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歴史音痴が読む歴史書

私は歴史がまったく駄目だ。西洋史も日本史も、どっちも駄目だ。困ったときに歴史書をひらいては、ちょこちょこっと補ってきた。私が頼りにしているのは、

『アメリカの歴史』(集英社文庫)、『日本の歴史』(中公文庫)、『世界の歴史』(河出文庫)

だ。それぞれ著者の主観が入っていて、決して教科書的ではない。例として、『世界の歴史』の第12巻ルネサンスから下記の文章を引いておこう。

 ルネサンスにおける人間性の復興とは、現在のわたしたち、つまり安泰で、しかもおろかしいアメリカの保育器の中で、箱庭の平和を享受している日本人が夢想するような、ご結構な永遠の人類愛とか純粋な連体とかいったものではない。人類愛などといった抽象と観念の化け物などルネサンスには存在しない。生への執着、性と食の楽しみの肯定、迷信深いくせ打算的で利己的で嫉妬心にあふれ、疑い深くて、怠け好きで、臆病ものでありながら、同時に内気で感傷的で献身的で勇敢なこの人間というもの、そういう生な人間性が封建社会の愚劣な制度や教義のわくをやぶってあふれ出した時代である。

 といえば、現代の政党人やフーテン族や全学連など、自分かってな欲望や要求にうまく理屈をつけて動いている人で埋まっていた時代か、というとどうもちがう。つつましく、あるいは小心翼々と生きていた人もおおかったということもあるが、欲するがままに行動する人間も、その行動のあと始末は自分でつける、つまり個人の責任は徹底的に個人が負わなければならなかったはげしい時代だったということである。

 ルネサンスは、けっして今日のような甘えが許される世界ではなかった。人をいじめたり殺したりすれば、執拗な復讐が待っている。商売を仕損じたら死ななくてはならぬしくみになっていた。甲斐性のない人間は小さくなって生き、はたらけないものは餓死しなければならぬ。二人まえ、三人まえが小さくなって生き、半人まえが一人まえ以上の口をきける現在とはまったく異質の世界である。 

 これは会田雄次氏の文章だ。ルネサンスを通して(あるいはルネサンスを語ることで)現代の日本を批判している。全面的に賛成するわけではないが、このシリーズを読む楽しみはこういうところにもある。



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