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『ステッキと山高帽』を読む

イギリスで独特の発展の仕方を見せた「ジェントルマン」について論じた力作。

著者は主に文学作品にあらわれたジェントマン像(ジェントルマンについて意図して書いたものもあれば、無意識のうちに書かれたものもある)を資料としているので、 ジェントルマン史から見たイギリス近代文学史としても読むことができる。

階級社会であるイギリスにおいて、貴族であること以上に「ジェントマンであること」が求められた(とうの貴族が、貴族と呼ばれるよりも、ジェントルマンと呼ばれたがった)のは実におもしろい。
それは、貴族の頽廃が招いたことだった。
したがって、ジェントルマンには道徳性が強く求められた。

もっとも、下から這い上がっていったものは道徳性でもってジェントルマンであることを主張したが、一方、家柄のいいものたちは、道徳性だけではジェントマンとして認めようとせず、「血筋」もジェントルマンの資質であると主張した。

両者ともジェントルマンの資質として「富」を高く評価していない点は共通しているかもしれない。お金持ちになることよりも、ジェントルマンになることが大切だった(ただし、ジェントマンの資質として、お金持ちであることは最低限必要だった)。
また、その「富」が先祖代々(3代以上つづいていなければならないそうだ)のものか、商売による成り上がりであるかも問題にされた。

やがて、「富」の使い方がジェントルマンであるか否かを決めるようになった。ノーブリス・オブリージュもそのひとつ。
つまり、外見(家や持ち物や服装)では、もはやジェントルマンか否かは区別できなくなり、その行動に求めるしかなくなっていったわけだ。

以上は18世紀から19世紀にかけてのイギリスの事情である。現代ではもう「ジェントルマンとは」が議論されることはなくなった。
本書では「自由と平等」の社会が、誰もがジェントルマンになることを許したと結論している。

ぼくが思うに、富裕層とそれ以外の人々という単純な社会となった結果、野蛮な拝金主義が広く受け入れられたことも付け加えていいと思う。

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