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明日は我が身(保険を考える)

これまで紹介してきたように、自転車はこれまで被害者の立場で語られることが多かったが、いま「加害者としての自転車」が問題になっている。 被害者に甚大な損害を与えても、クルマと違って自賠責制度の強制加入もないため、加害者と被害者の両方が大変不幸な目に遭う。 そこで……下記の毎日新聞の記事となる。

自転車事故:「自賠責制度の対象に」被害者団体が提言

 自転車と歩行者の事故が急増し自転車側への高額賠償判決が相次ぐ中、交通事故の被害者団体の代表が国土交通省設置の懇談会で、自転車を自動車損害 賠償責任保険(自賠責保険)の対象とするよう提言していることが分かった。保険未加入の自転車の事故で被害者が賠償を受けられないケースが生じており、自 賠責保険という強制加入制度の導入で救済すべきだとの考えだが、国交省は消極的な姿勢を示している。【北村和巳、馬場直子】

 「自賠責保険は被害者救済が目的なのに、自転車は対象外として事故被害者を救おうとしないのは非常におかしい」。6月、国交省が99年から設置する「今後の自動車損害賠償保障制度のあり方に係る懇談会」で、委員を務める「全国交通事故遺族の会」の戸川孝仁副会長(65)が発言した。国が自転車を環境負荷の小さい新たな交通手段として位置づけ、今後も利用が広がることを指摘した上で「(自賠責保険の)制度を変えていく必要がある」と提言した。

 遺族の会は交通事故犠牲者の遺族ら約1000人で構成し、政府や国会に交通事故の防止策を提案している。自転車事故の被害者からも相談が寄せられ、自転車利用者が重大事故と認識せずに現場を立ち去り、重傷を負った歩行者がまったく賠償を受けられないケースもあったという。

 戸川副会長は「道路交通法では自転車も車と同じ『車両』なのに、自賠責保険への加入義務づけは車とバイクだけ。法の矛盾を改善し、自転車からも保険料を集めれば、被害者救済や事故防止対策の充実にもつながる」と指摘する。自身は93年に車の事故で当時9歳の次女を失った。「無責任に自転車を増やせば、多くの事故を招いた車と同じ状況になる」と訴える。

 国交省自動車交通局保障課は「自転車の実際の利用台数が不明で、どの程度の保険料とすればいいのか推計できない。車検のような機会がなく保険料の徴収も困難」と否定的だ。国交省幹部も「論理的には可能だが、国民が受け入れるかどうか。任意保険の加入率アップを目指すべきだ」と慎重な立場を崩してい ない。

 ◇保険義務化に賛否二分…交通安全協調査

 自転車保険の加入義務づけを巡り、全日本交通安全協会が05~06年に学者や愛好家、自転車業者、自治体など51の個人・団体に実施した調査で は、「必要」41%、「不要」55%と意見は二分された。学者の多くが支持した不要派には「経済性と手軽さが損なわれる」などの声があった。

 交通事故に詳しい弁護士は「自転車は車に比べて事故の被害が軽いと考えられてきたが、時代は変わり、裁判でも自転車側に厳しい判断が示されている。強制加入保険を早急に整備すべきだ」と強調。損害保険会社の関係者は「民間の保険では収支バランスを考えなければならない。普及させるには自賠責の方が望ましい」と指摘する。

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さようなら、三浦哲郎さん

もう27年も前のこと。
私が『北の文学』(岩手日報社刊)に投稿していたころの選考委員が、太田俊穂岩手放送会長、三好京三先生、須知徳平先生、そして三浦哲郎先生だった。
太田会長、三好先生、須知先生が私を最優秀賞に推してくださったとき、三浦先生は「私はこういう作風は好きになれない。ちゃんと地に足の着いた小説を書いてほしい」と苦言を呈され た。それは選評にも書いてある。
ただ、別の席で「だが、この人の文章力を認めないわけにはいかない」とおっしゃってくれたそうだ。この話は後に当時の学芸部長からうかがった。とても嬉しかった。

結局、お会いすることはなかったものの、感謝の気持ちを忘れたことはない。
心からご冥福をお祈りします。

■「忍ぶ川」、作家の三浦哲郎さん死去…79歳
(読売新聞 - 08月29日 17:37)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1324407&media_id=20

「忍ぶ川」など磨き抜いた文章で私小説を極めた、作家の三浦哲郎(みうら・てつお)さんが29日、うっ血性心不全のため死去した。79歳。

 告別式は9月6日午前11時、岩手県一戸町一戸大沢25の広全寺。喪主は妻、徳子(とくこ)さん。

 青森県八戸市生まれ。早稲田大学政経学部を中退し、郷里で2年間、中学教師を務めた後、同大仏文科に再入学。在学中から作家の井伏鱒二に師事し た。料理屋で働く女性と大学生の恋を描いた私小説「忍ぶ川」で1961年に芥川賞。叙情性の高い作品は栗原小巻さん主演の映画でも評判を呼んだ。

 その後、若くして命を落とした兄や姉らを、故郷の風土を背景に次々と小説に描き、集大成といえる長編「白夜を旅する人々」で85年、大佛次郎賞を受賞。88年に芸術院会員。劇団四季のミュージカルになった「ユタとふしぎな仲間たち」など人気作も多い。

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口笛が鳴った!

