員。なにしろ、今回はチケットが一律1000円という大サービス(木村大さんは昨年、宮城でも1000円コンサートの経験がある。「チケットの値段は、演奏する本人にはあまり関係がない」と。確かにその通りですよね)。

1200人を飲み込んだ大ホールに、木村大さんの弾くギターは、PAを通さずに響きわたった(響き具合を見て判断されたそうだが、ホールによってはPAを薄く通すこともあるらしい)。

「このホールは響きがいいですね」と、ご本人も満足げだった。

新譜「ロンドン・エッセイ」からの曲を中心にした演奏曲目もよかった。旧態依然としたクラシックギターのプログラムとは一線を画し、エルトン・ジョンの「ユア・ソング」を幕開けに、アンコールにアンドリュー・ヨークの「サンバースト」を持ってくるなど、いかにも新世代のギタリストらしいセレクションだった。

1000円コンサートということで、ふだんクラシックあるいはクラシックギターに馴染みのない方も多かったと思うが、もともとクラシックギターはボーダーレスな(独特の)世界なので、親しみやすかったのではないだろうか。

もっとも、親しみやすいからといって、音楽の質が軽いものだったことにはならない。たとえば、スタンリー・マイヤースの「カヴァティーナ」(映画『ディアハンター』で有名になった曲)は耳にやさしいが、弾き手にとってはかなり難曲のようだ。また、ジョン・デュアートの『イタリア組曲』、カルロ・ドメニコーニの『コユンババ』など10分を越える大作(ギター音楽の場合は大作扱いとなる)も聴き応えがあった。

曲の説明や音楽への思いなどを語るトークでも、大さんは聴衆をひきつけた。音楽家は音楽ですべてを語り尽くさなければならない、という説はもっともなのだが、天から与えられたコミュニケーションの手段を用いるのに遠慮することはない。当然ながら、身振りや表情だって「音楽表現」の手段になりえる。

変則チューニングの曲が多いので、「チューニングした弦が落ち着くまでの数分間をトークで埋めなければならない」ということだったが、お話の内容も語り口も演奏と同様に垢抜けていた。服装もかっこよかった(スタイリストがついているだろうか)。これらは、やはり、イギリスで学んだことが大きいと思う(プロとしてデビューしてから休業して留学した勇気にまず拍手を送りたい)。スペインや南米とは違う音楽性が感じられた。

ギターの音色がジョン・ウィリアムズに似ているような気がしたのだが、後でパンフレットを見たら、やはりジョンと同じグレッグ・スモールマンを使っていた。

このギターはハニカム構造の力木(内部の枠木)に、ひじょうに薄い板を貼ってある。これまでのクラシックギターとはまったく異質の斬新なものだ。反応がよく、音量が大きいのが特徴だそうだ。

盛大な拍手に応じて、アンコールを2曲弾いてくれた。そのとき、「14箇所をまわるツアーの4箇所目にして、このツアー最高のお客さんに巡り合えた」というスピーチで、また客席を沸かせた。

木村大さんからは「素晴らしいお客さんだ」と褒めていただいたが、それは大さんの演奏が聴衆をひきつけ、ノセた成果である。コンサートは聴衆と音楽家がひとつになってつくりあげる芸術空間であることを如実に物語る夜になった。

それにしても、いかにも子供子供した「天才少年」だった大さんが、好青年に成長しているのを目の当たりにして、「オレもそれだけ歳をとったってコトだよな」と、一抹の寂しさを感じた……(笑)。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

ホンダCBR1000RR

先週末(22日、土曜日)、東京からホンダCBR1000RRで帰ってきた。二週間ばかり、このスーパーマシンを借りることになったのだ。

26 いやあ、オートバイ仲間からは「似合わないねえ」と揶揄されるし、「盛岡まで乗ってくるのは無理だよ」とも言われた。確かにぼくはこの種のいわゆるレーサーレプリカを所有したことはないし、所有したいと思ったこともない。ひたすら「速く走る」ことを追求したマシンなので、居住性(乗車姿勢/ライディングポジション)が極めて悪く、荷物も積めない。だから、ロングツーリングには向かない。

