中津川の鮭
今秋も中津川に鮭が帰ってきた。例年に比べて数が少ないような気がしたが、それが自然界というものだろう。太平洋から北上川を旅し、故郷の盛岡に戻ってきた鮭を見ると、いつもながら胸が熱くなる。
10月も末になると、泳いでいる鮭よりも、役目を終えた鮭の姿のほうが多くなった。信じがたいことだが、これを「気持ち悪い」とか「不衛生だ」と批判する人がいるそうだ。
C.W.ニコルさんが中津川を見たら、きっと喜ぶだろう。ニコルさんは、故国のカナダの河川で、鮭を戻す仕事をされたことがある。
カナダの河川の多くで、コンクリートによる護岸工事とダムによって鮭の遡上が見られなくなった。鮭が遡上しなくなると、食い物のなくなったクマが人里にあらわれるようになり、人間や農作物にも危害を及ぼすようになった。同時に、クマの数は激減した。
しかし、政府が危機感を持ったのは、森林の荒廃が起きてからだった。川に鮭がのぼらなくなると、森林が枯れ、世代交代(更新)も滞るのだ(その因果関係が面白いのだが、あえて割愛する)。
カナダ政府は川を自然状態に戻す公共事業に取り組んだ。そして、昔のように鮭が戻ってくるようになった。鮭が戻ってくるとクマも増え、森林も元気になった(この過程も面白いのだが、それはニコルさんの講演などでじかに聴いていただきたい)。
「だから、カナダの素晴らしい森のなかは、(死んだ鮭の臭いで)生臭いのです」ニコルさんは言う。
中津川の鮭の死体は、何カ月もかけて腐り、解けていく。それが中津川の養分になる。これがないと来年、鮭は戻ってこれない。生命の輪廻、すなわち生態系である。
逞しく泳いでいた鮭の姿と同様に、ぼろぼろになって川岸に打ち上げられた鮭の姿もまた美しいとぼくは思う。それは自然の脅威であるばかりでなく、われわれ人間の努力の証でもある。
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