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「ぴあ」創刊号を見る

「ぴあ」が廃刊(休刊?)になった。その最終号の付録が、創刊号(1972年7月号)のレプリカだった。

まず、映画のページで『ひきしお』(ドヌーブとマストロヤンニ)と『ゴッドファーザー』が同じ時期の公開だったことに驚く。『ひきしお』はもう少し前、『ゴッドファーザー』はもう少し後という気がしてしまう。なぜだろうか。
名画座のページに、「ギンレイホール」があった。何度か通ったものだが、すっかり忘れていた。

ライヴハウスのページを見ると、フォー・ジョー・ハーフ、ジプシー・ブラッツ、乱魔堂など懐かしい(忘れていた)名前がある。もんたよしのりグループというのもあって、もんたよしのりはこのころからもう活動していたのかと驚いた。
吉田拓郎が井上堯之グループと共演していたことも初めて知った。

72年といえば、私は高校一年だった。フォークから気持ちが離れ、フォークギターからエレキギターに持ち替えて、ブリティッシュロックに傾斜していった時期にあたる(それから1年後くらいにブルーズに目覚めるわけだが)。この「ぴあ」にはウィッシュボーン・アッシュの『百眼の巨人アーガス』の新譜広告が出ている。これは当時、必死になって聴いたアルバムだ。

来日アーティストのページがまた渋い。ジェスロ・タル、エマーソン・レイク&パーマー、ショッキング・ブルー、ディープパープルらとともに、ダスティ・スプリングフィールドの公演もあるところが当時の音楽状況を物語っている。
ちなみ、エマーソン・レイク&パーマーが後楽園球場でおこなったライヴは、観客がステージに殺到したため演奏中止という事態を招くという「記念碑的」ライヴとなった。

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文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

72年は高校生でしたか・・・
僕はすでに大学生。京大で第二回幻野祭が行われ、農学部キャンパスに作られたステージ上でウエストロードブルースバンドのアンプの防衛隊をやっていました(笑)
西部講堂の屋根にオリオンの三つ星を書いたのはその前章。

東山の送り火「大」の字に点を加えて「犬」にしようという計画もありました(笑)
警備が厳重でこれは頓挫しましたが。
百万遍の交差点にペンキをぶちまけて京都新聞に「百万遍に謎のペンキ!?」とでかでか載ったりしました(もう時効)

その頃のことが書かれているブログがありました。
http://60s-takashi.blogspot.com/2009/08/blog-post_18.html
彼のことは知りませんが、ブログ中「汗だくで20人ぐらいかな2日たっぷりかかった。」の20人の中の一人は僕で入道ライブに来てくれる京都の友人や昨年亡くなった大学の先輩などもその中にいました。

もう40年近くなるんですね。
みんな年を取るはずだ。
富士夫はヤク中抜けたかなぁ・・・
もうずいぶん会っていない。

投稿: CROSSROAD | 2011年9月14日 (水) 17時33分

CROSSROADさん、どうも。

>東山の送り火「大」の字に点を加えて「犬」にしようという計画もありました(笑)

見たいです(笑)。

投稿: 斎藤純 | 2011年9月15日 (木) 07時37分

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