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「復興という状況にはまだない」――陸前高田市長が語る被災地の現状

日本外国特派員協会で1月24日に講演】 
東日本大震災による大津波などで、死者1556人、行方不明者218人、家屋倒壊数3341人と、大きな被害が出た岩手県陸前高田市(2012年12月31日時点)。死者・行方不明者を合わせると市の人口の7%以上が失われたことになり、トップである戸羽太市長も妻を亡くしている。
 震災から2年が経とうとしているが、日本外国特派員協会で1月24日に講演した戸羽氏は「正直申し上げて復興という状況にはまだない」と訴え、その原因として縦割り組織の弊害や、通常時のルールから抜け切れていない問題があると指摘した。
通常のルールを変えられないでいる
戸羽 岩手県の中では陸前高田市が一番大きな被害を受けており、たくさんの犠牲者が出て、今なお、たくさんの方々が行方不明という状況にあります。現在でも200人以上の方が行方不明で、昨年1年間、警察や海上保安庁の方々に捜索をしていただきましたが、発見された行方不明者はたったの1人で、大変危惧しているところです。
 この間、私は政府に対してさまざまな問題を指摘してきましたし、ある海外のメディアからは“トラブルメーカー”という書かれ方もされました。ただ、私は「復興を進めていくためには何が問題なのか」ということを相手が首相であろうが、しっかり言っていくことが必要なんだろうと思って活動してきました
 私は2011年3月11日に被災する直前の2月6日の選挙で市長にさせていただいて、2月13日からが任期という中で、こういった被災を受けました。私は生まれて初めて、その時に絶望というものを感じました。
 津波があった時は市役所庁舎の中に逃げたのですが、その日は市役所に閉じ込められてしまいました。次の日の朝、山の方に登っていったのですが、妻の行方が分からなくなってしまい、捜しに行くことができない自分というのがいました。私は市長ですから当然仕事をしないといけないわけですが、一方で自分が人間として、あるいは夫として、本当に情けない、申しわけない、そういう気持ちでこの間も仕事をしてきています。
 被災した時、絶望の中でいろんなことを考えました。でも、時間が経てば、1年経てば、2年経てば必ず良い状況にあるだろう。そういうことも思いながら仕事をしてきたのですが、2年が経とうとしている現在、正直申し上げて復興というような状況にはまだありません。
 2年という長い月日があったにも関わらず、現状はがれきの山が残り、津波の被害を受けた公共施設が残り、まだまだ復興という状況にありません。このことについて、私だけではなく多くの被災者は大変将来に対する希望が見えていないのではないかと思っています。
 なぜ復興が進まないのか。当然、いくつかの理由があるわけですが、一番の原因はやはり国の考え方だと私は思っています。
 政治家の方々には「1000年に1回」「未曽有の大震災」「被災者に寄り添うんだ」と言葉では言っていただいています。しかし、現実にはなかなかそうはいきません。例えば被災した時、陸前高田市にスーパーもお店も1つもなくなってしまって、水1本買うところがない。もちろん食料などない。そういった時にスーパーを建てようとしても、「そこは農地だからスーパーなんて建ててはいけません」となるのが日本の現実だと私は思っています。
 みなさんご存じの通り、日本は縦割り社会と言われていて、特に国のシステムが縦割りになっているわけです。当時、ガソリンがなくて、大変苦慮しました。なぜガソリンがないと苦慮するか。私たちのところでは毎日毎日たくさんの遺体が発見されます。そして、その遺体をそれぞれ小学校や中学校の体育館に収容していただくのですが、家族を探しておられる方々がガソリンがないために、遺体を探しに行くこともできなかったんですね。そういうことで、大変苦慮しました。
 残念なことに陸前高田市はガソリンスタンドが全部被災していて、貯蔵タンクがなかったので、いつまでたってもガソリンが来ませんでした。その時、当時の副大臣をされていたある政治家がいらっしゃって、その場で経済産業省に電話していただいて、ドラム缶でガソリンを運んでいただくことになりました。そして、どうやって給油しようかという話になった時、大変危険な作業なので、自衛隊の方々にお願いすることになりました。しかし、いよいよ明日ガソリンが来るという日になった時、経済産業省から「これは経済産業省が出すガソリンなので、自衛隊の方々に給油はさせないでください」という電話が来ました。