いや、レーサーレプリカでロングツーリングを実践しているライダーはたくさんいる。ぼくの旅のスタイルには向かないと言い直そう。

それでも、ホンダが威信をかけてつくっている、かなり真剣なマシンに乗っておきたいと熱烈に思ったのだ。そして、それはいろんな意味で役に立つとも思った。

真剣なマシンとはどういう意味か。リンクしたホンダのWEBサイトをご覧いただければ一目瞭然かと思う。「マイナーチェンジによって、どの部分でどれだけ軽量化できたか」をグラム単位で紹介しているのだ。百分の数秒速く走るために1グラムでも軽くする--それがこのマシンの開発者たちの姿勢だ。

CBR1000RRは鈴鹿八時間耐久レースなどで華々しい戦歴をあげてきたレーシングマシン直系の市販車だ。サラブレットと言っていい。国内向けは、我が国の道路交通法や道路事情に合わせてデチューン(調整、チューンアップの逆)されているが、本来は最高時速300キロの能力を秘めている。

サラブレットは乗り手(騎手)を選ぶ。そういう意味ではぼくは決してふさわしい乗り手とは言えないのだが、このマシンとの二週間を楽しみたいと思っている。

| | コメント (5) | トラックバック (0)

盛岡駅前の駐輪事情

盛岡タイムスに連載中の「自転車びより」第18回で、盛岡城跡公園と駅前駐輪場について問題提起しました。

それにしても、〈「駐輪禁止」は脅迫か〉は編集部でつけたタイトルですが、過激ですネ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『鉛筆と人間』を読む

外出の際、鉛筆を持つことが多い。美術館や博物館ではボールペンや万年筆などインクを用いた筆記具の使用が禁じられているため、メモをとるのに鉛筆が必要だからだ。

鉛筆は字を書くだけではなく、絵も描ける(ゴッホの鉛筆画は目眩がするほほど素晴らしい)。消しゴムで消すこともができるのに、それでいて、けっこうしぶとく残る。あたりまえのことなので見逃されがちだが、すごいことだと思う。

ところで、鉛筆を使っていて、ふと疑問に思った。

鉛筆の芯って、素材は何なの?
鉛筆はいつから六角形になったのか?
そもそも、我々はいつから鉛筆を使いだしたのか?

鉛筆の歴史はもちろん、鉛筆に関するさまざまなエピソードを集めた本が『鉛筆と人間』だ。これを読むまで、鉛筆の芯はある種の炭だと思っていたのだが、違いました。『森の生活』のソローの実家が鉛筆製造業者だったなんてこともこの本で知った。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

文学の香りのするまち、盛岡

P8310079_1 デジタルAENA(日経BP社)に連載中の「デジタルな旅、アロナグの道」で、3回にわたって盛岡ぶらりポタリング(自転車散歩)を掲載します。

ご笑覧ください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

食用ホオズキ

子供のころ、熟したホオズキを食べて泣いた(笑)。誰もが経験しているのではないでしょうか。いかにも、おいしそうだもの、食べてみたくなるというものです。

そんなホオズキ・ファンに朗報。

Photo_3 ←なんと、これは食用ホオズキ。名づけて「ほおずきんちゃん」。見た目はホオズキそのもの。食べてみると、パイナップルに似た、甘酸っぱい果実なんですね。独特の香りが後をひきます。これに似た果物をシンガポールだかインドネシアで食べたことがあるような気がしますが、ウ~ン、忘却の彼方です。

生食用のパック入り「ほおずきんちゃん」の他にジャム(写真手前)もあります。いずれも少量生産で、岩泉の竜泉洞観光会館(0194-22-3163)で販売しています。

これを岩泉の特産品にしようと頑張っている早野由紀子さんは、元舞台女優です(今もかな?)。毎秋、盛岡で開催されている「みちのく国際ミステリー映画祭」のゼネラルプロデューサーをぼくがつとめていたころ、ミステリ劇(映画化された舞台作品を上演するという企画)に何度か出ていただいています。ことに早野さん主演の「暗くなるまで待って」は今も鮮明に記憶に残っています。

こういう方たちが地元の「元気の素」になっていることが、ぼくはとても嬉しい。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

パイプオルガンの響き

去る8月31日、盛岡市民文化ホール〈小ホール〉で行なわれた渋澤久美デビューリサイタルの感想を岩手めんこいテレビ公式サイトに連載中の「目と耳のライディング」第132回に書きました。

市民文化ホールの小ホールには、パイプオルガンがあり、久美さんは三代めの専属オルガニスト。彼女の盛岡でのお披露目のリサイタルは大成功だった。清楚で明るい性格があらわれた演奏だったと思う。今回の演奏も素敵だったが、ぼくとしては十年後の演奏が楽しみだ(色香というか、大人っぽさが加わるだろう)。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

