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ヴァッレ・ダオスタの思い出

いろいろと調べ物をしていたら、2003年の冬にイタリア北部のアオスタの訪問記(森林文化協会の『グリーンパワー』に書いたもの)が出てきた。転載し、補足しておく。

 確かバーナード・ベレンソン(美術史家)だったと記憶しているが、「ヴェネツィアは貧しさの象徴だ」と述べている。貧しいが故に、過去の遺物が新しい建築物などにとってかわられることがなく、昔のまま残ったという逆説めいた言葉だ。
白神山地が世界自然遺産に指定されて脚光を浴びていた頃、私はこの言葉と出会い、胸にとどめることになった。そして、この冬、イタリア最北端のヴァッレ・ダオスタ州を訪ねた際にこの言葉を思いかえしていた。

 成田からミラノまでアリタリア航空機で十二時間、そこから車で二時間半ほど北上して州都アオスタ市に入る。ヴァッレとは、谷という意味だ。スイス国境のチェルヴィーノ(マッターホルンのイタリア名)、フランス国境のモンテ・ビアンコ(モンブランのイタリア名))、イタリア最初の国立公園グラン・パラディーゾやモンテ・ローザといったアルプスでもとりわけ有名な高峰に囲まれた、イタリアで最も小さな州だ。谷底に町があると思っていい。

 散在する古代ローマ時代の遺跡が、かつてこの地がフランス、スイス、イタリアを結ぶ交通の拠点として栄えた歴史を物語る。しかし、時代の流れと共に、その重要性は失われていった。

 隣接する州は早くから工業が発達したものの、ヴァッレ・ダオスタは取り残された。だからこそ、古代ローマ時代のコラシアムの遺跡や中世の城などが手つかずに残されてきた。しかし、「ヴェネツィアは貧しさの象徴」という言葉が持つ裏の意味と同様に、この地が貧しかったわけではない。急激な経済成長を望まなかっただけだ。そうでなければ、それらはとっくに壊されて、他の建物になったり、リゾート開発の餌食となっていたに違いない。
もっとも、これらの歴史的建造物は、ローマやミラノのそれと比べて、必ずしも世界的に名の知られたものではない。そのせいか、地元でも重要視されていなかったようだ。

 近年、これらの歴史的遺産や、郷土料理などを見直す気運が高まっている。

 イタリア北部はスローフード発祥の地でもあるが、アオスタでは州政府と農家が共同でアグリツーリズモ(農家レストランおよび民宿)を展開している。
アグリツーリズモは農業と旅行を合わせた造語だ。食材の半分以上を自給でき、家族で切り盛りすることなどの条件をクリアした農家が資格を与えられる。レストラン業者などの参入を拒み、本物だけを提供するためだ。
その一軒で昼食をした。熟成の度合いの異なる数種類のチーズやサラミ(シカ、カモシカ、豚)はもちろん自家製、地元のワイン、肉料理、パンなどがテーブルを賑わせる。

なかでも私はポレンタが気にいった。トウモロコシの粉をお粥状にしたものに、地元特産フォンティーナチーズのフォンデュをかけて食べる。これはいわば雑穀料理だ。岩手も雑穀食文化圏である。ポレンタは貧乏料理というふうに呼ばれるそうだが、雑穀食文化を持つ岩手もかつては「日本のチベット」などと蔑視されてきたから、とたんに親近感を覚えた。チーズやサラミといった保存食も、冬が長い土地ならではの食品といえる。日照時間が短く、農業に適しているとは言いがたい土地だが、自給率は高いという。
 ドルチェ(食後のデザート)には、マロン・グラッセに生クリームをかけたもので、これも絶品だった。もちろん、エスプレッソコーヒーも小さなカップで出る。これにワインの搾り滓からつくったグランパを垂らして飲むと、消化を助けるという。いくら食べても太らないのは、グランパのおかげなのだそうだ。ま、確かに太っている人は少なかった。
一週間にわたってフルコースを食べつづけたので、痩せぎすの私も今回ばかりは太ったに違いないと体重計に乗ったが、グランパを積極的に飲んでいたおかげなのか、変化はなかった。
 
別のレストランでほぼ同じような食事をする機会があった。先にアグリツーリズモの農家で食事をしていなければ、そのレストランで充分に満足したと思う。順番が逆になったのが、そのレストランにとっては不運だった。

 スキー場も見学してきた。チェルヴィーノのスイス側にはツェルマート、モンテ・ビアンコのフランス側にはシャモニーというように国際的に有名なスキー・リゾートがあるため影が薄かったのだが、道路網の発達によって、アオスタを拠点にたくさんのスキー場に足を運べるようになり、脚光を浴びつつある。
スキー場に向かうバスの車中から、たくさんの滝を見た。日本なら「白糸の滝」などと名前が付けられるところだが、イタリアにそういう習慣はないらしい。その地形を生かし、アオスタの電力はすべて水力発電でまかなっていると自慢していた。急斜面での葡萄栽培(当然、ワインをつくるためです)も国土保全に役立っているとヴァッレ・ダオスタの人々の環境意識はかなり高い。

 イタリア人というと陽気なお調子者(失礼)を思い描くが(私だけだろうか)、ヴァッレ・ダオスタの人々は素朴で、物静かで、ややお節介なくらい親切だった(道を訊いたときに、周辺の人が集まってきて、それぞれ違う方向を示すことがあった)。

 私が滞在しているあいだに、年に一度の聖オルソのお祭があった。聖オルソはアオスタの守護聖人で、クマという意味だそうだ。このことからも、この地が山の恵みで暮らしてきた山の民であることがうかがえる。
お祭は民族音楽のパレードや屋台が出て、とても賑やかだ。メインは、地元の人が農業や牧畜のあいまにつくった木彫りの販売だ。幸運を呼ぶという鶏の木彫りを買った。これがまるで東北地方の木彫りみたいで驚いた。寒い土地では、似たような文化が育まれるのかもしれない。


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