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盛岡雪あかり

盛岡雪あかりが始まった。去年は大雪でうんざりしていたときに、雪あかりによって慰めを得られたものだ。

秋田のかまくらも、雪を「害」としてとらえるのではなく、「楽しんでしまおう」という発想で始まったに違いない。昔の人の「自然との共存」を伝える知恵のひとつだ。

291582_1473700462 雪あかりにも、それに通じるものを感じていたのだが、どうも違うようだ。今年は暖冬で雪がないから、わざわざ雪を運んできての開催だ。「はじめに雪ありき」ではなく「はじめにイベントありき」なんですね。「自然との共存」という発想はそこにはない(写真は去年のものです)。

今年は雪が降らないので「雪あかり」は中止という判断がどうしてできないのだろうか。雪不足で「雪あかり」が開催できないのは寂しいが、無理やり雪を運んできてまでやることのほうが、ぼくにはもっと寂しいことのように思える。

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モーツァルトとバッハを聴く

先週末は二つのコンサートがあった。どちらもとてもいいコンサートだった。

27日(土)は、長谷川恭一さんが中心になって活動をしているPoot Peopie`s Paperの第五回定期公演『モーツァルト・フォーエヴァー』(マリオス小ホール)。昨年はモーツァルト生誕250年で盛り上がったが、この日はモーツァルト250歳の誕生日。モーツァルトのピアノ三重奏曲などのモーツァルト作品のほかに長谷川恭一さんのオリジナルによるプログラムを堪能した。

28日(日)は、佐々木正利さん率いる盛岡バッハ・カンタータフェライン30周年記念『ヨハネ受難曲演奏会』(県民会館大ホール)。指揮に巨匠ヘルムート・ヴィンシャーマンを迎え、実に清らかなバッハを聴かせてくれた。

いずれも、後で岩手めんこいテレビ公式サイト『目と耳のライディング』にもう少し詳しく書く予定ですが、面白いのは長谷川さんと佐々木さんは盛岡一高の同窓生なんですよね。

それと、どちらのコンサートもお客さんがたくさん入ったことは特筆しておきたい。ことに後者は演奏する側はもちろんだが、聴く側にとっても難しい曲だけに、岩手の聴衆は大したものだと自慢したくなった。

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アイルランド本を読む

司馬遼太郎著『街道をゆく 愛蘭土』のIとII合わせて、およそ10年ぶりに再読した。アイルランドに関してこちらの知識も増えていることと、年齢を重ねたせいもあって、前に読んだときよりいっそう面白く読めた。

司馬遼太郎の紀行文はいずれもそうだが、まず訪れる土地への愛がある。期待が外れたときは、正直にそのことを書く(ただし、うまくオブラートに包んで)。

アイルランドへの司馬遼太郎の愛は相当なものだ。その思いがしみじみと伝わってくる(オランダ紀行からも深い愛情を感じる)。

ところで、旺盛な知識欲と豊かな感受性の持ち主でありながら、しばしば音楽に弱いと吐露されている。意外な一面だが、どうも謙遜のような気がする。パブでの演奏の描写など、音楽が苦手とはとても思えない。

上記を多分に意識した(と著者本人が記している)高橋哲雄著『アイルランド歴史紀行は、数あるアイルランド本のなかでも出色の一冊だ。 なにしろ、話題が映画、文学、小説、酒、音楽と豊富だ。ツボにハマる話題ばかりで、大いに楽しみつつ、アイルランドについて学ぶことができた。

時系列に史実を並べた歴史書とは違って、こんにちとの関わりから話を進めていく手法がとられているので、とてもわかりやすい。 風土と民俗もよくまとめられている。余談の部類だが、理知的な合理主義者ホームズを生んだコナン・ドイルが子供だましの妖精写真にひっかかった背景など、「そうだったのか」と思わず声を上げてしまった。

ただ、残念なことに本書は現在入手できない。復刊するべき一冊だと思う。

近藤耕人著『アイルランド幻想紀行』は上記2タイトルとは大きく趣を異にする。アイルランドの歴史や風土について勉強しようという目的に本書はこたえてくれないかもしれないが、かの国の空気をよく伝えてくれる。ちょっと小説のような印象も受ける。読みながら山田稔著『コーマルタン界隈』を何度か連想した(決して似ているわけではないのだけれど)。

これらの本を読みながら、やはりぼくは頭のどこかで「アイルランドはヨーロッパの東北だ」と思いつづけている。

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今週末は「ヨハネ受難曲」演奏会

昨日の坂田明「ひまわり」コンサートは胸が熱くなるコンサートだった。全人生・全人格がその音楽に凝縮されている。語り伝えたいことをしっかりと持っている人の音楽は強く、美しい(もちろん、小説もそうだが)。