盛岡城跡公園で吟行

Photo_2 昨日の記念式典で「岩手公園100年まつり」が開幕。なかなか盛会だった。岩手公園の愛称が「盛岡城跡公園」に決まったことが正式に発表された(これまでもぼくは便宜的に使ってきたが)。

今日の午前中は「いしがき文化祭」の盛岡城吟行に参加した。文化地層研究会の真山氏の案内で、盛岡城の歴史をうかがいながら、俳句をひねる。俳句の先生から季語などの指導をいただき、2句できたところで離脱して、他をまわった(左はアートフォーラムの参加者に撮っていただいた写真です)。ちなみに、拙作は下記のとおり。

寄りかかる 秋の石垣 夏いずこ

もの言わぬ 冷たき石の 幾年月(いくとしつき)

字余りでした。なにしろ、初めての経験なので大目にみてください。午後は松本哲也さんのライヴなど盛り沢山なのだが、別件あって聴けなかった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

中丸彩章水彩画展を観る

中丸彩章さん(37)の水彩画展「春から秋へ」に行ってきた(盛岡市本宮のカフェ・クリンゲンバウムで14日まで)。盛岡タイムスの紹介記事をご参照ください。

御所湖や岩手山など我々には馴染みの深い風景を描いた作品だ。絵のサイズが小さいことに驚いた。

柔らかい色調の絵にアクセントを与えている細い描線は0.1ミリくらいしかない。おそらく筆も1号か2号といった極細のものを用いているのではないだろうか(あるいは日本画の面相筆か)。にもかかわらず、窮屈な感じはしない。小さなサイズに細かく描きこんだ場合、せせこましい絵になりがちなのだが。これは、もって生まれた資質と言っていいのかもしれない。

縦10センチ、横25センチくらいの(記憶で書いているので確かな数値ではありません)横に長い作品も珍しかった。

先日の森越康雄水彩画展では厳しさのなかにどこか温かなものを感じさせる雪景色が印象的だったが、中丸さんはご自身が「山に残る雪と芽吹き始めた緑が、絶妙の対比をつくり出す」4月から5月ごろが好きだとおっしゃっているように、豊かな色彩感が特徴だ。といって決して派手ではなく、抑制の効いた色使いにセンスのよさを感じる。

ホワイトパステルと細いサインペンを用いた独自の画法は「絶妙の対比」を表現するために考案されたのだろう(さっそく真似をしてみよう)。最近取り組んでいるという町並みの作品もぜひ拝見したいと思った。

カフェ・クリンゲンバウムはオーディオが自慢でもあるのだが、この日はアンドレ・ギャニオンが流れていた。カナダ出身のこのピアニスト・作曲家の作品は岩手の風景によく似合うと思い、ぼくは20年以上前から愛聴している。岩手を描いた中丸さんの水彩画にも、やっぱりよく似合っていた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

愛用品 ジョギングシューズ

この夏、スニーカーがとうとう寿命を迎えた(9年は履いたはずだ)ので、新調した。ウォーキングを重視し、いささかオーバースペックだとは思ったが、ちょうど1つ前の型を安売りしていたので、本格的なジョギンググシューズ(正確にはトレーニングシューズというらしい。ランニングシューズともいうが、競技で選手が履くのをランニングシューズと限定するのが通例のようだ)にした。

いやあ、これが軽いし、クッションがいいし、快適なのだ。通気性が優れていることは、急ぎ足で歩くと足先に風が入ってくるのでわかる。

このシューズを履いて時速5キロ以上の速さで歩くと、自然に駆け足になる。つまり、シューズのほうから「誘ってくる」感じがする。

そんなわけで歩くのが楽しい今日このごろ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

デジタルARENA

WEBマガジンデジタルARENAに連載中の「デジタルな旅、アナログの道」第4回哀愁と郷愁、その二つを結びつける道具 ~ ウドー・ミュージック・フェスティバルへの旅<4>アップしました。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

今週末はいしがき文化祭(盛岡城跡岩手公園)

