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『印象派絵画と文豪たち』を読む

先月、オルセー美術館展に行ったとき、ずっと前に読んだこの本のことを思いだした。そのとき書いた書評を転載する。

フランスで印象派の新風が吹きだした十九世紀末は、画家と文学者が恋愛のように「出会いと別れ」を繰り広げた時代でもあった。

本書には、その恋愛時代にゴーチエやマラルメら二十三名の文学者が残した文章が収められている。これらは印象派を嫌悪するにしろ賛美するにしろ、単なる印象派論を超えた芸術論であり、もっと言うならば、「おのれの信じる美学の表明」となっている。

トルストイは印象派を理解できなかったが(ベートーヴェンのクロイツェル・ソナタを嫌悪したのと同じように)、それは彼の美学を貫いたにすぎない。ターナーを世に認めさせたラスキンは一方でホイッスラーをこき下ろしたけれど、ラスキンもまた自らの美学の信奉者であり、トルストイ同様、それに値する美学の持ち主だった。という具合に本書からは美学が生きていた時代の熱さが伝わってくる。

なぜかモーパッサンとマルセル・プルーストという大文豪の文章が避けられているものの、そのかわりにジョージ・ムアの(多少センチメンタルな)自伝やベルギーの詩人ヴェラーレンとキューバの詩人マルティの新鮮な評論、ウルグアイの詩人ラフォルグによる力のこもった分析が取り上げられている。

幸い日本では印象派を見る機会が多い。本書を読んでからマネやピサロらの前に立つと、また違った輝きを放つに違いない。


ところで、芸術と公衆(大衆)について触れたヴォードレールの文章は、『群衆の中の芸術家』(阿部良雄著/ちくま学芸文庫)を思いださせた。しばしば言及されているホイッスラーや日本美術の影響については、本書とほぼ同時期に出版された『唯美主義とジャパニズム』(谷田博幸著/名古屋大学出版会)が読み応えがある。

蛇足ながら、現代では(学問としての美学はともかく)真の意味での美学がどこかに置き忘れられているのではないか。本書を読んだ後に少し寂しさを覚えた。

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