今日もサボールつもりだったが、やっぱり気になってしようがなくて、午後に石神の丘美術館へ。作業状況をちょっとだけ見てきた。

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うわあ、わくわくする。いい展覧会になりそうだ。

ところで、顔面神経麻痺の症状をチェックするのに「口笛」がある。発症時に医者に行ったときに「口笛を吹いてみて」と言われ、吹けなかった(私はけっこう上手だと自負している)。
その後、毎日チェックしていたが、今日、久々に音が出た。少しずつではあるが、回復しているのだろう。
ただし、左目のまばたきはまだうまくいかない。

第三回水原洋記念コンサートは9月3日マリオス小ホールで開催。

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サボール日記

来週末、石神の丘美術館で『アートウォーク』が開幕する。岩手の作家たちの美の競演だ。今日は作家がそろって準備に入った。陣中見舞いに駆けつけなければならないのだが、先週はいろいろ続いたので、体を休めるためにサボール。DVDを観て過ごす。

とはいえ、夕方には旧石井県令邸に出向き、下記オープニングパーティに参加。チンザノ(ロッソ)があったので、みんながビールを飲んでいるのをよそに、私はオンザロックでいただいた。

ここにも顔面神経麻痺の経験者がいて、「私は二週間入院した。大きな病院に行ってれば、純さんもきっと入院だったよ」と言われた。 現状、朝はちゃんとまばたきをするのだが、夜になるとよく閉まらなくなる。

展示作品は新人(学生)、若手、中堅、大御所と幅広く、作品の傾向も異なるのに、やっぱり(タイトル通り)日本(人)の感性だと感じた。若手作家のリトグラフで気になるのがあった。

旧石井県令邸は冷房装置がなく(扇風機が一個だけ!)、風も入ってこないものだから外より暑かった(若い人が多かったので熱気も!)。40分ほどで失礼した。

*「Prints-日本(人)の感性ー」  会期 2010年8月28日(土)ー9月11日(土) 11:00-18:00 火曜休邸日
出品作家 大宮政朗 田村晴樹 岩渕俊彦 出町隼人 近藤克  現役学生数名 
岩手大学アートフォーラム共催 入場無料
オープニングパーティ 2010年8月28日(土)17:30~

で、近くの麺屋慶次でラーメンを食べた。暑いときは暑いラーメンに限る(爆)。魚類と豚骨のWスープ、平たい太麺などすべて私好み。おいしかった。

いつもだったら、帰宅してから飲みなおすところだが、冷たい桃を食べつつ読書。健康的だ。
BS-hiで横手の花火大会を中継していたが、「音楽(BGM)付き花火」だったので消した。私は保守的なので、花火に音楽はいらないと思う。

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第3回 水原洋記念コンサート

ギター製作家の水原洋さんが亡くなって、もう4年になる。私は5年くらいの付き合いしかなかったが、今も心の中で彼は大切な友として生きつづけている。
彼を偲ぶコンサートが今年もひらかれる。
出演は若き巨匠高田元太郎。これは聞き逃せない。

2010年9月3日(金)19:00開演
盛岡市民文化ホール(マリオス)小ホール
全席自由:2500円

日本ギター界屈指のギタリスト高田元太郎。彼の行くところ常に衝撃の渦と化す!
水原洋。人生のすべてを捨ててギター作りに短い生涯を捧げた男。まさに命を削って遺したギター!
今宵、ふたつの魂が出会って新たな伝説が生まれる。

【主なプログラム】
バッハ/高田編:無伴奏チェロ組曲
サンス/高田編:スペイン組曲
ヴィヴァルディ/高田編:トリオ ト短調
バッハ/高田編:無伴奏ヴァイオリンソナタ 第3番
二橋潤一:哀しい歌・挽歌
チック・コリア/高田編:スペイン

その他の出演者:河野智美(ギター)、水原良子(ピアノ)、山口あうい(ヴァイオリン)。
司会:斎藤純




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内館牧子さんとの二日間

会う人ごとに顔面麻痺の症状を見せびらかしているあせあせ。意外にも経験者が多い。昨日もグラフィックデザイナーのI渕さんが「ボクもそれで入院したことがあるんだ」と言っていた。

 

木曜日は私の定休日。昨日の日中はのんびりと過ごした。夜は、盛岡にお越しになった内館牧子さん、高橋克彦 さん、盛岡文士劇の脚本家として知られる道又力さん、IBCの菊池幸見アナとHodoで夕食。シャブリとシャルドネを飲む。ぬるいシャブリ(!)を出したので、厳重注意。

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横綱寿司へ移動。NHKの利根川アナと合流。盛岡文士劇の顔ぶれだ。愉快な話に耳を傾けつつ寿司をつまむ。ひれ酒がおいしかった。

今日はレストラン石神の丘で、「恋人の聖地」石神の丘プロポーズの言葉コンテスト審査会。もめることなく、受賞作が決まる(やや意外性があるかもしれない。詳細は来週月曜日に発表予定)。

顔面麻痺は少~しずつよくなっているような気がするものの、内館さんからは「言われてみれば、顔の左半分が下がっているわね」といわれた。

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ソング・オブ・サマー

晩年のディーリアス(作曲家・6月30日の日記でCDを紹介している)を描いたテレビドラマ『ソング・オブ・サマー』(1968年)を観た。ケン・ラッセルのBBCディレクター時代の作品。

裕福な環境で作曲活動をしたディーリアスだが、晩年は若いころの放蕩のツケが梅毒という形でまわってきて、手足の自由と視力を失う。
そんな中でもディーリアスは作曲をづつけた。ドラマは、それを支えたエリック・フェンビーの視点で描かれる(脚本はフェンビーの記録をもとにしている)。
ディーリアスが音名や音符を口述し、それをフェンビーが楽譜に書いたり、ピアノで弾いて聴かせたりして完成した作品に『ソング・オブ・サマー(夏の歌)』などがある。このドラマを観ると、こんなに穏やかな音楽が、こんなに壮絶な状況から生まれたのかと驚嘆しないわけにはいかない。