Photo_1 盛岡をこよなく愛する若者たち(←一度言ってみたかった)が企画し、盛岡市の協力を得て、下記のイベントが行なわれる。

これをきっかけに、愛される岩手公園のあり方を考え、憩いの場として、また賑わいのまちの中心として岩手公園が利用されるようになるのではないかと思ってる。

●公園フォトギャラリー
 「彦御蔵」で岩手公園の今と昔の写真、8ミリ等を展示・上映。
●盛岡城吟行
ガイドの説明を聞きながら石垣を巡り、俳句を詠みます。
【申し込み】当日10時から教育会館前広場で受け付け。
●盛岡城こども探検隊
アドベンチャー感覚で岩手公園を楽しもう!小学生親子対象。
【申し込み】当日10時から教育会館前広場で受け付け。
●盛岡城ガイドツアー
盛岡城の歴史と岩手公園の施設をガイドと共に散策。
【申し込み】当日10時から教育会館前広場で受け付け。
●いしがきサテライト
演奏・DJ・パフォーマンスアートなど、自由な表現の場。
参加者募集中。
●いしがきライブ!
松本哲也・花びより ほか、ゲストと市民の出演による世代とジャンルを超えたライブコンサート。
●公園アートフォーラム
公園100周年を記念し、市内のアーティストや園児など100人による100枚のエコバッグを展示。次世代につなぐエコ&アートなイベント。
●いしがき茶会&いしがきカフェ
烏帽子岩を眺めながらの風流な野点と東屋でのお団子カフェを楽しみませんか?

■9/16(土)と9/17(日)
10時〜16時 公園フォトギャラリー 無料
11時と14時 盛岡城吟行 定員1回20名 参加料500円
10時と13時 盛岡城ガイドツアー 定員1回30名 参加料500円
10時〜16時 いしがきサテライト 教育会館前広場にて 無料
10時〜16時 公園アートフォーラム 教育会館前広場にて 無料
11時〜15時 いしがき茶会 三ノ丸にて 参加料500円
11時〜15時 いしがきカフェ 本丸にて 参加料300円
■16日のみ
12時〜16時 いしがきライブ! 公園広場にて 無料
■17日のみ
11時と14時 盛岡城こども探検隊 定員1回20組 参加料500円

ちなみにぼくは16日土曜日午前11時からの吟行に参加するつもりです。

追記(14日):盛岡タイムスに首謀者(笑)のインタビューが掲載された。熱く、そしてまっとうな思いを胸に秘めたいい男だ。彼とぼくとでは年齢の差があるのに、子供のころの岩手公園体験を聞くと、よく似ているので「同世代」という結論になりました。アハハ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ボリショイサーカスを観る

ボリショイサーカスを見てきた(8日、午後6時からの回)子供のころ、青山町の体育館で見たような記憶がある。ゆえに、ン十年ぶりか。

サーカスの華、空中ブランコの迫力に驚いた。やはり、生で見ると違います。トリの演目は、4度挑戦して成功しなかった(2回めまではわざと失敗しているのかと思ったが)。それでも、熱演に大きな拍手が送られた。

地味ながら凄かったのが、ペアでダンスをしながら、「早変わり」をする「イリュージョン」(演題が違うかもしれません)。タンゴやフラメンコなど、ダンスに応じた衣装に次々と変わる。双眼鏡でじっくり見ても、どうやって変わったのかわかりませんでした(笑)。シツケ糸(って言うのかな)を抜くところは確認できたが。

シーソーを使って人間を高く飛ばすシーソーアクロバット。
小さな円形ステージを、かなりのスピードで走る馬上で演技する「ジギト」。
クマ(グリズリー?)のショー(休憩時間などにクマとの記念撮影大会あり)。
犬のショー。
観客をステージに出して一緒に演じるピエロ。

いずれも面白くて、二時間、まったく飽きずに楽しませてもらった。
今日明日もそれぞれ3回ずつ公演がある(問0120-544-541)。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

この夏、よく聴いたCD

7月は涼しかったのに、8月は大変な暑さだった。

暑いさなかに聴いたクールなCDがこれ。

改めて考えてみると、四六時中、こればかり聴いていた(聴くだけではなく、必死にコピーした!)のは、もう30年近く昔のことだ。何だか夢のような気がする。

スタッフ(バンドの名前ね)の一員として活動する以前のデュープリーは「知る人ぞ知る」マニア好みのスタジオ・ミュージシャンだった。
スタジオ・ミュージシャンには、主役に合わせて変幻自在というタイプと、「俺はこれしか弾けないもんね。それでもよければ使ってちょ」というタイプがいる。
デュープリーはもちろん後者であり、その代表格といっていい。それでもひっぱりだこだったのだ。
このアルバムで聴かれるギターも、難しいことは全然やってなくて、テクニシャンとは思えません。