 それくらいの縦割りというものが現実にあるということを、私は初めて知ったわけです。そういったひとつひとつのよく分からないルールが、現実に我々の復興を遅らせているのだと思っています。どんな緊急時になっても通常のルールが生きていて、緊急だという意識を国に全然持っていただけない。これが一番大きな理由だと思います。
 例えば山の木を切って、あるいは山を崩して平らな地面を作って、そこに家を建てることをこれからやります。しかし、その手続きはすごく時間がかかります。私たちがその計画を市民のみなさんに発表したのが2011年8月、実際に工事が始まったのは2012年11月です。私たちにとっての1日と、国会議員のみなさまにとっての1日は同じ1日かもしれませんが、私たちにとっての1日は全然意味が違います。そういうことを国の人に分かっていただかなければ、復興は進まないだろうと思っています。
 先ほど申し上げた通り、陸前高田市は現状、まだまだ復興状況ではありません。まだ、がれきの山がいっぱいあったりするわけです。みなさんご存じの通り、今回津波の被害を受けたところは、本当に田舎の町です。人口が少ない、経済的な基盤が弱い、財政的な基盤が弱い、高齢化率が高い、そういうところがやられてしまいました。2年経って、今なお被災地は被災地の状況のままです。
 でも、東京や大阪で同じことが起こったら絶対にそんなことはない、もっと早く進んでいるはずだと私は思います。そこがやっぱり田舎に住む我々からすると、非常に悔しい思いをしているわけです。
戸羽 被災した時の首相は菅直人さんで、菅さんにもいろいろと話をしましたが、正直言ってほとんどやる気がなかったですね。電話で何度もお話ししましたし、陸前高田市にも来ていただきましたが、彼は何の知識もなかったと私は今でも思っています。その後、野田佳彦さんになりましたが、私は民主党政権は決められない、変えられない政権であったと言わざるをえないと思います。
 被災地を見に来ていただいて、被災者である我々がいろんな要望をしても、通常のルールを緊急時のルールと取り替えることができなかった。それを決断できなかったことが復興を遅らせた原因だろうと思っていて、残念ながら当時の民主党には本当にがっかりさせられたと言わざるをえないです。
 日本の政治家は、政治システムそのものがそうなのかもしれませんが、例えば菅さんは東日本大震災が起こった時点で首相でしたが、途中で辞めていますよね。こんなこと多分ありえないと私は思います。どこかの段階にいくまでは首相として当然責任を果たすべきだったと私は思うのですが、彼は途中で辞めて、その後、お遍路さんに行っているわけです。私たち被災者からしたら、「何を考えているんだ」「(議員)バッジ外せ」と言いたいわけです。
 その後になった方々も結局は、何かをしでかした時、日本人の政治家のケジメの付け方というのはそのポジションを辞めれば責任がなくなるとなっているわけです。でも、その人が辞めたことで被災地に何かいいことがあるかというと、何もないんですね。だから、私はまずそのシステムを変えないと、日本の危機管理は良くなっていかないだろうと、強く憤慨しています。
 被災してから、復興庁ができました。これは学校の関係であれば文部科学省、がれきの関係であれば環境省と部署が分かれているので、それは大変だろうということで被災地の自治体からの窓口を1つにしましょうということでできたわけです。しかし、復興庁ができて何か便利になったことがあるかというと何もありません。これまで通り、学校のことは文部科学省に、がれきのことは環境省に、そして合わせて復興庁にも話をしなければいけない。今のところは、1つプロセスが増えたというだけの感じがしています。
 これまでの民主党政権の悪口を言っても前に進まないので、今、安倍晋三内閣が発足した中で、私たちはしっかりとこれまでの課題を新しい政権にぶつけて、システムを変えていただかなければどうにもならないと思っています。
 先日、自民党青年局の小泉進次郎さんを始めとした若手議員たちに陸前高田市においでいただいて、いろんな要望をさせていただきましたし、根本匠復興大臣にもおいでいただいて、いろんな話をさせていただきました。そういう意味では、私たちは「これまでよりも良い環境になるのではないか」と期待しているところです。
