留守にします
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キッズ・コレクションの講習会を視察のため、大船渡リアスホールへ。リアスホールが避難所になっていたころ、何度か物資を運んだ。中に入るのはあれ以来だ。
キッズ・コレクションの練習に励む子どもたちの姿を見ていたら、ただただ感動してしまった。
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所用あって、R君のクルマで野田村へ。途中、東北自動車道では16℃くらい。現地は20℃。寒いくらいだった。
久慈の有名なラーメン屋「千草」の前を通ったとき、私のハズレ男ぶりを披露した。一度目は定休日、二度目は長蛇の列に諦め、三度目は『釜が故障したため臨時休業』。というわけで、ここでは食べていない(盛岡に支店があったときに食べたが、この支店はすぐになくなった)。 この手の話が私にはごまんとある。
悲劇は、この後、起きた。
昼食をとるつもりで立ち寄った「道の駅のだ」のレストランが、なんと臨時休業だった。R君が私のハズレ男ぶりに驚愕していた。
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岩手県民会館中ホールで、いわてフィルの練習を見学した。被災地支援にも力を入れている。ウィーンフィルのダニエル・フロシャウアー氏(ヴァイオリン)とヤン・リシュカ氏(チェロ)による指導があったのだ。
まずウィーンフィルの二人がオケに入ってブラームスの交響曲第2番全楽章を演奏。平板さ、音程の悪さ、不揃いな弦など気になるところがたくさんあり、「これで大丈夫なのか」と不安になった。
一方、ウィーンフィルの二人の音量の大きいことにびっくりした(後で、音量ではなく発音がうまいから音の通りがいいのだとわかった)。
この後、ヴァイオリン・ヴィオラをフロシャウアーさんが指導、チェロをリシュカさんが指導。今回は管楽器は自主練習。
私はチェロの指導を見学。要所要所をまずゆっくりと、次にインテンポでさらっていく。速いフレーズのところでこのチェロ・セクションは走り気味になる。すると、「ドント・ラッシュ!(←カタカナで書くな)」と声がかかる。 指遣い、ボウのアップダウン、ピチカート(中指の腹を使おう)など細かい指導もあった。
1時間後、再びステージに集まって演奏。これを聴いて私はすっかりたまげてしまった。さっきとはまるで別のオーケストラなのだ。音程が整い、弦の響きが豊かになった。個々の音の発音もはっきりしている。指導によってこんなにも変わるものなのか。
棒を振る寺崎さんもさぞ気持ちがよかったことだろう。
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昨日、今日の二日間は講師にシミンズシーズの柏木事務局長をお招きして、みっちりとSAVE IWATEの研修。
そのため、もりおか復興支援センターは本日、臨時休館させていただきます。ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします。
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下記、復興支援イベントを無事に終了。お忙しいなか岩手に来ていただいた漫画家諸氏に改めて感謝を申し上げます。
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『アウトライダー』8月号が発売中だ。巻頭特集は「三陸へ」。『復興への想い』を共有するための旅」とサブタイトルが付いている。岩手県出身の私と菅生編集長、それに仙台在住の熊谷達也さんの3人で手分けをして、それぞれの体験を踏まえて「三陸の今」を伝えている。
ツーリング紀行として、こんなにユニークな読み物は他にそうないと思う。まさにアウトライダーならではの、いや、アウトライダーでなければ実現不可能な内容だ。菅生編集長渾身の一冊といっていい。
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私は歴史がまったく駄目だ。西洋史も日本史も、どっちも駄目だ。困ったときに歴史書をひらいては、ちょこちょこっと補ってきた。私が頼りにしているのは、
『アメリカの歴史』(集英社文庫)、『日本の歴史』(中公文庫)、『世界の歴史』(河出文庫)
だ。それぞれ著者の主観が入っていて、決して教科書的ではない。例として、『世界の歴史』の第12巻ルネサンスから下記の文章を引いておこう。
ルネサンスにおける人間性の復興とは、現在のわたしたち、つまり安泰で、しかもおろかしいアメリカの保育器の中で、箱庭の平和を享受している日本人が夢想するような、ご結構な永遠の人類愛とか純粋な連体とかいったものではない。人類愛などといった抽象と観念の化け物などルネサンスには存在しない。生への執着、性と食の楽しみの肯定、迷信深いくせ打算的で利己的で嫉妬心にあふれ、疑い深くて、怠け好きで、臆病ものでありながら、同時に内気で感傷的で献身的で勇敢なこの人間というもの、そういう生な人間性が封建社会の愚劣な制度や教義のわくをやぶってあふれ出した時代である。
といえば、現代の政党人やフーテン族や全学連など、自分かってな欲望や要求にうまく理屈をつけて動いている人で埋まっていた時代か、というとどうもちがう。つつましく、あるいは小心翼々と生きていた人もおおかったということもあるが、欲するがままに行動する人間も、その行動のあと始末は自分でつける、つまり個人の責任は徹底的に個人が負わなければならなかったはげしい時代だったということである。
ルネサンスは、けっして今日のような甘えが許される世界ではなかった。人をいじめたり殺したりすれば、執拗な復讐が待っている。商売を仕損じたら死ななくてはならぬしくみになっていた。甲斐性のない人間は小さくなって生き、はたらけないものは餓死しなければならぬ。二人まえ、三人まえが小さくなって生き、半人まえが一人まえ以上の口をきける現在とはまったく異質の世界である。
これは会田雄次氏の文章だ。ルネサンスを通して(あるいはルネサンスを語ることで)現代の日本を批判している。全面的に賛成するわけではないが、このシリーズを読む楽しみはこういうところにもある。
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センター前にノボリが16本(三陸の12市町村+岩手県・福島県・宮城県・盛岡市)が並んだ。これは毎月11日の「月命日」に復興への思いを確かめあおうという取り組みだ。被災県である岩手の県都盛岡に暮らす私たちに東日本大震災の風化などあってはならないことだ。
また、沿岸各市町村ごとのお茶っこ会を開催する日に、その市町村のノボリを立てることにした。「今日は〇〇市のお茶っこ会だな」と外からもわかる。
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ショスタコーヴィチが、ミケランジェロの詩に曲をつけた作品があるという。『ミケランジェロの詩による組曲Op.145』がそれだ。この曲には2バージョンあって、ピアノ伴奏版はOp.145、オーケストラ版はOp.145a。
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ディカプリオの演技が素晴らしく、きっと代表作となるだろう。エリザベス・デビッキ(新人)がよかった。
http://
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このアルバム、ジャズのガイドブックをひっくりかえしても紹介されていない。つまり、いわゆる「名盤」ではないようだ。
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