盛岡市議会のレベル
盛岡市議会の議会制度検討委員会は、政務調査費の使途基準細目を決めた(盛岡タイムスの記事をご参照ください)。
いやはや、これで議員のレベルが明らかになりましたね。早い話、これは「おやつは百円まで。バナナはおやつに含まれますヨ」ってことでしょう。ここまでめんどうをみてやらないと、まともな金の使い方もできないとは。
議論するなかで「グリーン車に乗って何が悪いか」という発言があったそうだ。別に悪いとは誰も言っていない。「お仕事」であるならば、新幹線料金を政務調査費で出して当然だと思う。だが、グリーン料金はご自分の財布から出すのが当然だろう。情けないことに、そういう道理がわからない人を我々盛岡市民は議員に選出しているのである。
少なくとも、ぼくが知っている議員はまっとうな使い方をされている。議員として政治活動をしていくうえで、現在の政務調査費は決して多くない。いや、むしろ足りないことが見ていてわかる。
議会は盛岡市の行政に透明性を求め、それを実現させてきた。ならば、ご自分たちも何にいくら使ったのか、実名と共に公表して当然だろう。
もちろん、ちゃんと情報公開法にのっとって請求すれば、これは誰でも見ることができる。が、我々市民にその時間はない。これこそマスコミの役割じゃないのだろうか。
記者クラブでの発表を記事にするだけなら、御用記者だ。マスコミもしっかりしてほしい。
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コメント
純さん、こんばんは。お久しぶりです。覚えていただいたでいるしょうか、2、3件コメントさせていただいた中年侍です。最近、ツーリングなどに行っていたり、何だかんだで久しぶりにブログを拝見させていただきました。
純さんの意見には、自分なりにほとんど共感することが多いのですが、グリーン車の件は、拙者は乗ってもかまわないと思います。もちろん、乗らない方が好ましいのですが。
行政府や立法府に対しては、兎に角、国民、都道府県民、市町村民の貴重な血税が使われているのであるから、無駄遣いはまかりならんというのは、当然といえば当然過ぎる理屈だと思います。
しかし、行政や立法に携わる方々にも、少なくとも、やはり民間企業(大企業を指す訳ではありません。中小零細を含めた社会通念上、平準化されていると思われる規模を指します。)並みの扱いを受けるべき権利といいますか、必要があるとも思います。
盛岡市と言えば岩手県の県庁所在地です。その市議会議員と言えば、(前述の平準化した)民間企業では社長や重役に相当する役職と思われます。彼らはグリーン車に乗ります。特に、上場した株式会社ともなれば企業だって公共性を持ちます。本来なら、出来るだけ支出を減らして、収益に転じる必要がある訳ですが、その点は、皆、目をつぶっています。道理は同じではないかと思います。発言した市議会議員には言葉足らずがあると思いますが、重責を負っている身なので、少しでも移動での負担を軽減し、必要なところでは本気の力を出すべきだというのも一理あると思います。
これはポリシーの問題だと思います。拙者が今、書いた理屈をこねるのか、やはり血税だと潔く自由席に乗るかはポリシーの違いです。どちらのポリシーを取るかは個人の自由です。そして、どちらを選ぶのかも自由です。否、義務と言った方がいいかも知れません。
また、人間の脆弱な点の一つは、誰かと比べるという行為を何の疑念も持たずに行ってしまうということであると思います。
仮に、中央へ市議会議員と民間企業の重役が同時に出張したとします。やはり比べるのではないでしょうか。分相応という言葉がありますが、拙者は分相応で許せる範疇だと思います。航空機のファーストクラスの利用などはやっぱり不可だと思いますが・・・。
見当違いかも知れませんが、別の側面からも必要性を感じます。優秀な人材の確保という点です。役所や議会で重要な地位に登りつめた人間が、それでも、なお、民間より格段に低い扱いを受けるという事実があったとするならば、優秀な人材は皆、民間に流れていくでしょう。人間は狡猾で計算高いものです。それは、国、自治体ひいては国民自身にとっての損失でもあります。
純さんも、仰っていますが、透明性は大切です。透明性の中に含まれると思いますが、アカウンタビリティー(説明責任)を果たすことは何より大切です。言葉足らずは、やはり政治家にとっては「すみません」ではすまない問題だと思います。
拙者は、役所、議会、企業に関わらず、今、最も求められているのは、「誠実であること」「透明であること」この2つだと思っております。昨今の様々な組織体の不祥事をみていると、大体このどちらかが欠けていることが多いと思います。そんな気がしませんでしょうか?
作家であり、人生及びオートバイ乗りの大先輩に対して長文をしたためてしましました。どうか、お許しください。
しかし、今、読み返してみたのですが、全く脈絡がありません。重ねて失礼いたしました。
愛犬(もちろん、室内犬です。)がじゃれついてきましたので、この辺で終わりにしようと存じます。おっと、気が付いたら、もうこんな時間です。
おやすみなさいませ。
投稿: 中年侍W650乗り | 2007年9月30日 (日) 01時15分