ディーリアスの描き方がちょっと残酷で戸惑いを覚えたが、ラストを観ると納得がいく(感動的なのだ)。ケン・ラッセルはディーリアスを心底愛していたからこそ、冷徹な視線でドラマを撮ることができたに違いない。

パーシー・グレインジャーが出てきて、おや、と思った。陽気な作品をたくさん残したグレインジャーのお茶目ぶりがおもしろかった。

日本で公開されたのが何年なのか定かでないが、字幕の「デリアス」(かつてはそう呼んでいたそうな)が時代を感じさせる。

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岩手町を食べる

■昨日は石神の丘美術館。須藤英一展の撤収作業~来週末から開幕するアートウォークの準備などの予定だったが、学芸員が「わたしたちでやりますから、純さんは休んで」と言ってくれたので、うちから持っていった本をオフィスで読む。美術書を読むのも仕事のうち(全然、仕事と思ってないけど)。

須藤英一展には1800名の方にお越しいただいた。北海道、関東、関西など遠来の方が目立った。目標は2000名だったが、天候不順と猛暑のせいか思いのほか伸びなかった。なお、産直も同様というから展覧会の内容のせいではない。

■岩手町役場で、プロポーズの言葉コンテストの予備審査。100通あまりの中から「これから部門」、「これで決めました部門」各10本ずつに絞る。予備選考員は、役場から20代、30代、40代、50代の職員各一名ずつ&岩手町図書館の書士。揉めることなく、決まる。

■夜は道の駅懇親会。道の駅「石神の丘」はパワー工房(地元のお母さんたちが運営するお店で、手打ち蕎麦、おダンゴなどがある)、レストラン、産直、美術館がある複合施設(ほかに国交省のブースがあるが、ここはほぼ放置されている)。
それぞれの施設のスタッフが言葉を交わす機会があまりないし、今年は水害のため町のお祭りがふたつ中止になったことなどもあって、「賑やかなひとときをすごそう」ということになった。

岩手町の野菜(トランペット・カボチャという珍しいのを食べた)、岩手町の奥羽牛、岩手町の大和豚のBBQ(バーベキュー)をしこたま食べた。

産直の方から、7月初旬に雹の被害に遭ったキャベツを「『これは雹で穴があいてますが、表側のを2、3枚剥くときれいになります』と説明すると、みんな納得して買っていき、完売したのよ」という話を聞いた。
「農家が一生懸命つくったものをもったいない」という相互扶助の気持ちと、「雹で穴のあいたキャベツが珍しい」という理由で売れたそうだ。いい話を聞いた。
ちなみに岩手町のキャベツ(春みどり)出荷量は県内一位。

■私は宴の半ばで帰宅。IGRの車中、激しい雷雨に見舞われ「途中停止したらどうしよう」と不安になったが、無事、着いた。

■食べるのに夢中で写真を撮らなかったことが悔やまれる。

■顔面麻痺はよくも悪くも変化なし。薬が追加されたので、期待しよう。

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明日は我が身(誰もが加害者になりうる)

これまで自転車は「交通弱者」の面から語られることが多かったが、誰もが加害者になりうる。
ドライバーは万一のときのための備えをしているのに、自転車は法的な整備の不備に加えて、自転車を利用する人の意識も低い。

以下、毎日新聞の記事から。

銀輪の死角:自転車で亡くなるとは… 母失い埋まらぬ喪失感 加害者、重い代償

 ◇賠償5000万円、実刑、失職

 高額賠償を命じる判決が相次いでいることが判明した自転車を巡る交通事故。一瞬の不注意は被害者や遺族に大きな痛みや深い悲しみをもたらし、長く 癒やされることはない。加害者側にも賠償の負担に加え、刑事罰や失職など重い代償がのしかかる。手軽さの裏に潜んでいる「悲劇」が浮かぶ。【馬場直子、北 村和巳】

 05年11月、東京都杉並区の幹線道路。当時55歳の女性は、結婚したばかりの娘とその夫が訪ねてくるため、もてなしの買い出しに向かったところ だった。横断歩道を渡っていると、信号を無視して時速30~40キロで走ってきた自転車にはね飛ばされた。頭を打ち、意識が戻らないまま、数日後に亡く なった。

 「まさか自転車事故で亡くなるなんて」。遺族は信じられなかった。「なぜ歩行者の存在に注意を払ってくれなかったのか」。自転車を運転していた当時37歳の会社員男性に賠償を求めて提訴した。

 「大事な宝物を失った。『もういない』と思うと何もする気になれず、眠れない」

 「結婚準備で家具や日用品を一緒に選んでくれた母は、とても喜んでいた。家事を教わりながら新生活を始めるはずだったのに。夢であってほしい」

 訴訟で遺族は悲しみや怒りを訴えた。東京地裁は07年4月、男性に5000万円余の賠償を命じた。判決は「事故原因は加害者男性の一方的な過失。 遺族の思いは胸に迫るものがあり、涙を禁じ得なかった」と述べた。しかし、遺族の喪失感は埋まらない。「心の整理がつかない」と、弁護士を通じて癒やされ ない気持ちを語った。

 一方、加害者の男性は刑法の重過失致死罪にも問われ、禁固1年10月の実刑を受け収監された。現場の約30メートル手前で黄色信号を確認したが、後ろから来る自動車に気をとられ、事故の瞬間は「頭が真っ白になって」記憶はほとんどないという。

 事故当日は病院に付き添った。自身の母親も交通事故に遭ったことがあり、謝罪の意思はあった。だが、遺族とのやりとりを親族や代理人に任せたことなどで、思いは届かなかった。裁判では民事、刑事とも判決で「謝罪していない」と批判された。