何だか、「しっかりやれよ」とガツンと一発喝を入れられた感じがした。

さらに今週は1月28日(日)に楽しみな演奏会がある。盛岡バッハカンタータフェラインによる『ヨハネ受難曲BWV245』だ。『ヨハネ受難曲』は、『マタイ受難曲BWV244』、『ロ短調ミサ曲BWV232』、『クリスマスオラトリオBWV248』とともにバッハの四大宗教曲とも呼ばれる傑作だ。

指揮はオーボエ奏者でドイツ・バッハゾリステンを主催しているヘルムート・ヴィンシャーマン氏。盛岡バッハ・カンタータフェラインはヴィンシャーマン氏と何度か共演している。密度の濃い、息のあった演奏が期待できるだろう。

日時:2007年1月28日(日) 開演15:00(開場14:30)

場所: 岩手県民会館大ホール

指揮: ヘルムート・ヴィンシャーマン

独唱: 五郎部俊朗(福音史家),多田羅迪夫(イエス),小原浄ニ(ピラト,ペテロ),井上しほみヘラー(ソプラノ),佐々木まり子(アルト),鏡貴之(テノール),佐々木直樹(バス)

合唱: 盛岡バッハ・カンタータ・フェライン(合唱指揮 佐々木正利)

管弦楽: 東京バッハ・カンタータ・アンサンブル

チケット:S席 6000円(指定),A席 4500円(指定),B席 3000円(自由)

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後藤美術館展

目と耳のライディング第141回に「ヨーロッパ名作絵画 山寺後藤美術館所蔵品展」のことを書きました。

この展覧会、20年前だったら、積極的に足を運ぶことはなかっただろう。展示されているのはヨーロッパ絵画の保守本流だ。そういうものにぼくは興味がなかった。年齢と共に好みがきつくなることもあれば、このように幅が広がることもある。

せっかく、いいホールを持つ県民会館で開催するのだから、関連したコンサートなどがあれば、お客さんの開拓にもなるような気がする。たとえば、岩手県立美術館もさまざまな工夫をこらして、集客につとめている。

もっとも、本展覧会は出足が好調のようだから、何よりだ。岩手にはこれだけの西洋絵画を常設している美術館がないから、やはり飢えている人が多いのだろう。

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立原道造 盛岡ノート

待ち望んでいた立原道造「盛岡ノート」が再刊された。

立原道造は1938(昭和13)年9月から10月まで盛岡の画家・深沢紅子の別荘に滞在した。そのときの「東北旅行」を綴ったノートがこれだ。
この本は昭和53年に第1版第1刷が発行されている。そのいきさつはこの本の解説に記されている。

Photo_4 「盛岡ノート」は作品化する以前の素描だ。だから、あるいは天国の立原は読まれるのを好まないかもしれない。けれども、ぼくたちにとっては、立原の飾らない言葉に触れることができる素敵な本だ。研究家にとって一級の資料(レオナルド・ダ・ヴィンチの手稿がそうであるように)といえるだろうし、未完成とはいえ、上質な文学作品でもある(宮沢賢治の多くの作品がそうであるように)。

立原道造が「僕の愛したちいさな町」と、盛岡のことを書き残してくれたことに改めて感謝したい。

立原道造「盛岡ノート」

発行日:再刊 第1版第1刷 平成19年1月27日

発行:盛岡ノート刊行委員会(代表池田克典)

出版:株式会社東山堂

印刷:株式会社杜陵印刷

定価:980円

付録の地図も便利だ。これから「盛岡ノート」を手に、散歩をしてこようと思っている。

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飛行機の話

双発機というのがある。エンジンを二機積んだ飛行機だ。片方のエンジンが壊れても、もう一方のエンジンで(近くに着陸するまでのあいだ)飛ぶことができる(らしい)。

しかし、単発機の飛行気乗りいわく。「故障する確率も二倍になる」

二人のやりとりを聞いていたグライダー乗りいわく。「オレのはエンジンが故障する心配はいらない」

いえ、べつに教訓などではなく、面白いな、と思っただけです。20日のブログ内容とも、どこか重なるような話ですね。

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ラヴェル没後70年

シベリウス没後50年という話を書いたばかりだが、今年はモーリス・ラヴェルの没後70年にもあたっている。

ぼくはクラシックを意識して聴く以前から、ラヴェルとドビュッシーは聴いていた。メロディが美しく、どの曲もわかりやすいからだろう。映画音楽を聴くような気分で聴いていた。今年はさまざまな演奏会で、ラヴェルに接する機会が多くなりそうだ。

