『レンブラントの夜警』を観る

http://eiga.com/official/nightwatching/

『夜警』には隠された意味があった、というストーリー。

といってもイコノロジーとは異なり、殺人事件の陰謀をレンブラントがこの絵で告発しているというミステリー劇。 ここであえて「劇」と書いたのは、まるで舞台劇を観ているようなつくりだったからだ。徹底的なフロンタリティ(佐々木英也岩手県立美術館館長によると、真っ正面からの構図のこと。ルネサンスからバロックの時期に好まれた)ゆえである。

ストーリーはけっこうエンターテインメントなのだが、描き方がまったくエンターテインメントじゃないので、この映画は歓客を選ぶだろう(実際は映画は観客を選べないわけだが←これは小説も同じ)。 同じストーリーでハリウッドがつくった映画を観てみたい。

*音楽が素晴らしかった。サントラを手に入れようと思ったのだが、どうや出ていないようだ。

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メガネの松田

メガネの松田の30秒テレビ・コマーシャルに出演しています。
11165712_3519250113 これは撮影風景。ほとんど台本なしのアドリブ(フリートーク)で撮ったものを、上手に編集してもらったので、自分でも驚くほどの出来です。
IBC岩手放送テレビだけでオンエア中。

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今夜の番組から

804918888_209 五月は自転車月間。それに合わせて、夕方のNHKロカールニュース『おばんです岩手』で自転車について特集しています。今日は午後6時15分ごろ、ぼくが出ます。

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ロシア映画「こねこ」を観る

27日に岩手県立美術館でロシア映画「こねこ」を観た。さほど期待していなかったのだけれど、これがなかなかいい作品で、けっこう楽しめた。
サイトを検索してみると、根強いファンを持つ作品だとわかる。確かに猫好きにはたまらない映画ではある。

ふと、ロシア映画を観るのは何年ぶりだろうか、と考えた。ソ連時代の文芸大作はよく観たものだが(決しておもしろいと思って観ていたわけではない)、もう何十年も前のことだ。近年はまったく観ていないような気がするが……。

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音楽映画を観る

岩手めんこいテレビ「目と耳のライディング」第173回に音楽映画のことを書きました。去年から今年にかけて、音楽映画が豊作でした。

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バンテージ・ポイントを観る

バンテージ・ポイント(このサイトがよくできているので、クリックしてご覧ください)を観た。アメリカ大統領狙撃シーンを8つの視点でくり返し見る。いささかくどい。しかし、そのつど新しい情報が加わっていき、ひとつに結びつく。
キャスト陣、カメラ、監督、どれも素晴らしい。とりわけ脚本が秀逸。これだけ緊張感に満ちた作品は、そうあるものではない。久々にカタルシスを味わった。

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『4分間のピアニスト』を観る

巷間、評価の高い『4分間のピアニスト』を観た。

映像のトーンもストーリーもドイツ映画だなあ、と思った。ハリウッドなら、もっとシンプルに泣かせる映画にするだろう。
解釈がわかれるかもしれないが、結局、この映画では誰も救われない。それはこの映画で重要なファクターではないのかもしれない。
決して好きなタイプの映画ではないけれど、長く後を引きそうだ。

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『ジプシー・キャラバン』を観る

ジプシー(ロマ)はインドからヨーロッパ各地に散っていった流浪の民だ。彼らは東欧で、スペインで、フランスで、それぞれの国の音楽を取り入れつつ独自の音楽をつくった。

ジプシー・キャラバン』は、ジプシーのルーツであるインドの楽団と、東欧、スペインの楽団のアメリカ・ツアーのドキュメンタリー。
ツィガーヌやフラメンコが好きな人には「観るべき映画」と言っていい。それらの音楽に接したことのない人なら、なおいっそう新鮮な驚きを得られるに違いない。映画『僕のスウィング』でも、マヌーシュ・スウィングと他のジプシー音楽の共演が見られて面白かったが、さらに濃密な世界が味わえる。
『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』と共に生涯に渡ってつきあえる映画と出会えた。

盛岡でもぜひ上映してほしい。


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『ダブリンの街角で』を観る

ダブリンの街角で』を観た。

よかった。本当によかった。
ドキュメンタリーのような撮り方をしていて(カメラが手持ちで、ぶれる)、役者も知らない人たちばかりだから、妙な生々しさを感じた。もちろん、監督の意図したことだろう。
出演者の自作自演による音楽もよかった。グレン・ハンサードの声はキャット・スティーヴンス(古い!)に少し似ていた(顔はブルース・ブレイカーズ時代のエリック・クラプトンに似ている)。
あまり目にする機会のないダブリンの街並みが見られたのも嬉しかった。