 刑事裁判の1審判決後、遺族に「不注意で取り返しのつかない事態を引き起こしてしまいました」と手紙を書いた。「裁判対策だ」。遺族の怒りを増幅させただけだった。

 賠償金は所持するクレジットカードに付いていた賠償責任保険で支払った。刑期を務めて出所し、司法による償いも終わった。でも、仕事は失った。

 「直接話を聞きたい」との記者の申し入れに対し、男性は事故についてはもう触れたくないという様子で「勘弁してほしい」と周囲にポツリと漏らしたという。

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 ■解説

 ◇危険性、厳罰化で警鐘

 ◇保険、インフラ不十分 放置なら混乱必至

 歩道上の自転車事故で高額賠償判決が相次ぐとともに、主要4地裁の裁判官が「歩行者に原則過失なし」との「新基準」を打ち出したことは、自転車と 歩行者の事故急増を受け、司法が自転車利用者に「厳罰化」で警鐘を鳴らしたと言える。一方で、車の自賠責保険のような賠償を求められた際のセーフティー ネットや、自転車道などインフラ整備は不十分なままだ。この状態で厳罰化を進めれば大きな混乱を招くのは避けられず、今後、幅広い議論が求められる。

 日本弁護士連合会交通事故相談センター東京支部の部会長として自転車事故の判決例を分析した岸郁子弁護士は「司法はこれまで自転車を『歩行者寄りの存在』と考えてきたが、対歩行者の事故多発で『車に近い危険性を持つ』ととらえるようになった」と指摘する。

 被害者の一人は「自転車事故に共通するのは利用者の意識の低さ。いくつもの悲惨な事故が裁判所の(高額賠償や新基準という)判断につながった」と強調する。

 しかし、高額賠償や「新基準」が常態化しても、自賠責などのない自転車の利用者に支払い可能かといった新たな問題が生じる。歩行者側に後遺症が残ってもなかなか補償されず、加害者側も補償という重荷を負い続けるという状況が続出することも考えられる。

 歩道上に自転車と歩行者が混在する現状をどう転換するかといった問題も積み残されたままだ。司法の「問題提起」を機に、自転車との共生社会を真剣に展望すべきだ。【馬場直子】

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 ◆自転車を巡る主な動き◆

1970 車による自転車の死亡事故などの深刻化を受け、道路交通法を改正。自転車は公安委員会指定の歩道を通行可能に

 〃   「自転車道の整備等に関する法律」を制定

  78 道交法改正で自転車は「歩道通行可」の標識などがある歩道を通行可能に

  80 放置自転車問題が深刻化し「自転車の安全利用の促進及び自転車等の駐車対策の総合的推進に関する法律」を制定

  99 道路審議会が環境負荷の小さい都市交通手段として自転車利用への転換を答申

2001 「道路構造令」(政令)改正。自転車の独立した通行空間(自転車道など)の確保を求める

  06 警察庁が「交通安全対策推進プログラム」を策定。歩行中や自転車乗用中の死者を10年までに2割以上減少させる目標を設定

  07 道交法改正(08年施行)。児童らが運転する場合や、やむを得ない場合の自転車の歩道通行を容認

  09 自転車の3人乗りを解禁

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明日は我が身 続き

昨日のブログに関連して。

自転車事故:歩行者との事故、過失相殺認めず 自転車側に高額賠償

 ◇東京など4地裁「新基準」

 自転車の車道走行ルールを厳格化するため道路交通法が改正された07年以降、自転車で歩行者をはねて死亡させたり重傷を負わせた場合、民事訴訟で 数百万~5000万円超の高額賠償を命じる判決が相次いでいることが分かった。これと並行して東京や大阪など主要4地裁の交通事故専門の裁判官は今年3 月、「歩道上の事故は原則、歩行者に過失はない」とする「新基準」を提示した。高額賠償判決がさらに広がるのは必至の情勢となる一方、車道走行ルールが浸 透していない現状もあり、今後議論を呼びそうだ。(社会面に「銀輪の死角」、3面に「質問なるほドリ」)

 自転車は道交法で「車両」と規定され、従来、原則車道走行だが定着せず、歩道での自転車と歩行者の事故が急増。このため07年の道交法改正(施行 は08年)で歩道を走れる条件を明確にし、車道走行のルールを厳格化した。高額賠償が相次ぐ背景には、この厳格化を司法が酌み、加害者の自転車に厳しい態 度で臨んでいることがあるとみられる。

 こうした流れの中、交通訴訟を専門的に扱う部署のある6地裁(東京、横浜、名古屋、京都、大阪、神戸)のうち、京都、神戸を除く4地裁の裁判官は 今年3月、法律雑誌で誌上討論。自動車やオートバイの事故では、歩行者側の過失の程度により車両側の責任を軽減する「過失相殺」の基準が東京地裁の研究会 などにより示されているが、自転車にはないため、4地裁の裁判官は自転車にも基準の必要性を確認した。

 その上で、横浜地裁の裁判官が、歩道上の事故については道交法で自転車の走行が原則禁止され、通行できる場合も歩行者の安全に注意する義務がある と指摘。「事故の責任は原則、自転車運転者に負わせるべきだ」とした上で、運転者が児童や高齢者でも変わらないとし、他の3地裁も基本的に一致した。

 「新基準」に、4地裁は「検討が必要」としているものの、あるベテラン裁判官は「各地裁は参考にしていく」と、その影響力を指摘。別の裁判官は「自転車には非常に厳しいが、自転車の台数増加など事故の要素が多くなっていることを受けたものだろう」と評した。

 一方、自転車の交通事故を担当する弁護士は「自転車の車道走行は一般的に浸透していない」と新基準に疑問を呈する。さらに、自動車損害賠償責任保 険(自賠責保険)のように所有者が強制加入する保険がないことから「加害者の資力が問題」と懸念を示している。【北村和巳、馬場直子】