 経済の話もそうですが、今、何となく日本に明るい兆しが見えてきたのではないかという雰囲気だけはあります。一方で、この安倍内閣でどうにもならなかった時、経済のことも復興のこともどうにもならなかった時に日本がどうなってしまうんだろうかという懸念も持っています。
 最終的には、政治家ひとりひとりのやる気がどのように発揮されるかだと私は思っています。今回の安倍内閣の布陣を見ると、例えば岩手県の津波被災地で選出された鈴木俊一さんが外務副大臣になっていて、宮城県気仙沼市で選出された小野寺五典さん、この人もずっと津波被害について頑張ってこられた方ですが防衛大臣になられました。
 防衛や外務は確かに大事な分野ですが、被災地のことを一番よく分かっている人たちが、なぜこのタイミングで外務副大臣になったり、防衛大臣になったりするのか。そこはやはり政治家が自分の勲章と被災地の復興を天秤にかけた時、どうしても自分の勲章の方にいってしまったのではないかということで、私にはその本気度みたいなところで疑問を持たざるをえません。非常に残念なことだと思っています。
 通訳を介してお話しするとどうしても話す内容が半分になってしまうため、時間があまりないので、安倍政権には現状では期待をしているということで、ぜひ前に進めていただきたいと思っています。最後に、私たち陸前高田市の目指す町を少しだけお話しさせていただきたいと思います。
 私が英語を喋れればいいのですが、実は私も若い時に少し米国フロリダ州のタンパに行っていて、当時は片言英語を喋れたのですが、なかなか今、英語を話す機会そのものがなくて、みなさんに話せるような内容も能力も持っていません。ただ、私はその時に米国で感じたものをそのまま被災地に持ってきたいと思っています。
 米国の方々は大変陽気で、例えば高齢者の夫婦でもおそろいの服を着て、手をつないで散歩しているような状況があります。また、障害を持っている方々が自分の意思で街に出る、買い物に行く、お酒を飲みに行く、そういう楽しみをきちんと生活の中に取り入れるということができる米国はすごい国だなと、私は行った時に感じました。
 30年近く前の話なので、当時の日本には障害者用駐車場もありませんでした。でも、米国に行けばあった。しかもゴルフ場に行っても、ボウリング場に行ってもあったわけです。何であるんだろうと思ったら、車いすでもゴルフをする人もいるし、ボウリングをする人もいるんです。でも、日本の状況を見れば、障害を持っている方々が自分たちの意思で、あるいは堂々とできるかと言ったら変ですが、なかなかそういう環境にないことは一目瞭然です。
 陸前高田市は市街地そのものがなくなってしまったので、そば屋も寿司屋も床屋も本屋も全部これからひとつひとつ作っていくわけです。だとするならば、市が補助金を出すなりして、車いすの方が来てもウエルカムですよ、目の見えない方が来てもウエルカムですよ、耳の聞こえない方は話ができないかもしれないので筆談ボードを置いてください、とする。すべてのお店がそういう風にしてくれたら、あるいは我々行政が道路でも何でもそうですが、作るものに対して配慮したら街全体がそういう優しい街になります。
 私は市民のみなさんに、「ノーマライゼーション※という言葉を必要としない街にしましょう」と言っています。ノーマライゼーションという言葉がある以上、これは差別だろうと。私は陸前高田市をそういう街にすることによって、世界のみなさんにも「陸前高田市、頑張っているな。優しい街だな」と認識していただけるような街を作っていきたいと思っています。
※ノーマライゼーション……障害者と健常者とは、お互いが特別に区別されることなく、社会生活を共にするのが正常なことであり、本来の望ましい姿であるとする考え方。
 私の人生のミッションは2つあると思っています。1つは陸前高田市をすばらしい町として復活させること、そしてもう1つは2人の息子をしっかりと育てることと思っています。必ずすばらしい街として陸前高田市を復活させたいと思っていますので、いつの日かみなさんにぜひ陸前高田市を訪れていただいて、その時にはみなさんを笑顔でお迎えできるよう、しっかりと頑張っていきたいと思っていますので、これからもぜひ応援をよろしくお願いしたいと思います。
土地の所有者が分からないところでは何も進められない
――先日、陸前高田に行った時、「土地を売ってくれないので新しい生活が送れない」という声があったのですが、これについてどのように思いますか。
戸羽 たくさんの方々が亡くなったため、今、所有者が分からない土地があちらこちらに点在していて、そのことによって土地利用できないということがあります。また、海の近くについては市として危険区域に指定して、そこに家を建ててはいけないというルールにしています。