大切な人からもらった小さな小さな宝石のような映画だ。

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『アメリカン・ギャングスター』を観る

アメリカン・ギャンスター』を観た。

久々に、腰にグッと力の入った「男の映画」を観た。

ベトナム戦争を背景に、麻薬密輸と密売で進歩派ギャング(アフロ・アメリカンのフランク・ルーカス一家)が保守派ギャング(イタリアン・マフィア)を凌駕していく。一方、ニューヨーク市警の汚職警官らの暗躍と滅亡(なんと4分の3の警察官が逮捕される)が描かれる。
これが実話だと知って驚いた。映画ホームページのプロダクションノートによると、シャフト旋風を巻き起こした『黒いジャガー』ともつながっているそうだ。

『黒いジャガー』、『ゴッドファーザー』、『LAコンフィデンシャル』をリアルタイムで見てきた僕にとって、この映画はこれらと共に長く記憶にとどまる作品のひとつになるだろう。

サミー・デイヴィス・ジュニアやリトル・リチャードのそっくりさんがチラッと出てくるし、麻薬成り金になったフランク・ルーカス(デンゼル・ワシントン)宅に飾られている絵が、ビュッフェやブラック(ピカソかも。キュビスム時代の二人の作風はよく似ている)というのも芸が細かい(実物のフランク・ルーカスの指示だったのかもしれない)。


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ザ・フライングスコッツマン

この映画、日本では公開しないらしい。 自転車レースで、勝つために自転車にいろいろな工夫をするが、保守的な人々から難癖をつけられ、それでも果敢に挑戦をつづけた選手の話だ。

『〇×トッド』とか『〇×△2』もけっこうだが(=全然けっこうじゃないという意味です)、こういうのをちゃんと配給してほしいものです。

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『シルク』を観る

シルク』を観た。

1860年代フランス。
蚕の疫病発生により、主人公エルヴェ(マイケル・ピット)は美しい妻エレーヌ(キーラ・ナイトレイ)をフランスへ残し、世界で最も美しい絹糸を吐く蚕の卵を求めて、海を渡り、砂漠を越え、世界の果て“日本”に向けて旅に出る。
原作:『絹』アレッサンドロ・バリッコ(海の上のピアニスト)、監督:フランソワ・ジラール(レッドバイオリン)、音楽:坂本龍一という豪華スタッフによる叙情的で官能的な映像と音楽が印象的な作品。

美しい映像と音楽に酔い、情感に流されて見終えた後、「あれ? どうして」と疑問を抱くところがないでもない。 原作を読んでいないので、脚本のせいなのかどうかわかりませんが。

坂本龍一の音楽が秀逸。音楽に救われている部分が多々あるので、貢献度が大きい。ヴァイオリンは何とジョシュア・ベルですね。

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『PEACE BED アメリカVSジョン』を観る

PEACE BED アメリカVSジョン』を観た。
ヨーコ・オノはもちろんのこと、ジョン・レノンを取り巻く人々(敵対していた人々も含む)のインタビューと記録フィルムによって、非暴力と反戦主義を貫い た活動家としての側面にスポットをあてたドキュメンタリー(ブラックパンサーの党首ボビー・シールがまだご存命中なのに驚いた)。
その活動をリアルタイムにぼくは見てきたが、ぼくにとってジョン・レノンは強すぎて、あまりに強すぎて、憧れの対象にさえならなかった。その感覚は今も変わりない。

もう10年も前になる。冬だった。ダコタアパートの前に、アメリカの南部から出てきたような観光客、韓国人、フランス語を話す黒人など各国のさまざまな人種の人々が次々と訪れては去っていくのを見た。あるものは写真を撮り、あるものは小さな花束を置いて。
誰も無駄口をきかず、むっつりと押し黙ったままだった。

映画が終わると、10年前の冬のマンハッタンで見た光景と同じように、誰もが妙に黙ったまま、でもちょっと頬を紅潮させて、雪の降りしきる盛岡のまちへと去っていった。

プロテストソングは美しくなければならない。二十代のころ、レノンの曲を聴いてそんなメモを残したことを思いだした。

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『ヘアスプレー』を観る

およそ20年ぶりにリメイクされたミュージカル映画『ヘアスプレー』を観た。子どもの宝石箱のように可愛くて、大切な映画だ。映画を観ているあいだ、これほど幸せな気分に浸らせてくれる作品はそうあるものじゃない。