 ◇件数、10年で3.7倍

 社団法人「自転車協会」の調べでは、全国の自転車保有台数は08年3月時点で約6910万台。最近10年で約398万台増えた。警察庁によると、 09年の自転車関連事故は15万6373件で、交通事故全体の21・2%を占める。自転車事故の増減はこの10年ほぼ横ばいで、8割以上は対自動車だが、 対歩行者事故に限ると、99年の801件から09年は2934件。10年間で3・7倍に激増した。自転車同士の事故も09年は3909件で、10年前の 4・4倍に増えている。

 自転車側が過失の大きい「第1当事者」となった2万4627件のうち、未成年の占める割合は39・6%。訴訟では13歳前後から賠償責任を負うと の判断が多く、未成年が高額な賠償を求められかねない実情が浮かぶ。これらを含め、自転車側に法令違反があったのは、自転車事故全体の3分の2に及んだ。 【馬場直子】

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 ■ことば

 ◇過失相殺

 損害賠償訴訟で被害者にも責任や過失があった場合、その程度に応じ裁判所が賠償額を減らす仕組みで、民法に規定されている。例えば交通事故被害者 の損害額が2000万円だったとしても、被害者に周囲の安全を確認しなかったなどの過失があり、賠償額から差し引くべき割合が20%と判断されれば、賠償 命令額は1600万円になる。一般の訴訟では裁判官が事案に応じ自由に過失相殺の割合を決められる。

毎日新聞 2010年8月21日 東京朝刊

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明日は我が身

自転車事故:救済システム未整備 勝訴でも賠償なしの例も

2010年8月22日 2時30分 更新:8月22日 3時13分

 自転車と歩行者の事故で、加害者側が保険に未加入だったため、被害者側が勝訴しても賠償を受けられないケースが出始めている。被害者からは「自転 車にも車の自賠責保険のような制度があれば」との声も聞かれる。セーフティーネットの未整備は、被害者をさらに苦しめている。【馬場直子、北村和巳】

 東京都品川区の女性(67)は03年4月、健康診断の結果を聞くため病院に向かう途中、自宅近くの狭い交差点で近所の男性(58)の自転車とぶつ かり転倒、左足の太ももを骨折して3カ月入院した。夫は脳卒中で入院中。パートなどで一家の家計を支えてきた女性にとって、約80万円の治療費は大きな出 費だった。

 不幸は重なる。その年の大みそかに、茨城県に住む母が病気で倒れて入院した。平日は面倒をみるため痛む足を引きずりながら、母が亡くなった04年4月まで東京と茨城を往復する生活が続いた。

 事故の際、女性は「はねられた」と思ったが、相手の男性は「自転車にまたがって止まっていたら女性がぶつかってきた」と主張し不起訴処分となっ た。「真実を明らかにしてほしい」。女性は05年4月、東京地裁に提訴した。1年半後、判決は「走行中の自転車が女性にぶつかった」と認め、男性に567 万円の賠償を命じた。その約半年後の07年3月に2審も勝訴し、判決は確定した。

 しかし、男性は保険に入っていなかった。女性は男性の給料を差し押さえようとしたが、男性は自己破産を申し立てて認められた。破産により賠償が免責されるかどうかの訴訟を最高裁まで争ったが、今年7月に敗訴が確定した。

 5年を超えた裁判闘争で、手元に残ったのは費用の借金と箱いっぱいの裁判資料。今も足にはボルトが入る。年金収入だけでは家賃の支払いも大変で、将来も不安だ。睡眠薬に頼る日もある。

 事故後、自転車とすれ違うと怖くて、近くに壁があるとへばりつくこともあった。自動車との事故なら加害者の自賠責保険で賠償され、たとえ無保険でも国による保障制度があるが、自転車にはそんな救済システムはない。「加害者は賠償するのが当然なのに。ただ悔しい」と言う。

 一方、男性は「こちらは悪くない。警察でも検察でも自分の主張は通って(不起訴処分となって)いるのに民事裁判で負けてしまった」と語る。賠償額 は法定利息も含めると800万円近く。「払えるわけない。保険に入っていればよかったと思うが。自己破産するしかなかった」と首を振った。女性がけがをし たのは気の毒だと思う。だが、自己破産で自身も従来通りの生活はできなくなった。「事故で家の中、がたがたですよ」。男性はつぶやいた。

 ◇保険加入義務づけ 半数「必要ない」

 全日本交通安全協会が05年に実施したアンケートによると、自転車利用者に保険加入を義務づけることを「必要」とした人は33.1%で3人に1人 程度。「必要ない」とした人は半数近くの47.0%にのぼった。このうちほとんど毎日自転車に乗る人では「必要」が22.5%にとどまる一方、「必要な い」は過半数の55.0%。利用頻度が高いほど事故などのリスクが高まるにもかかわらず、利用者の意識に大きなギャップが生じている実態が浮かぶ。

 義務づけが必要ない理由(複数回答)については81.9%が「利用者が自主的に考えること」としたが、「費用がかかるから」(24.4%)や、「自転車は死傷事故の加害者となることがほとんどない」(21.0%)というものもあった。

 交通事故訴訟にかかわる弁護士からは「お金がない人ほど任意保険に入らない現状がある。自転車にも自賠責保険のような強制加入保険制度が必要だ」との指摘も上がる。

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【北村和巳】

*自転車にも保険は必要だ。上記の対策のひとつとして、少なくともTSマークに加入するべきだろう。盛岡市の自転車条例ではTSマーク(と明記こそしていないが)加入を奨励している。

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シェー!(ンベルク)