ところが、それが大きな罠で、この通りに弾こうとしてもまずできない。というか、そんなことをしても無駄なんですね。デュープリーはワン&オンリーのギタリストなのですから。

演奏はきわめてクールだが、内にホットなものを秘めていることがちゃんと伝わってくる名盤です。

もう一枚、クールなCDを。

これはバート・バカラックの作品のカバー(という言い方はそぐわないような気がするが)集。
A&Mから出ている「ベスト・オブ・バカラック」(本CDのライナーノーツで小西康陽氏もすすめている)と本CDは、ぼくにとって心のビタミンだ。
このCDをかけたとたんに部屋のなかには清潔で涼しげな風が吹く。
「ジス・ガイ」(この曲自体が名曲なのだが)を歌うスパイラル・ステアケイスが秀逸。本CDで初めて聴いた。

バカラックやフランシス・レイの音楽をリアルタイムで聴くことができたのは幸運だったと思う(モダンジャズは残念ながら後追いになったわけだが)。

しかし、これは今の季節(夏の終わり)にも似合うなあ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

岩手めんこいテレビ番組審議委員会

岩手めんこいテレビの番組審議委員会は、各界のさまざまな人の考え方や見方を知ることができ、出席するのが楽しみな会合だ。ただし、中身はいつもひじょうに厳しい。評価が甘いと「社員のためにならない」と社長から教育的指導が入るのである。

今日はその番組審議委員会があった。ビアンキで盛岡駅前のホテル・ニューウィングへ行く。議題は(なんと)ぼくがナビゲーターをつとめた特別番組「一山百文」反骨の人・原敬~その生涯と紳士道~」。
出演した番組を審議する場にぼくがいていいものかどうか迷ったが、欠席してはスタッフに申し訳ないので、覚悟を決めて出席した。ぼくが出ている部分はともかく、番組じたいは堂々と胸を張れる内容だったと思っている。

フタをあけてみれば、番組審議会はじまって以来の(チト大袈裟か)絶賛の嵐。それもこれも原敬の知られざる人間性にスポットを当てた企画とスタッフの功績だ。
いつもは辛口の谷口委員長(岩手県立大学学長)も、「この番組を今の外交官、政府首脳、次の総理にぜひ見ていただきたい」と力説。そのうえ、「これまでの番組審議委員会史上のベスト」とまでおっしゃっていただき、委員会終了後は握手まで求められた。番組内でのぼくの役割は小さなものだったが、それでもやはり嬉しい。

好評につき10月1日に再放送されるそうだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

訂正とお詫び

本日公開したコメントについて、岩手日報の菅原記者から重要な指摘がありました。まず、全文を掲載します。

斎藤純様

 岩手日報報道部の菅原智広と申します。5日付斎藤さんのホームページ「知事選をめぐる記事を読んで」の中で事実と異なる部分がありますので、ご確認の上、ホームページ上から削除するか訂正を求めたいと思います。

 斎藤さんは「知事選をめぐる記事を読んで」の中で、「やや異なるのは、河北新報と朝日新聞は「敵の敵は味方という考えにはついていけない」という知事のコメントを載せているが、岩手日報はそれを伝えていない。8月下旬に出馬を打診した同党県連の玉沢徳一郎会長には「増田氏が立候補すれば政策協定を結んで支援したい」との考えがあるようだが、これについて河北新報は増田知事のコメントとして「政策協定の話があっても(自民党関係者と)会う必要はない」と強調したことを伝えている。岩手日報がこのことに触れていない」との記載があります。
 
 しかし、上記、「敵の敵は見方」発言は5日付夕刊1面「自民、民主 攻防に熱」の記事中、11行を使って記載していますし、「政策協定の話があっても会う必要はない」発言は、4日付夕刊1面の知事定例記者会見の記事で既報済みです。
 
 このままでは、ホームページを閲覧した方々に誤解を与えかねませんので、ご確認の上、削除または訂正を求めたいと思います。なお、同じ場面を取材をしても、どの部分をニュースの柱にするかは記者の視点によって異なります。(ことごとく同じ内容になったら、それはそれで恐ろしいことだと私は、思います)。以上、よろしくお願いします。

