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美術館に行くということ

下記は2005年の秋に朝日新聞(岩手版)に書いたエッセイの抜粋です。盛岡には、いい美術館があるのに、行ったことのないという方がたくさんいます。せめて小・中学校の生徒たちには必ず足を運んでもらいたいと願っているのですが、「美術の時間が限られているので難しい」と先生がたはおっしゃいます。

しかし、美術館に行くことは「美術の勉強」のためなのでしょうか。ぼくは決してそれだけではないと思います。

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 今年も中津川に鮭が帰ってきた。
 上の橋のたもとから川原に下り、ここで200キロもの長旅を終えようとしている鮭を間近に眺めつつ歩く。生まれ故郷の川に帰ってきて、産卵し、死んでいく。神秘的であり、ドラマチックでもある。そして、ぼろぼろに傷ついた鮭の体は、生命の逞しさと尊さを私たちに教えてくれる。

 もうしばらくすると、息絶えた鮭が川岸に打ち上げられる。痛々しくて直視できない。けれども、それは自然の摂理だ。

 死んだ鮭がゆっくりと腐っていき、その養分が中津川の新しい生命を育む。これらは自然科学の分野だが、歴史に興味のある人なら、上の橋の擬宝珠に手のひらをあててみたりするだろう。

 与の字橋の手前で土手にあがれば、目の前に深沢紅子野の花美術館がある。盛岡の風土が生んだ画家の作品を、画家自身が好きだった中津川のかたわらで観ることができるのは、画家にとっても市民にとっても幸せなことだ。

 さらに川原を下って中の橋のたもとから上がり、もりおか啄木・賢治青春館で「京極夏彦・丸尾末廣“妖”イラスト展&高橋克彦“真景錦絵”盛岡五拾景展」を見た。 これが見応えのあるものだった。

 京極さんや丸尾さんは本職だからともかく(京極さんは作家になる以前はグラフィックデザイナーだった)、高橋克彦氏の作品は新鮮だった。実際に見るまでは「コンピュータ処理した写真」という程度の認識だったが、決してそんな安易なものではない。盛岡への思いが伝わってきて、見飽きなかった。

 中津川沿いをさらに下って、旧石井県令邸に行った。盛岡に残る最古の洋風建築物を、盛岡まちなみ塾が中心になって整備し、今回の公開に至った。邸内に入ると、油絵や版画などが展示されていて、その雰囲気は東京都庭園美術館(旧朝香宮邸)を連想させた。そして、ここは「また来たい」と思わせる何かがある。

 今夏は県公会堂でもNPOによって意欲的なアートショーが行なわれ、とても好評だった。公会堂に入るのが初めてだという人も多く、この催しは歴史的建造物について再認識する機会にもなった。

 このように振りかえると、展覧会に行くことは単に「絵を見に行く」だけに終わらないのだと気がつく。
 芸術は風土と密接に結びついている。学校では、絵を見に行くことは美術の授業とくくられがちだが、実はそうではなく、理科や社会、さらには歴史などを総合的に学べ、しかも五感が磨かれる場でもある。

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コメント

近所に東京都現代美術館があり無料でパソコンルーム、素晴らしい美術図書館が解放され常設展は子供は無料なので学区の子供達が友達同士で利用しています。マナーも覚え静かに美術鑑賞する姿は地域の住人として誇りに思いますまた同窓会が出資して「ジブリ展」など学校が引率し連れて行くこともあり美術館サイドも個人的に学習の為に出向いた子供達に学芸員が丁寧に応対してる様子を見た事があります子供の感性を育てる大切さは大人の手助けが必要です。盛岡の大人達が積極的に時間と出資をしなければ前に進めません!

投稿: ジュリア | 2008年10月 8日 (水) 10時53分

ジュリアさん>盛岡ではまだそこまで環境が醸成していません。受け入れる美術館側も勉強&努力不足かもしれません。

投稿: 斎藤純 | 2008年10月11日 (土) 07時43分

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