「シェー!」と言っても、若い人には何のことかわからないだろう。もっとも、話題はイヤミ(←わかんないだろうなあ)とは全然関係ない。

うちの中は風が入ってきて過ごしやすいのだが、マンションの大規模修繕の工事の音が凄くて、結局、窓を閉めてエアコンを入れた。

涼しげな音楽をかけようと思い、シェーンベルクの弦楽四重奏を選んだ。12音技法だから冷たい感じがするだろうという予想に反して、意外にもけっこう暑苦しい(ベートーヴェンのようだ、と言ったらわかりやすいだろうか)。
あわててバッハのリュート組曲に替えた。こちらは涼しいというよりも、そこはかとない気だるさが夏の午後に相応しい。大人の音楽ですなあ。

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顔が崩れる……

ドクターの了解を得て、午前中、久々にロードバイクに乗った。

軽いギアを高い回転数でクルクル回して北上川沿いを40分ほど走った。割と涼しくて走りやすかったが、止まったとたんに汗が吹き出した。湿度が高い。まばたきをしない左目の「乾き」対策が課題だ。
今日はほんの脚慣らし。少しずつ負荷を大きくしていき、10月初旬にはリベンジ八幡平ヒルクライム単独走に挑みたい。

ところで、お風呂にゆっくり(といっても、私のゆっくりは15分程度だが)浸かると、顔面麻痺に効くようだ。一方、ずっとパソコンに向かって仕事をしていると、顔がひきつるような感じになる。
鏡を見ると顔の左側が崩れて……(夏なのでちょっと怪談風に)。

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今日は一日サボール三昧

タイトルはNHK-FMのパクり。

早朝、あまりの寒さに窓を閉めた。関西関東方面ではまだ猛暑がつづいているとのこと。お見舞い申し上げます。

今日は短い原稿を一本書くだけ。うちでのんびりサボールしようと思う(CD聴いて、本を読んで、DVDを観て……)。

エアコン不要の過ごしやすい天候なのだが、マンションの大規模修繕が始まったため、ガチャンドガドガッと騒音が激しい。窓を閉めてエアコンを入れるか……。

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これからサボール

午前中は盛岡市自治体経営推進会議指定管理部会(長い!)。市役所の会議室に行ったら、誰もいない。おでっての会議室だとわかり、大急ぎで移動。
先日の本会議は「サボール」したが、今回は私が部会長だから出ないわけにいかない。

その後、耳鼻科へ。検査のための血液をとる。
もっと効く薬はないか訊いたら、「ステロイドもあるが、その程度の症状だと副作用のリスクのほうが大きい」とのことで、薬は前回と同じもの。
完治するまで半年ほどかかる場合もあるそうだ。

来月の水原記念コンサートの打ち合わせ。ゲストにマエストロ高田元太郎さんをお迎えする。いいコンサートになりそうだ。

『街もりおか』編集部で9月号の校正をはじめるが、昼飯を食べていないことに気づき、中河でラーメン。 校正は編集部のSさんにまかせてサボールことにした。

今週は土曜日まで、うちでサボール(休養)。 心ある友人がケン・ラッセルの『ソング・オブ・サマー』と『エルガー ある作曲家の肖像』を貸してくれた。楽しみ。

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東西冷戦ものを読む

このところ、東西冷戦ものの映画を観たり、本を読んだりしている。
歴史音痴なので、ざっとおさらいをしようと思い、コンパクトな本書をまず読んだ。正解だった。
1989年の東欧革命の現場にいた著者が、臨場感あふれる解説をしている。 重要なのは、東欧革命から2、3年しか経っていないときに書かれていることだ。つまり、まだ「歴史的な判断」がなされる前だし、革命後のごたごたもおさまっていない(ことにルーマニアについては、渦中の時期だったと言っていいかもしれない)。
アウトラインはわかったので、これから大著『東欧革命1989 ソ連帝国の崩壊』(ヴィクター・セベスチャン)を読もうと思う。

次にフィクションを。

『寒い国から帰ってきたスパイ』。私が持っている本の奥付を見ると昭和53年5月発行とある。出てすぐに読んだのだ(この本は決して捨てないで持っていようと思った)。

ところどころ憶えている程度で、ほとんど忘れていた。私は読み終えると、片っ端から忘れてしまうのだ(老人力か!)。結末を憶えていないのは幸いだった。

が、最後のページにきて、思い出した。 「よせ!」とリーマス(主人公。ジョン・スマイリーのシリーズなのだが、本書にはスマイリーがあまり登場しない)に心の中で叫んでいた。わかっているだけに最後のページをめくるのがつらかった。重量級のエスピオナージュだ。

もう少し軽いものが読みたくなって、『冷戦交換ゲーム』をひらいた。

これはおもしろい! 人物描写もアクションシーンもうまい。 ル・カレほど深刻ではないが、キルマスター・シリーズ(60年代)ほど軽くはない。

ただ、時代背景をまったく知らない世代には、若干説明不足かもしれない。が、これは作者のせいではない。

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な、な、なんと!!

