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被災地へ

■大船渡リアスホールで焚き出しの支援活動をしている「さんさんの会」に、支援物資を届けてきた。ホッカイダークマさんが運転するハイエースのカーゴスペースは、物資(プロパンガス釜2台、ズン胴鍋7つ、紙コップいっぱい)で満杯。雨天だったので、無蓋のトラックでは大変だっただろう。クマさんのおかげで助かった。

リアスホールは避難施設としては恵まれているほうなのだというが、廊下に寝ているような状態で、一刻も早く仮設住宅が必要だと痛感させられた。

その後、三陸町綾里の廣洋館から依頼のあった物資を届ける。大船渡中心部は瓦礫の処理が着々と進んでいるが、町外れはまだ生々しい。同じ標高でも被害の大小があるなど、津波の動きの謎を垣間見た。

廣洋館のご主人とは共通の知人がいて、いろいろとお話をうかがってきた。このあたりでは、断崖を29メートルの高さまで津波がはいあがったとのこと。

■岩手県内では大槌町と並んで被害の大きかった陸前高田へまわった。八木澤商店の河野和義さんにお会いするためだ。

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支援基地になっている陸前高田ドライビングスクールで、河野さん親子は精力的に支援活動を行ってきた。今後は遠野のNPOに引き継ぎ、河野さんらは八木澤商店の再建に取り組む。
「オレはやるよ」
河野さんはそう言って、私の手を力強く握った。
被災した企業がどんどん人材を解雇している中で、八木澤商店は何もかも失ったにもかかわらず、新規に二人採用した(ニュースでも報じられた)。再建のためには若い人材が必要だからだ。

ほぼ壊滅した陸前高田を目の当たりにして、私はただ呆然とするばかりだった。自分がこの土地の人間だったとして、ここを復興させようという気力をふりしぼることができるかどうか。私にはできない。正直、そう思った。海の男は強い。

■被災地では他県ナンバーのクルマもけっこう見かけた。ワゴンは支援物資を運んできたのだろうけれど、スポーツカーに乗ってきて写真をばしばし撮っている野次馬もいた。胸に手をあてて、被災者の子どもの目をまっすぐに見ることができるか、と問うてから現地に足を踏み入れてほしいものだ。

そんな人もいる一方で、クマさん(プロのフォトグラファーだ)は、こういう機会だというのに一眼レフを持ってこなかった。クマさんの心配りにも私は打たれた。

■私は被災地には行かないつもりだった。私などが行っても役に立たないし、第一、私は臆病なのであまり近づきたくないというのが本音でもあった。そのうえで、後方支援に徹するつもりでいた。
が、SAVE IWATEの寺井代表から「現地を必ず見ておいてほしい」と釘を刺された。ショックを受け、それによって活動のモチベーションが違ってくるというのだ。
確かに寺井代表の言うとおりだった。決して「見てきてよかった」とは思わない。見なくてすむなら、見ないほうがよかった。現実の姿はあまりに厳しかった。

そんな中で、河野さんと握手を交わすことができたことが、私にとってはひとつの大きな救いだった。

SAVE IWATE

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投稿: 心斎橋 | 2011年4月11日 (月) 23時28分

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