ただ、ピアノ曲でもオーケストラ曲でも、ラヴェルの曲は(たとえば、ベートーヴェンやブラームスなどと違って)演奏家を選ぶ音楽だという気がしている。イモなベートーヴェンは許されるが、イモなラヴェルは許されないというような……。

専門家の教えを乞いたいところだ。

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プレミニの電池交換

初代プレミニ989290_3402848858_1SO203iのバッテリーが弱くなった。ぼくは旅に出ているとき以外は携帯電話をほとんど使わないのだが(したがって、冬場は部屋に置いてあるだけ)、待機状態で4日もするとバッテリー表示が最弱になってしまう。もう2年半も使ってきたのだから、バッテリーが寿命なのだ。

ドコモショップに電話で問い合わせると、2100円だという。しかし、在庫はないので注文になるという。店舗まで行かなければならない(電話注文は受け付けない)。

で、ドコモランド岩手公園前店に行ったら、2年以上使っているので、バッテリーの無料サービスが受けられるという。そのうえ、新しい料金システムに更新すれば、月々の基本料金が200円ほど安くなることも教えてもらい、もちろん、更新してきた。とても得をしたような気分になった。

ところで、GPSとカメラとデジタルオーディオを装備したケータイがあるらしい(ドコモではありません)。それひとつあれば、ipodとデジカメとケータイをばらばらに持つ必要がなく、しかもGPS機能まで付いている。なかなか便利そうだ。ただ、画像はホームページ(趣味ではなく仕事です)などの使用に耐えるだけの解像度を持っているだろうか。

詳しい友人に相談したら「ケータイの画像は仕事には使えないだろう。それに、ipodと比べたら音が悪い」とのことで、ケータイひとつで済ます案は却下。

面白かったのは「ケータイひとつで済ませると便利そうだが、そのケータイを落とすと、カメラとケータイとipod(とGPS)をすべて落とすことになる。ばらばらに持っているほうがいい」という彼の持論だ。なるほどな、と納得させられた。

ちなみに、ドコモランド岩手公園前店の3軒ばかり隣に帽子屋さんがある。ここをやっているゲンちゃんが、何を隠そう盛岡城跡公園(岩手公園)いしがき文化祭のリーダーだ。

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さらば、マックノート彗星

天文マニアの友人から毎日のようにマックノート彗星(なぜか、あまり話題になりませんね)に関する情報をもらっていたのだが、結局、見ることができなかった。友人は「こんなにはっきり彗星を見たのは初めてだ」と大喜びしていたが、ぼくは運がなかった。

そういえば、10年ほど前のヘールボップ彗星(でしたっけ?)をフランスはコニャックで観た。彗星の別名「ほうき星」の名のとおり、逆さに立てたほうきのような彗星をコニャックの人が「コメット」と指さしたのを憶えている。

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岩手とJAZZ

盛岡のジャズ喫茶ジョニーの照井顕さんがプロデュースした秋吉敏子さんの『渡米50周年記念日本公演』がスイングジャーナル誌が主催するジャズ・ディスク大賞の〈日本ジャズ賞特別賞〉を受賞した。発売元のティートックレコーズの金野貴明社長(29)も岩手県一関市出身だ。

その一関市に、世界が認めるジャズ喫茶ベイシーがある。ジャズ・ディスク大賞の大賞を受賞したケイコ・リーの『ライヴ・アット・ベイシー~ウィズ・ハンク・ジョーンズ』はベイシーで録音されたライヴ盤だ。

ジャズ界には岩手の風が吹いている。

ところで、盛岡に生まれ育っていなければ、ぼくはジャズを熱心に聴いていたどうかわからない。十代のころ、盛岡にはジャズ喫茶が6軒ばかりあり、そこに行くことが「大人の世界」を垣間見る冒険だった。そして、冒険を重ねていくうちに、いつの間にかジャズにハマっていた。

そのころの「大人たち」と今もお付き合いがある。ぼくにとっては、学校で教わることよりも大切なことを教えてくれた人たちだ。

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ひまわりコンサート

ビットリオ・デ・シーカ監督「ひまわり(I Girasoli)」(1970)は、マルチェロ・マストロヤンニとソフィア・ローレンが主演した反戦映画の傑作と言われている。戦争によって引き裂かれた夫婦の行く末を悲哀たっぷりに描いた作品で、地平線にまで及ぶひまわり畑の美しさが強烈な印象を残した(あの一本一本のひまわりは、多数の犠牲になった兵士たちの象徴だった)。