ご指摘を受けたコメントは下記です。

3日、盛岡市内で自民党東北ブロック大会がひらかれた。来賓として出席した増田知事に武部幹事長が「(政党と距離を置くスタンスに理解を示し)県民党という立場でも」と出馬を要請。各紙は一斉にこれを報じたが、岩手日報、朝日新聞、河北新報の記事を読んで、おや? と思った。

知事選に出馬すれば自民党として支援する」と持ち掛けられた増田知事が「話は聞いたものの、こちらからはあえて何も申し上げなかった」という点は共通している。

やや異なるのは、河北新報と朝日新聞は「敵の敵は味方という考えにはついていけない」という知事のコメントを載せているが、岩手日報はそれを伝えていない。

8月下旬に出馬を打診した同党県連の玉沢徳一郎会長には「増田氏が立候補すれば政策協定を結んで支援したい」との考えがあるようだが、これについて河北新報は増田知事のコメントとして「政策協定の話があっても(自民党関係者と)会う必要はない」と強調したことを伝えている。岩手日報がこのことに触れていない。

いずれにしても、自身の去就については「12月までに判断する」と増田知事は明言を避け続けている。

河北新報と朝日新聞にはなく、岩手日報だけが伝えているのは「12月まで待っても否定的な方向にはならないと思う」という玉沢会長の言葉だ。河北新報と朝日新聞が伝えている増田知事のコメントとは相反するわけだが。

-------------------------------

菅原さんのご指摘とおり、取り消し線部分の記載については事実誤認でしたので、訂正してお詫びします。

ただ、これを書いた時点ではまだ夕刊は出ていませんので、〈「敵の敵は味方という考えにはついていけない」という知事のコメント〉部分は訂正の必要がないと思います。追記として、「本日の夕刊記事に記載された」とさせてください。

全部抹消することもできるのですが、自戒を込めて、この形で残しておきたいと思います。今後、充分に注意しますので、お許しください。

菅原さんの

同じ場面を取材をしても、どの部分をニュースの柱にするかは記者の視点によって異なります。(ことごとく同じ内容になったら、それはそれで恐ろしいことだと私は、思います)。

にまったく同感です。それゆえ、各紙が何を優先させたか(この場合は増田知事の発言の内の何を優先させたか)を一読者として見ているのです。

この処置に異議がありましたら、またコメントをお寄せください。

| | コメント (12) | トラックバック (0)

第1回文章講座終了

野村胡堂あらえびす記念館(紫波町)が主催する文章講座の開講式と第一回講座があった。

開講式では高橋克彦氏から「講師の斎藤純は現役では五指に入る名文家だと断言できるが、あいにく現在の小説の読者は文章を味わうという読み方をしない」と、褒めてる(のですが)ようなそうじゃないような紹介をしていただく。「これは文章講座なんですが、大切なのは文章のテクニックではなく、心を磨くこと」と、文章を書くものとしての心構えをかなり深く踏み込んでお話しになった。

これから文章を書いてみようと思っていた人たちにはいささか重いお話だったようで、「場違いなところに来てしまった」と戸惑っている受講生も少なくなかったが、とうの克彦氏は「純は優しいから、最初にぼくがしっかりと言っておいた」と笑っておられた。

講座の形式は、受講生に(半年間のうちに一回は必ず)短いエッセイを書いていただき、それを教材に講師(ぼくと澤口たまみさん)の添削と、受講生同士の合評で進めていく。受講生のレベルはさまざまだが(ほとんどは老後の楽しみという方)、プロといっていい方もいらっしゃるし、昔の上司はいるし、今日は藤原町長と教育長もずっといらしたので、やりにくかった(笑)。

こういう講座は、講師(つまり、ぼく)も勉強になるので(そうでなければ、こんな大変なことは引き受けたりしません)、これからが楽しみだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ちほう作家の支え

ぼくのパソコンは富士通のFMV C/40L+親指シフトキーボードだ。ワープロ時代から親指シフトで覚えたため、もう変更はきかない。これがぼくのパソコンライフのネックになっているのだが。

すっかり忘れていたが(笑)、パソコン導入して1年後くらいに書いたエッセイ(「特集」→「「パソコン特集」→「ちほう作家の支え」)が出てきた。川崎市宮前区で、テラスハウスを借りていたころだ。何だか懐かしい。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

« 2006年8月 | トップページ | 2006年10月 »