 そういう意味では、みなさんには山を削ったり、造成したりしないと新しい土地を提供できないというのが現状なので、そこは住民のみなさんにご迷惑をおかけしているということだと思います。
――久保田崇副市長が「陸前高田市は税収が少ない」と言っていたのですが、どうやって税収を増やしていこうと考えていますか。
戸羽 もともと陸前高田市は本当に税収が少ないところで、産業といっても漁業や水産加工業があるくらいで、企業らしい企業がないんですね。ですから、先ほど申し上げましたが、ノーマライゼーションという言葉が必要のない街を作ることによって、福祉分野の雇用をしっかりと作っていくことが、地域のこれからの活力には必要なのではないかと思っています。
――陸前高田市に限らず、東北の多くの自治体では海岸線が長くなっています。高台移転のための予算についてどのくらいかかると考えていますか。
戸羽 高台移転については非常にお金がかかります。陸前高田市は被災する前は年間の一般会計予算は110億円くらいでした。それが2013年度3月期の予算は660億円、2014年度3月期は1000億円を超えると思っています。通常の10倍のお金がかかることになります。
 「お金がかかるからいかん」ということになればしょうがないかもしれませんが、日本人というのは、米国人もどこの方もそうかもしれないですが、自分の故郷に愛着を持っています。そこに住まないと、みなさんの生きがいがなくなってしまうんですね。
 ですから、お金と絡める話であるとすると、あまりよろしくない話かもしれないですが、いくらお金がかかったとしても、そうしないと多分みなさんも納得しないんだろうと。ただ、日本政府そのものが大きな借金を抱えているので、ずるずると長い時間かけて復興させるともっとお金がかかるので、国が短期集中でやるべきだということは、この間ずっと政府にも申し上げてきています。
――陸前高田市にはどういう産業が向いていると思いますか。
戸羽 (陸前高田市は)道路がないので、交通の便が非常に悪いです。自動車産業を誘致したとしても、作った部品を大きな工場まで運ぶコストは当然かかってきますから、基本的には海でとれたものをその場で加工するとか、地域の利点を生かせるものでないと、会社経営は成り立たないと思っています。合わせて、大きな資本がなくてもできるビジネス、例えば観光業のようなものをしっかりやっていく必要があると思っています。
 ただ、陸前高田市民だけで知恵を絞ってもどうにもなりません。経済人からもいろいろとアドバイスをいただき、資本も出していただいて、雇用の場を作っていただいてきたので、今後も私たちというより、みなさんからいろんなアイデアをいただきながら、街作りをしていかないといけないと思っています。
――災害で大きな傷を負った市民たちは今、どのような感情を抱いていますか。
戸羽 東北は非常に冬が長いです。11月から寒くなってきて、3月までが冬です。ですから今、住民の方々はあまり元気がない状況だと思います。私たち行政はそういう人たちが少しでも元気になれるように、あるいは復興に向かってしっかりと顔を上げて前に進めるように、しっかりとモチベーションをキープさせてあげないといけないと思っています。
 これまでいろんな準備をしてきましたが、今年は実際にいろんなところで工事が始まる、目に見える形で復興が始まる年だと思うので、住民の方々にとっては少しは希望が見える年になるのではないかと思っています。
――新政権に変えてもらいたいことはありますか。
戸羽 基本的には全部変えてもらいたいと思っていますが、その中の1つに復興交付金があります。復興交付金にはメニューというものがあって、メニューに入っていないものには使ってはいけないというルールになっています。
 私たちの街は壊滅しています。その中で、図書館も体育館も博物館もプールもみんななくなっているのですが、復興交付金の中に社会体育施設や教育施設のメニューはないんです。ですから、私たちが体育館を作ろうとしても、なかなか予算を探し出せなくて前に進めません。ここをまず変えてもらわないといけないですし、それがなければ私たちの街の復興はないと思っています。
 それから先ほどもお話が出ましたが、土地の所有者が分からないことで、何もできない土地が出てきます。土地の所有者が見つからないところについては、強制収用とまでは言いませんが、ある程度我々の裁量の中で自由にできるような法律を作っていただかないと、これもなかなか前に進まないだろうと思います。