ヘンリー・マンシーニの音楽も素晴らしかった。あの主題曲を聴くたびに胸が熱くなる。

ぼくは知らなかったが、あの映画に『チェリノブイリ(ニガヨモギ)原発』 が写っているのだそうだ。

この度、ミジンコでお馴染みの坂田 明さんが「ひまわり」という新たなCDを吹き込んだ。
このCDが出来た経緯について、画像をクリックしてごらんいただきたい。

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CD発売記念コンサートが全国に先駆けて岩手県民会館中ホールで行なわれる。1月24日午後7時開演。
コンサートにお出掛けになり、このCDをお買い求めください。
CD収益金は、チェリノブイリとイラクのこどもたちの医療支援に使われます。

コンサートチケットや CD「ひまわり」の ご用命・お問い合わせは日本チェリノブイリ連帯基金盛岡連絡所「紅茶の店 しゅん」 019-623-3036 か岩手ジャズ愛好会 事務局  019-636-0775 までご連絡ください。

以上、ぼくが加入している岩手ジャズ愛好会からのお知らせでした。

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今夜必見

今夜の筑紫哲也NEWS23(TBS系)は、アメリカ前副大統領アル・ゴア氏を招いての特別番組「地球環境スペシャル(仮題)」だ。

ゴア氏の活動については12月24日のブログに書いたので、ご参照いただきたい。

ところで、このブログでテレビのことを話題にしたのは、もしかすると初めてかもしれませんネ。

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自転車の歩道通行は容認できない

「道路交通法改正試案」に対するパブリックコメントを提出した。下記はそのコピーです。

警察庁交通局交通企画課法令係

パブリックコメント担当係殿

本案では自転車の車道通行の原則維持、無秩序な歩道通行の是正などが強調されているにもかかわらず、かえって混乱を招く案を提出しているという矛盾があります。

肝心なのは「歩道は歩行者のもの」であり、「自転車の歩道通行は緊急避難的な処置であり、本来は異常事態」であるという基本認識です。これは自転車対策検討懇談会も同様の見解を示しています。

提言では〈交通管理の観点からは、自転車自体の安全と歩行者等他の交通主体の安全を第一に考えなければならないが、そのために自転車の利用を抑制する方向に進むことのないよう配慮しなければならない〉と大前提を掲げたうえで、実情に則した自転車ルールの明確化と取り締まりの強化、マナー教育の徹底、自転車レーンの設置など自転車の走行環境を整備することを挙げています。

警察庁がやるべきことは、自転車の歩道通行を全面的に見直して、「歩行者が安心して歩ける歩道」を取り戻すことです。

こんにち、自転車の歩道通行可能により、自転車の左側通行の法令はことごとく無視され、警察の取り締まりもそこまでは行き届かず、無法状態を招くことになりました。

その反省を踏まえた上での今回の法改正のはずですが、まったく反省が活かされていません。 自転車の通行区分を明確にすると定義しておきながら、解釈に幅のある、曖昧な法案となっており、これではますます自転車の無法化が懸念されます。

この法案が通れば、自転車にとっても歩行者にとっても暗黒の時代がやってくることになります。それは決して警察庁の望むところではないはずですし、ましてや国民も望んでおりません。

これは実のところ「自転車の安全利用」に名を借りた「クルマ優先道路を推進する案」でしかないといわざるをえません。 全面的な見直しを強く求めます。

なお、パブリックコメントの締め切りは今月28日必着となっています。上記をコピーして使っていただいてもかまいません。

また、歩道から自転車をなくしてほしいと願う「歩道の会」では、主催者(障害のある方)が各地の事例などをまとめています。 署名のページもあります。ぜひ、ご協力ください。 それにしても、こういう悪法を通そうとする裏には何か利権が絡んでいるのかもしれません(そういう疑いを抱かれても仕方がないような程度の内容です)。

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シベリウス没後50年

1月2日のブログに書き忘れていたが、今年はシベリウスの没後50年にあたる。ということは、これを書いている誰かさんが生まれた年に亡くなっているわけだ。いやあ、もっと昔の人だと思いこんでいた。曲調がロマン派ですから。

で、NHK-FM(ぼくはNHK-FMのファンでして、テレビをあまり見ないぼくが受信料を払っているのも他ならぬNHK-FMのためです) で夜7時30分から放送しているベストオブクラシックは〈シベリウス・ウィーク〉と題して、サカリ・オラモ指揮・フィンランド放送交響楽団のライヴ録音による特集を組む。シベリウスは大好きな作曲家なので、これは楽しみだ。下に演奏予定曲目を記しておきます。