先日、フラメンコ・ダンサーの中田佳代子さんと電話で初めてお話しした。なんと盛岡四高の後輩とのこと。ますますファンになった。

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今日は一日フュージョン三昧

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NHK-FMでは、今日のお昼から10時間あまりにわたって、今日は一日フュージョン三昧を生放送。

解説:熊谷美広(音楽評論家)
スペシャルライブ:渡辺香津美(g) グレッグ・リー(b) 鶴谷智生(ds)

どっぷりと浸るというほど熱心な聴き手ではなかったが、ずいぶん感化された。
もともとフュージョンという言葉はなくて、はじめのうちはジャズロックと呼んでいた。それから、ブラック・ファンクとも呼んだように記憶している。やがて、クロスオーバーというようになり、これで定着するかと思われたが、フュージョンに落ち着いた。

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ヴィクトリア朝時代の知識人たち

イギリスという国はヴィクトリア朝時代が一番おもしろいと思う。

ヴィクトリア朝時代を代表する知識人のうち、ジョン・ラスキンはよく知られている。次いでウォルター・ペイターの名が知られているだろうか。
この二人に比べて、ロジャー・フライはその著書が流通していないこともあって、あまり知られていないような気がする。
画家を目指したが(一応、画家でもあったわけだが)、そちらでは大成せず、批評家・鑑定家として一家を成した。イギリスでゴーギャンやセザンヌな ど後期印象派を紹介(というよりも、擁護といったほうがいいかも)した功績が大きい。ロジャー・フライがいなかったら、イギリスの美術界は世界から取り残 されただろうと言われているくらいだ。

そのロジャー・フライについて、なんとヴァージニア・ウルフが書いた伝記。親族からの依頼に応じたため、「ぬるい」という評価もあるが(その点については訳者による「あとがき」が充分な補足になっている)、ウルフほどの人が書いたのだから、おもしろくないわけがない。

ロジャー・フライはケンブリジッジ時代に自転車を覚えたようだ。しばしば自転車でスケッチに出かけたり、フランスで美術館巡りをしたという記述があり、親しみを感じる。

ニューヨークのメトロポリタン美術館の礎を築いたJ.P.モーガンの意外な人物像(俗物!)をこの本で知った。


ウォルター・ペイターの名は知らなくても、「あらゆる芸術は絶えず音楽の状態に憧れる」という名言を知らない人は少ないだろう。これはペイターの著書『ルネサンス』の中からの言葉だ。

ペイターは「唯美主義者」としてオスカー・ワイルドらに大きな影響を与えたということになっているが、この本を読むと、どうもそうではなかったことが明らかになる。ただし、そのような「ペイターの人物像」が描かれているのは、最終章のほんのわずかなページでしかない。

したがって、この本のタイトルに「肖像」とあるのは、いささか言い過ぎの感が否めない。本書はペイターの主要な著書を丁寧に解読した案内書である。「伝記」を期待しても応えてはくれない。

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「孤独のシュプール」を聴く

シベリウスの弦楽合奏曲といえば、「アンダンテ・フェスティーヴォ」が有名だ(私も演奏したことがある)。そのシベリウスがこんなに多くの弦楽合奏曲を残していたことを、このアルバムと出会うまで知らなかった。


さすがヴァイオリニストだっただけに、弦の響きのすべてを熟知している。合唱曲を弦楽合奏曲に本人自身が編曲しなおしたものなどもあるが、どれもひじょうによく練られていて、完成度が高い。 「孤独のシュプール」はいかにも北欧の音楽という感じがする。北東北で暮らしている人なら、黙っていてもこれが「北の音楽」だとわかると思う。

もっとコンサートで演奏されてもいいはずなのに、残念ながらその機会は少ない。

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なかなかサボれない……

本日も顔面麻痺に変化はなし。サボール宣言はしたものの、実行するのは難しい。

火曜日は石神の丘美術館スタッフが「帰ってください」と言ってくれたので、午後はうちで過ごした。昨日は夕方に県立美術館で、どうしても外せない打ち合わせがあった。今日も午後に重要な打ち合わせがある。

というわけで、なかなかサボールな日々は送れないものだ。

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真夏の一枚

洗練の極み。
これほど「刺」のない音楽も珍しい。しかし、決して軽薄で軟弱な音楽ではない。深く染みこんでくるのは芯がしっかりしているからなのだろう。

2010年、猛暑の夏がこのアルバムでどれだけ救われたことか。

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サボール斎藤宣言!

■ウィルス性の顔面麻痺は治癒に長くかかるとのこと。今週末、薬の効果を見るために血液検査。根絶しないと再発する可能性がある。
朝は顔面麻痺の症状が軽いようだ。夜になると、まったくまばたきをしなくなる。
扁桃腺の痛みが復活したことが気になる(薬は出してもらった)。

■昨日の某重要会議で、重責ある役を振られそうになるが、もっといい代案を出して逃げた。これからは「サボール斎藤」という異名をとるのを目指すのだ(神保町のサボールはまだあるだろうか)。

■先週は寝苦しい夜が続いたが、昨夜はいつもの盛岡の夏に戻ったような気がする(暑さに慣れただけも)。

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サボりつつ復帰……

■昨日はNHK-FM『今日は一日プログレ三昧』を聴きながら休養。山田五郎氏がドイツ語に堪能なのはびっくり。能ある鷹は爪を隠すんですなあ。

■今日は某重要会議の後、耳鼻科、『街もりおか』編集部へ。徐々に通常営業に戻らないと……。
といっても、顔面麻痺はまだ続いている。長期戦になりそうだ。

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居心地のよさを求めると

■今日、ロードバイクの仲間たちは八幡平ヒルクライムに向かった。私が「ドクターストップで参加できない」と告げたとき、仲間たちは「これで晴れる!」と手を打って喜んだ(涙)。

実際、快晴だ。朝からひどく暑い。これじゃアスピーテラインの入口に着いた時点でかなりバテるに違いない。もっとも、山頂まで行けば10度は低い。そのご褒美を目指してがんばっていることだろう。

■本当はしっかり休んだほうがよいのだが、そうもいかない。『街もりおか』の編集作業が佳境を迎えている(今月は印刷会社がお盆休みに入るため、ちと前倒し傾向)ので、午前中はやっぱりうちでお仕事。