 政府はまだ、被災地の実態をよくお分かりではないと思っています。例えば、災害復旧事業という、国のお金で畑や田んぼを元に戻すことができるものがあります。でも、それは2013年中に完了しなければいけなくて、それ以降はもうやってはいけませんというルールなんです。でも、先ほどから言っているように、復興のふの字もない時に「その農地を2013年までに戻しなさい」と言われてもできるわけがありません。できるわけがないことを平気で国が言って押しつけてくることが、国の官僚と我々被災地のボタンの掛け違いにつながっているのではないかと思っています。
――復興のための労働コストが上がっていると聞いていますが、どのようにお考えですか。
戸羽 確かに物価が上昇しているといいますか、労働賃金が上がっている現実はあると思います。そして、労働力を確保することが非常に難しい状況になっています。これは被災地の範囲が非常に広いことがあると思いますし、陸前高田市の状況を申し上げれば、例えば工事に携わる人が100~200人必要で、東京から陸前高田市に来るとしても、街が壊滅しているので、寝泊まりする場所が確保できません。
 昔は飯場という、工事をする人たちが寝泊りした一時的な建物があったのですが、そういうものを今から作って、それから工事を始めないといけないという状況があるので、今後、労働力不足については大きな問題になってくると思います。賃金のこともありますし、資材についてもいろんな材料が高騰していて、足りなくなっている現実があります。
――陸前高田市民の中に、アルコール依存症や自殺、バイオレンスの兆候は出ている人はいますか。
戸羽 私たちの地域で無くはありませんが、基本的にそんなに大きな問題になることはないと思っています。ただ、先ほどから言っているように、たくさんの方が家族をなくしています。中でも高齢者、例えば80歳のおじいちゃんとおばあちゃんが住んでいて、おばあちゃんだけが亡くなって、家も無くなってしまった人々というのは、まさに絶望です。「明日どうしよう」なんてことは、なかなか考えづらいわけです。ですから、うつ状態になっている方は非常に多いと思います。
 市役所の職員でもそうです。メンタルチェックをすると、かなりの人たちが引っかかります。その中に希死アラームという欄があって、希死というのは自殺願望があるという意味ですが、そういう方々がかなりいます
 そして、私が一番心配をしているのは子どもたちです。陸前高田市内で、一度に両親を亡くして孤児になってしまった子どもたちは小中学生だけで30人ほど、高校生を入れると40人以上います。私の子どももそうですが、片親を亡くした子どもたちは150人ほどいます。
 今は明るくしていても、やはりいろんなトラウマを持っていたり、将来、そういう何かが出てきてしまうのではないかと非常に心配しています。経済的な問題としても、そういう子どもたちが東日本大震災で被害を受けたことによって、夢をあきらめないといけないとか、進路を変えないといけないとか、できるだけそういうことがないように我々としても努力していかないといけないと思います。
――漁業の復興については、どのような状況ですか。
戸羽 私たちの地域の漁業は魚を獲る漁業ではなく、養殖漁業がメインです。カキ、ホタテ、ワカメ、ホヤ、コンブなどを養殖しているのですが、国の手助けやボランティアの方々に養殖いかだの手伝いなどをしていただいたことで、施設も6~7割くらいは復活しています。
 ただ、養殖は時間がかかるんですね。例えば、カキを育てて出荷をするまで3年かかります。そういったところで苦労されていますが、これは必ず復活すると思いますし、漁業は経済の底上げをしてくれる重要な産業だと思っているので、我々としてもこれからも応援していかないといけないと思います。
――復興庁ができたからといって便利になったことは何もないというお話がありましたが、そもそも復興庁は縦割り行政の弊害をなくすために設置されたわけです。なぜそうなってしまったのか、今後どうすればいいのかをうかがわせてください。
戸羽 そもそもの問題は、復興庁は位置付けとすれば、ほかの省庁より一段上にいるというところから始まっているんですね。内閣府と復興庁は首相の下で、そのほかの省庁が復興庁の下に入るという話から始まっていたので、私たちは復興庁がある程度強い権限を持っていて、例えば財政的な問題であれば、財務省に対して強いことが言えるといった仮定を持っていました。