15日(月) 交響曲第1番、同3番、交響詩「フィンランディア」、ヴァイオリンと管弦楽のための2つのセレナードほか

16日(火) 交響曲第4番、同第2番ほか

17日(水)はN響定期公演の生中継(ちなみにラヴェルのピアノ協奏曲、チャイコフスキーの交響曲第6番ほか)なので一回飛んで18日(木) 交響曲第5番、同6番ほか

19日(金) 交響曲第7番、クレルボ交響曲ほか

15日と19日は録音しようっと。

ところで、総務省はNHKの受信料の支払いを義務化する法案を次の国会に提出する。これには視聴者からの抵抗が予想されるので、かわりに(懐柔策というわけでもあるまいが)2割程度の値下げをNHKに要請した。これに対してNHK会長は「値下げには応じられない」とコメントした。

昨年、NHKは相次ぐ不祥事で信頼を失い、視聴者の受信料不払いという(過去前例のない)直接行動による批判を浴びた。これによって減収を余儀なくされたが、その際、減収ばかりが取り沙汰され、NHKがこれまで黒字をつづけてきた(したがって、蓄えがたんまりある)ことはあまり報じられなかった。

大幅な黒字が発表されるたびに、「そんなに儲けているなら、受信料を値下げしてはどうか」という意見が出されたが、大きく取り上げられることはあまりなかった。

NHKが現在の体制を維持していこうとするかぎり、受信料を払っている人と払っていない人(払わずに視聴している人)の不公平をなくするためにも義務化は避けられないだろう。義務化になれば、2割値下げしても増収するような気がするんだけど、素人考えでしょうかね。

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岩手日報の独占記事

今朝の岩手日報朝刊は第一面で、勇退した柳村純一元滝沢村村長が岩手県知事選に無所属で出馬する意向があると報じた。これは岩手日報のみの報道で、ほかの新聞には出ていないから、もしかするとスクープですね。

自民党が候補者を擁立できない中、いい方が出てくれた。別に柳村氏を支持するという意味ではなく、これによって達増卓也氏の「信任投票」のような状況から脱し(ほかの候補者には申し訳ないけれど、これは衆目の一致するところだ)、ようやく選挙らしくなることを喜んでいるのだ。

岩手県の知事選挙に、有力な候補者が一人しかいないというのは異常事態である。「岩手県はそんなに人材がいないのか」と、ほうぼうから不満の声が上がっていた。今期限りで勇退する増田知事も同様のことを明言されている。

投票は4月8日。それまでに各候補者の公約(政策案)にしっかりと耳を傾け、吟味したい。

夕張市が他人事ではない、岩手県の逼迫した財政を果敢に建て直し、安心して子供を生み、育て、安心して老後を過ごせる「くにづくり」を実現できる人に一票を投じるつもりだ。

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ブナ派宣言

このブログで扱うカテゴリーに「ブナ派」というのがある。とっくに説明済と思っていたが、まだであった。アル中ハイマー進行中なので、すっかり忘れていた。以下、「ブナ派」宣言です。

東北と縄文文化を象徴する木がブナです。ブナは山毛欅とも書きますが、木偏に無とも書きます。木材として役に立たない事から「木で無い」というわけです。スギ、ヒノキなど成長が早く、お金になる針葉樹の人工林に転換(これは国の林業政策の大失敗のため、本来の価値を出せない無用の林地となっているところが多いが)するため、ブナ林は皆伐されつづけ、今では少なくなりました。
ところが、今や白神山地のブナ林は世界遺産です。

24 役に立たないと蔑まされ、かろんじられてきたブナに、ぼくは何となく親近感を覚えますし、ブナの木のノーブルな美しさにも惹かれます。

ところで、一関市のジャズ喫茶ベイシーは、音楽が空から電波で降ってくるこのご時世に、アナログレコードで極上のジャズを聴かせてくれます。昨年はオーディオ界のカリスマVIPと呼ばれるJBLの社長とデザイナーが訪れ、「JBLが目指すべき音がここにある」と感激していきました(これ、ホント)。

ベイシーのマスター菅原正二さんは「アナログを駆逐したCDが、もう危なくなってきた。それに比べて、アナログはしぶとく残っている(しかも、世界の超一流の「耳」を納得させている)。こうしてみると、勝った奴ってのは短いものだ。大切なのは負け残ることなのかもしれんよ」とおっしゃる。