で、午後からはちゃんと休養。
仕事中はマイク・ブルームフィールド(白人ブルーズ)を聴いていたが、その後はレオ・フェレ(シャンソン)を。これから『フェリーニのローマ』を観る(もう50回目くらいか)。居心地のよさを求めて休養に必要なものを並べると、こんな具合になる。いや、どうも後ろ向きですネ。

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顔面麻痺の顛末

7月31日(土)のこと。
朝、起きたときに、顔の左側に違和感があった。
鏡を見ながらいろいろ試してみると、まばばたきのときに左の瞼がちゃんと閉じていない。歯医者の麻酔が残っているような感覚もある。顔面麻痺、と判断して耳鼻科へ。
実は高熱でダウンした後も喉の痛みと左耳内耳の痛みに悩まされていた(熱は平熱)。それで耳鼻科にかかっていた。

ベル麻痺だろうという診断で、ステロイドなどの薬が出た。同じ左側の喉が痛かったこともあり、ウィルス性も疑って血液検査。さらに、「可能性は極めて低いけれど」脳の異常を調べるために脳神経科でMRI検査を受けることになった(実はMRIを前からやりたいと思っていたのだが、ようやく初めて体験できた)。

MRI検査の結果、脳に異常はなかった。ただ、「顔面麻痺とは関係ないが、気になるところがある」というので、脳MRAと頚部エコー検査を受けた。これも先天的なものだから異常なしと判明。

昨日、耳鼻科にて最終的な血液検査の結果と照らし合わせて、「ウィルス性ですね」とのこと。

今回はとても軽い症状ですんだが、疲労の蓄積が高熱も含めてすべての原因だったらしい。内科の主治医、耳鼻科医、脳神経医から口を揃えて「身体を休めてください」と言われた。確かに6月から忙しくて自分でも「ちょっとしんどいな」と思っていた。今月も体調を崩しながら、完全に回復しないうちに無理を重ねてしまった。

結局、7月中の半分はダウンしていたことになる。あちこちに迷惑をかけてしまった。
私は元気なつもりでも(つい「気力で乗り切る」という悪い癖がある)、身体がSOSを発信していたのだ。
知人から「休養も仕事のうち」と忠告された。これからは「いかにサボるか」をテーマにしよう(笑)。

たくさんの方にご迷惑をかけました。また、ご心配いただきました。まだ完治はしていませんが、回復傾向ですので、大丈夫です。

一番残念なのは、明日の八幡平ヒルクライムに参加できないこと。昨年から楽しみにしていたのに、本当に残念でならない。

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スターバト・マーテルを聴く

『スターバト・マーテル』といえばペルゴレージの作品が有名だが、実に多くの作曲家がこの宗教音楽に取り組んでいる。
それらがあまり知られていないのは、コンサートでなかなか演奏されないせいかもしれない。もっとも、宗教音楽全般が日本ではあまり演奏されていないわけだが。

かくいう私にしても、宗教と切り離して「音楽」として聴いているにすぎない。それでは、この音楽を真に理解していることにはならないし、おそらく愛する資格もない。

今、ぼくはヴィヴァルディとロッシーニのを聴いている。どちらも「悲しみの聖母」に相応しい楽曲だ。

スターバト・マーテルにはハズレがあまりない。というのは、思い過ごしだろうか。

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『灰の中の名画』を読む

14年ぶりに読んだ。中身はすっかり忘れていたが、ドッグイヤー(気になるページを折っておくこと)がたくさんあったので、「ああ、一度、読んだのか」とわかる。

第二次大戦末期、ドレスデン大空襲(これについては、カート・ヴォネガットの小説がある)で焼失したはずの名画(クールベの『石割り人夫』)が現存しているらしい、という情報が流れる。美術界の魑魅魍魎がさまざまな思惑で、それを探し始めるという美術ミステリー。
多くの魅力的な人物が出てくるから、名前をおぼえるのに苦労させられた。

背景に東西問題がからんでいるので、冷戦ものとも読める。また、発端がヨーロッパ戦線で、ナチスものとしても読める。

これだけ秀逸な美術ミステリーを書いたのが作家ではなく、オークション会社の重役だったのだから、驚く。 先頃買った『印象派はこうして世界を制服した』の著者が同一人物だった。これにも驚いた。

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失敗、失敗。

昨日は「盛岡さんさ踊りパレード」初日(しかも、唯一、休日と重なった日)だったので、岩手町の人たちもみんなお出かけしてしまい、町内が森閑としていた。
そんな中で、私たちのライヴにお越しくださったみなさんに本当に感謝申し上げます。

今年はラトゥール・カルテットの弦楽四重奏コンサートも「チャグチャグ馬こ」の日に重ねてしまい、ご迷惑をかけました。

来年以降、気をつけます。

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いよいよ、本日!

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石神の丘ギャラリーコンサートにジプシースィング・バンド「ホットクラブ盛岡五重奏団」が出演します。午後5時30分スタートです。

ジプシースィングは、ジャンゴ・ラインハルトの活躍で知られるフランス生まれのアコースティック・ジャズです(マヌーシュスィングともいいます)。
差別と迫害を受け続けてきたジプシーの魂の叫びが、洒脱で哀愁を帯びた独特のメロディに込められています。超絶技巧ギターを、この機会にぜひお聴きください。

実はこのバンドには私も参加しています。簡単な解説もしますので、音楽を楽しみながら、ジプシーの理解を深めていただきたいと思っています。
曲は「ル・ジタン」、「マイナースィング」、「黒い瞳」、「ドナウ川のさざなみ」ほかを予定しています。

須藤英一写真展「東北の道を行く」も開催中(17日~)ですので、お誘い合わせのうえ、お越しください。
なお、ギャラリーコンサートのチケットを受付で提示していただくと、ご同伴者の方の企画展料金(300円)が無料になりますので大変お得です。一回限り有効です

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