 平野達男さんが(初代)復興大臣をされて、岩手県選出の方なので私も親しくさせていただいていますが、残念ながら復興庁のスタンスが“私たちを説得しに来る復興庁”だったわけです。私たちは“被災地と同じ立場に立って、ほかの省庁とケンカをするくらいの復興庁”であってほしかったのですが、現実には「いやあ、戸羽くん、無理言うなよ。あきらめてくれよ」と説得に来るような復興庁だったのです。「これはもう話にならない」と思っていました。今回、根本復興大臣ともお話ししましたが、安倍政権では復興庁の権限を強くするということなので、非常に期待しています。
 ただ、この1年10カ月の間、自民党の幹部が少なくとも陸前高田市に誰も入っていないんです。小泉さんや小野寺さん、髭の隊長の佐藤正久さんなどは入っていますが、石原伸晃前自民党幹事長のような3役(幹事長、総務会長、政調会長)が入っていないんです。ですから私は、現場を知らないで、そういうことを言っても違うだろうと思います。そういう意味では、しっかりと今から現場を見ていただき、あるいは民主党政権時代のいろんな課題を点検していただいて、もう1回復興庁が新たなスタートを切っていただければ私たちとしては大変ありがたいと思っています。
――被災地の自治体が集まって、組織として声をあげて政府に届けることは考えていますか。
戸羽 一つ前提として、津波被災地はそれぞれ状況が違いますし、課題もそれぞれ異なっています。被災地全体を見ると、福島県はみなさんご存じの通り、津波の被害も受けていますが、合わせて原子力発電所の問題も抱えているので、また別の問題になってしまっていると思っています。
 岩手県の中では被災した12の自治体が期成同盟会を作って、国に対して要望を出しています。ただ、現実問題としては私たちのようにたくさんの人が亡くなって、街全体が消えてしまった被災地もあれば、県北の洋野町のように漁業施設が被害を受けただけの被災地もあるので、当然、温度差があります。グループで陳情を要望すればいいものについてはしていますが、やはり結局はそれぞれ努力していかなければ国に声は届かないと私は思います。
――陸前高田市がバリアフリーの町を目指すのはとても良いことだと思うのですが、それを実現するためにどのような障害がありますか。
戸羽 例えば岩手県だと県立病院があるのですが、県立病院はそれぞれの機能を持っています。そういったところで私が「こういう街を将来目指しています」と県の医療局にお話ししていますが、残念ながら医療局はその話に乗ってきません。
 例えば、陸前高田市は岩手県の中では温暖で、海があって、山があって、川があって、非常に環境が良いところだと私は思っているので、「病院のリハビリテーションなどの機能を持たせてもらいたいんです。福祉とリハビリといろんなことが混ざった時に私が目指す町になるんです」という話をしても、なかなか県は乗ってきてくれません。
 私は根気強く交渉していますし、国に対しても我々のビジョンに対して国の支援が必要なんですと言っていますが、残念ながら県も国も戦略性を持っていないんですね。復興を成し遂げるに当たっては当然、その先にプラスアルファがないと意味がないと私は申し上げているのですが、どうも彼らは物理的に元に戻せばいいという考え方を持っていると思いますので、そこをどうやって埋めていくか、認識の違いを埋めていくかだと思います。
 私は「復興を早くしっかりとやることで、日本がもう一度見直されるチャンスじゃないですか」とずっと政府に対しても言ってきました。例えば、「10年かかるだろう」「陸前高田なんてもう復興できないんじゃないか」と思っている国の方々もいると思います。でも、これを5~6年でやった時、「やっぱり日本人ってすごいよね」「日本の技術はすごいね」となれば、今、日本は大変厳しい状況にあって、韓国や中国などに追い付かれたり、追い越されたりされている状況の中、私はこの復興を逆手に取るという言葉は変ですが、日本がもう一回世界のみなさんに認めていただくための一つの手段にしていただきたいと思います。
 私たちの街作りにも国や県も協力していただいて、「あれだけボロボロになった陸前高田がこんな町に復活しましたよ」「こんな素敵な街になりましたよ」とできるよう、一緒に歩調を合わせていただけるよう努力していきたいと思います。
[堀内彰宏,Business Media 誠]

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