大いに共感する。これはブナにも通じる。ブナは負け残った木だ。

ま、そんなこんなで、「ブナ派」を名乗ることにしました。何か共感していただけるものがあったら、「ブナ派」を名乗ってください。

戦前の「白樺派」じゃないですが、さまざまなジャンルにわたって、「ブナ派」同人がひろがっていけば楽しいと思います。

と申しましても、これといって何もしないのですが。

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ipodで聴いている音楽

少し春っぽい雰囲気にしようと思い、収録しているCDを一枚だけ換えてみた。

これ↑を削除して、新たにこれ↓を追加。

う~ん、春というよりは秋という雰囲気になったか(笑)。

■デジタルARENAの「デジタルな旅、アナログの道」に前回のつづきを書きました。

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成人おめでとう(夕張市の成人式)

財政が破綻した夕張市では成人式の開催が危ぶまれたが、実行委員(新成人らが中心になって、世代を超えたグループができたという)の努力が実って、手作りの成人式が実現した(日刊スポーツの記事にリンクしておきます。リンク先がいつまで残っているかわかりませんが)。

成人式というのは、本来、そういうものかもしれない。お役所がお膳立てをしてあげる、いわば親がかりの式は「成人」に似つかわしくない。夕張市の新成人は、夕張市役所(あるいは、ほかのどの自治体)よりも遥かに立派に事を成し遂げたと言っていい。

「議員の押しかけ」を断り、たとえ国会議員が来ようとも、その姿勢を貫いた点も、市の職員や市議のレベルを遥かに超えている(知ってか知らずか、これは夕張市の問題の本質をついている。破綻は夕張市ひとりの責任ではないのだから)。

夕張市の新成人は我々などよりも実に多くのをことを学び、短期間に実践した。

また、それを支えた人が全国にいたことも忘れてはなるまい(テレビでは230万円の寄付が集まったと報じられていた。物資での援助も金額に換算したのかもしれない)。

ちなみに、ぼくは成人式には出ていない。当時は「ケッ、そんなもの」という気分だった。

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県オケの第九

昨日のブログでも触れた岩手県民オーケストラによる交響曲第九番演奏会の感想を、「目と耳のライディング」第140回に書きました。

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『敬愛なるベートーヴェン』を観る

『敬愛なるベートーヴェン』を観た。第九の初演シーンが素晴らしい。このシーンだけでも、この映画は観る価値がある。

「第九誕生の陰に、女性写譜師あり」というフィクションだが、描かれているベートーヴェンはおおよそ史実にのっとっているそうだ。ベートーヴェンが使っている補聴器や集音器をそのひとつ。もっとも、第九を書いているころはもっと難聴が進んでいて、特製の補聴器(ラッパですね)も役に立たなかったという。

危篤状態のベートーヴェンのもとへ向かうヒロインが、ウィーンの自然と弦楽四重奏曲(大フーガ)の交感を経験するシーンや、ベートーヴェンの楽譜を「訂正する」出会いのシーンなど「音楽の本質」をついていて共鳴するが、第九の初演シーン以降は尻すぼみになっていく。

描かれているベートーヴェン像も、モーツァルトを思い切り下品に描いた『アマデウス』を見ていなければ驚かされたかもしれないし、新鮮に受け止めたかもしれないが、幸か不幸か我々はもうこれくらいのことでは動じない(ベートーヴェン役のエド・ハリスの熱演には大きな拍手を送りたい)。ちなみに、ベートーヴェンが用いている鍵盤楽器類は当時のものを再現しているが、流れる音楽は現代の演奏なので、注意が必要(昨今、当時の演奏を再現している指揮者や演奏家が珍しくない)。ただ、そんなことを言いはじめると、ベートーヴェンが英語をしゃべっているのも気持ちが悪い。

でも、くどいようだが、第九の初演シーンはフィクションに飾られているとはいえ、圧巻だし、感動的だ。監督はここだけ撮りたかったのではないか、と思うほど本当に力が入っていて説得力があった。

先月末、岩手県民オーケストラ定期公演で、素晴らしい第九を聴いたばかりなので、ことのほか感じ入ったのかもしれない。

それにしても、ヒドい邦題だ(原題は『COPING BEETHOVEN』)。こんなタイトルでお客に来てもらえると思っているのだろうか。

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『エコシフト』を読む

近年読んだ本の中で、これほどワクワクさせてくれたものはない。
著者はコピーライターで、プロパーの環境運動家ではない。我々に最も近い立場の方が書いた、環境読本である。したがって、とても読みやすく(コピーライターは「たくさんの人に読んでもらう」文章修行を積んでいる)、説教臭くなく、どこかお洒落で(これが大切だ)、しかも内容は濃く、本物だ。

