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第31回盛岡市都市景観シンポジウム

■11月20日、盛岡市中央公民館で第31回盛岡市都市景観賞の授賞式とシンポジウムがひらかれた。シンポジウムのパネラーとして参加したので、簡単にご報告を(全体についての報告はいずれ盛岡市からあると思う)。

■ぼくは一介のモノ書きにすぎない。建築を学んだこともないし、都市計画の専門家でもない。盛岡を愛し、盛岡の景観に危機感を持っているものの一人として発言した。
また、(実にタイミングよく)高橋克彦氏も朝日新聞のコラムに、佐賀市の例を挙げて、盛岡の景観問題を指摘している。
作家の感覚は「危機を予感する」ことに長けている(景観問題に限らない)。ぼくが発言するうえで、このコラムは心強い応援だった。

今回、ぼくはあえて「盛岡自転車会議代表」という肩書も付した。
アラン・コルバン著『人間と風景』に、風景政策の端緒となった自然景観保護法(1906年、フランス)の成立の背景には、フランス・ツーリング協会(自転車愛好家たちが1890年に創立)の活動があったと指摘している。自転車乗りの視点も大切なのだ。

■景観を考えるうえで、盛岡の風土(気象、歴史、文化)は重要な要素だ。新しい景観をつくる場合でも風土を踏まえてもらいたい(盛岡の風土がぼくを育ててくれたという意識を、ぼくは強く持っている)。
たとえば、盛岡駅西口のアイーナにはそれがない。自転車乗りの立場で言うと、アイーナは自転車でのアクセスがひどく悪い(これはクルマのことしか考えていない道路のせいだが)。

駅周辺は「盛岡の顔」である。アイーナが西南地区(県立美術館やイオン南の周辺)に建ったのならかまわないが、あれではリトルさいたまと揶揄、苦笑されても仕方がない(関連して盛岡タイムスの記事をご参照ください)。

ちなみに、ぼくの周辺、知人たちで「アイーナは素晴らしい」、あるいは「誇れる施設」と明言する人はいない。逆に「恥ずかしい」とか「お荷物」という人のほうが圧倒的だ。

アイーナは「建物単体の個性」としては優れているかもしれないが、盛岡(あるいは岩手)の個性に寄与しているかというと、大いに疑問だ。

■景観保全は交通政策とも密接に関わっている。市街地の道路を拡幅すれば宅地が減り、建物は上に伸ばしていかざるを得なくなる。建物の高さ、道路の幅、クルマの速度などをヒューマン・スケールという基本的な考え方で捉え直す必要があるだろう。

■なお、今後は建物の高さ制限など明確なルール化が必要だという見解で一致した(これは国の方針でもある)。総論の論議から具体的な各論へ、ようやくシフトすることになる。

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