著者自身の言葉を借りるならエコシフトとは〈人類の生き残りをかけて、人々の認識を変え、社会のしくみや政事のしくみやメディアのしくみを変え、経済のしくみを変えること〉をいう。

著者が関わったさまざまな事例が挙げられているが、「意思表示する→世論を動かす→政策を動かす」という狙いが一貫している。巷間にぎわせたホワイトバンドに対する批判も、この本を読めば、いかに的外れだったかがよくわかる。

ぼくは『オートバイ・ライフ』の中で、オートバイ乗りが意識すべき環境問題についてページを割いた。そこで言いたかったのは、「自分に不都合な情報に目をそむけてはならない」ということだった(これはゴア元副大統領の映画『不都合な真実』というタイトルとも一致する)。

『100万人のキャンドルナイト』を立ち上げるときのようすも書かれている。ぼくは2003年(つまり、第一回)から盛岡のキャンドルナイト実行委員会をつとめてきたので、著者とはどこかでつながっていたことになる。本書にも登場する辻信一さんは一昨年の冬のキャンドルナイトにゲストとしてお招きしている。

キャンドルナイトのシンボルマークをつくったのが葛西薫さんだったということも本書で知った。ぼくの『夜の森番たち』の装丁をしてくださった方だ。ここでもつながっていた。

ぼくが著者から受け取った最大のメッセージは〈政治は嫌だからといって、お休みできるものではありません。政治をお休みすると、それはほかの人への委任になって、そしてそれはたいてい一番嫌な人への委任になってしまい、ますます嫌だなあという方向へひっぱられていきます。それはもうその時点で「裏切られても文句が言えない」ということになります〉という「あとがき」の言葉だ。

2003年、夏。市民団体に推されて、ぼくは市長選に出馬した。そのとき、市政に対する自分の考えと同じくらい強く「投票に行ってください。ぼくに市政をまかせるわけにはいかないという方もその声をちゃんと反映させるために投票所に足を運んでください」とアピールした。一人でも多くの方に政治に参加してもらいたいと思ったからだ。

で、あちこちから「今年はどうするのか」と尋ねられるので、この際、はっきり申し上げておきたい(すでに岩手日報の取材に「出る意志はない」と応え、記事にもなっているのに)。

現在、ぼくは盛岡市行財政構造改革推進委員として、微力ながら市政のお手伝いをしている。所属する文化地層研究会では「まちづくり」を含めた「おもしろい盛岡」を掘り起こす活動をおこなっている。また、盛岡自転車会議の代表として、中心市街地活性化などの「まちづくり」を視野に入れた交通問題に、他の市民団体や岩手大学、岩手県立大学などと共同して取り組んでいる。

今年はこれらの活動をさらに充実させていきたいと思っている。だから、選挙ではこれらの取り組みを理解し、応援してくださる方の裏方としてバックアップしていくつもりだ。

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菅野義孝ライヴ

「このごろはクラシックばかりで、もうジャズは聴かないんだね」

そう言われることがあるけれど、そんなことはない。ただ、年齢のせいか好みがまた一段とキツくなってきて、ある程度の要求を満たしてくれるものじゃないとなかなか行く気がしないのだ。

もちろん、盛岡でおこなわれているジャズ・ライヴのレベルの高さはプロもアマも含めて折り紙付きと言っていい。ぼくのいう要求とは、そういうことではない。ま、単に出無精になってきたのかもしれないけど。

正月早々、お気に入りのギタリスト菅野義孝さんのライヴがスペイン倶楽部で開かれた。今回は盛岡の鈴木牧子(ピアノ)、下田耕平(ベース)、岩泉大司(ドラムス)との共演だった。郷里の東和町(正確には花巻市東和?)に里帰りしていたところ、盛岡のジャズメンたちが「せっかくだから、ライヴを」と急遽決まったらしい。この顔合わせでは昨夏も演奏している(残念ながら、ぼくはそれを聴いていないが)から、安心して聴くことができる。

「菅野義孝の音楽」については、「目と耳のライディング」第102回に書いた。この日もよくスィングする「ご機嫌な」(←この言葉、今ではジャズ界でしか使われなくなりました)演奏を聴かせてくれた。付け加えることはあまりないが、コードワークやフレージングをじっくり聴いていて、このギタリストの持ち味はもしかすると「シンプルさ」にあるのではないかと思った。

シンプルな音楽を追求していくと、「枯淡な演奏」に行きそうなものだが、菅野さんの場合、みずみずしさを満々とたたえている。そこが彼の持ち味なのではないかと思う。

今後の活動から目を放せない、ますます気になるミュージシャンではある。

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デジタルARENA新春特別号

デジタルARENAはお正月も通常営業中です。

今年の第一弾は、「水彩画」です。いつにもましてアナログ色の強い話題ですが、今回は高橋克彦氏の「真景錦絵」を特別公開しています。おそらくWEB上では初めての公開だと思います(未確認ですけど)。

ちなみに、高橋克彦さんは夕暮れ時がお嫌いなので、その時間帯に外出することはまずありません。が、「真景錦絵」には夕暮れ時を描いた作品があります。

「芸術の力で克服したんですね」とお聞きしたら、「いやあ、あれはデジタル処理で日中の景色を夕方にしてるんだよ」とのことでした。

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2007年は

2006年はさまざまな分野の重要人物の記念年に当たっていた。その中ではセザンヌ没後100年に合わせて開催された特別企画展に行きたかったが、お金も時間もなくて果たせなかった。

今年は中原中也生誕100年、モーリス・ベジャール生誕80年、エドワード・エルガー生誕150周年、キリンビール創立100周年エドヴァルド・グリーグ没後100年、ダイアナ妃の没後10年、池田満寿夫没後10年などがある。まだちゃん調べていないので、もっと出てくるに違いない。

このなかで興味深いのは、キリンビール(ぼくはキリンクラシック派で、アンチ・スーパードライ派なのです)とエルガーですね。エルガーは「愛の挨拶」などの小品でよく知られているけれど、チェロ協奏曲が名作だ。ことにジャクリーヌ・デュプレによる演奏は鬼気せまるものがあり、これを聴くと他のは聴けなくなるという危険なシロモノだ。

ダイアナ妃と池田満寿夫はまだ記憶に新しいので、複雑な思いがする。お二人とも、まだ早すぎた。

また、周知のように、今年、岩手県知事選、盛岡市長選などの首長選挙をはじめ、岩手県議選、盛岡市議選、衆議院補欠選挙、参議院選挙などが目白押しだ。

そのため、盛岡自転車会議や「減クルマで行こう」、キャンドルナイトなどいろいろなところで人手不足になりそうだ。選挙で忙しくなり、人手をとられてしまうからだ。ぼくは去年一年、あちこち不義理をしたので、今年はそういった活動をちゃんとやっていくつもりだ。

P1020002 そういったことも踏まえて、文化地層研究会の新年会(於:直利庵)に出席した後、盛岡八幡宮で今年一年の無事を祈願してきた。

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初日の出

盛岡市東郊の岩山展望台から、初の出を拝んできました。

実は初日を見るのは生まれて初めてです。今年は満50歳になるので、記念のつもりで妻と出かけてきました。

1043194_3175486921 展望台には70~80人が集まっていました。BRUTのマスターKさんとF養蜂所のF専務らもきていて、シャンパンをご馳走になりました(クルマは妻が運転したのでご心配なく)。

走ってきた人、歩いてきた人もけっこういました。来年は歩いてこようと妻と誓いました。

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今年は

あけまして、おめでとうございます。

「今年の目標」といった類のものは、守れた試しがないので立てたことがないのですが、今年は少し心を入れ換えてもいいかなと思っている。

10年ほど前、NHK-BSで「アルウィンの楽しい風景が」という連続番組を見たのがきっかけで、水彩画(クリックすると画集にリンクします)をはじめた。番組を録画したビデオと「アルウィンの楽しい水彩画」が、ぼくの教科書だ。子供のときは絵が好きで、ずいぶい描いたものだが、絵の手ほどきを受けたのは図工の授業だけだ。だから、アルウィンを心の師匠と思ってきた(銀座のデパートに個展を見に行ったとき、アルウィンさんがいらしていた。声をかけることもできず、遠巻きに合掌した)。

先日、自分へのクリスマス・プレゼントにエドワード・シーゴ(1910-1978)の画集を海外通販で買った(この現代イギリス絵画の巨匠の画集の国内版は残念ながら、出ていない)。

シーゴはアルウィンの師匠というに相応しい画風だ。油彩と水彩の差がほとんどない点も似ている。また、油彩をボードに描くのも共通している。

Pc290005 たとえば、これ←などはアルウィンの作品だといっても疑う人はいないだろう。

Pc290008

この画集のなかで、ぼくが好きなのは、Pc290006 左の二点だ。ターナーの伝統を受け継いでいるのは明白だが、さらに現代的なセンスが感じられる。

どうすれば、こんなふうに描けるんだろう! 技術的にもわからないところがあるのはもちろんだが、この見事な省略と説得力にはただただ溜め息をつくばかりだ。

で、今年の目標です。今年はたくさん絵を描こう。アルウィンとシーゴを心の師に。

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