1024_768_01 意外性のあるキャスティングが、実はみんなハマリ役というのも驚いた(クリストファー・ウォーケンがミュージカル出身だったとは! ミシェル・ファイファーには惚れ直した。そして何といってもジョン・トラボルタ、よくやった)。

1987年のオリジナルもぜひ観たい(デヴァインが出ていたんですね)。

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『グッド・シェパード』を観る

グッド・シェパード』は腰にグッと力の入ったエスピオナージュだ。冷戦下のスパイ戦に、ファミリー(家族、結社)というテーマを与えたところが、いかにもロバート・デ・ニーロ監督らしい。 これは『ゴッド・ファーザー』のCIA版だ。

アンジェリーナ・ジョリーが普通の女性の役を演じているのを見られたのは収穫だったが、マット・ディモンが最後の最後まで「お父さん」に見えないのには困った。

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『パフューム』を観る

香りと愛をめぐる壮大なファンタジーだ。

ファンタジーといっても、近年主流の現実逃避のそれと同列に語ることはできない。
オスマン市長によるパリ大改造以前の「汚くて、臭い」パリの描写が素晴らしい。こういうリアリズムに支えられているから、物語が上滑りしない。
原作も優れていたということか。

でも、あの香水が男性ばかりでなく、女性にも愛を感じさせるのは不可解。大切なところなので、そこんところを納得させる何かがほしかった。

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『今宵、フィッツジェラルド劇場で』を観る

今宵、フィッツジェラルド劇場でを観た。

ロバート・アルトマン監督は自分の死期を悟っていたのだろうか。そうとしか思えないような、あまりに暗示的な遺作。

エドワード・ホッパーの〈ナイト・ホークス〉を想わせる食堂のシーンから、いかにもアメリカ人が好きそうなファンタジーがはじまる。探偵の名前がガイ・ノワールというのもニヤリとさせる。(ガイはタフガイ、ノワールはフィルムノワールやセリノワールからとっている)。

物語はファンタジーだけれど、音楽(カントリー&ウェスタン)は徹底したリアリズムに貫かれている。この映画がゆるまず、最後まで「みせる」のは、その音楽に支えられているからだ。

ついでに、ヴァージニア・マドセンの声がマドンナに似ている(彼女は歌うシーンはないので、話し声です)ことを発見した。そういえば、顔も似ているかもしれない。

それにしても、昨年から今年にかけて音楽映画が豊作だ。

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『善き人のためのソナタ』を観る

善き人のためのソナタ』を観た。

救いのない物語の最後の最後に小さな(しかし、とても暖かい)光が射す。
エンドロールが終わっても、なかなか座席を立つことができなかった。


以下雑談。
ナチス以降に半分になったドイツだが、片方はある意味で何も変わっていなかったわけだ。

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『クィーン』を観る

クィーン』を観た。

王室に興味はない。英国にかぎらず、日本の皇室にも特に興味はない。

が、ダイアナ元妃が亡くなられたときは「そんな馬鹿な」という思いがし、悲憤に襲われた。

その悲しみと怒りの深さゆえ、あのときの英王室の対応のまずさとそれに対するバッシングについては、もうどうでもよかった。

これは(ぼくにとっては)どうでもよかったことを描いた映画だ。

が、おもしろかった。もとになった事実を離れて、映画としての出来が素晴らしい。ヘレン・ミレンはハマリ役。

以下雑談。

ご自分の領地内とはいえ、SPもつけずにご自分運転するローヴァーで走りまわる女王の姿をみて、日本とのあまりの違いに驚いた。
そのうち、ダイアナの側から描いた映画もできるんだろうなあ。

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『ラブソングができるまで』を観る

ラブソングができるまで』を観た。

冒頭、ワム!を彷彿させる80年代ポップスターのMTVが笑える。

実は観る予定ではなかったのだが、映画通の知人が「観るべき。予告と邦題で損をしているが、いい映画だ」と激賞していたので、内心おそるおそる観ることに。

いや、観てよかった。この種のアメリカ映画、このごろ好調ですね。

みなさん、吹き替えではなく、ご自身の歌! これも素晴らしかった。

重要な役割だった(好みのタイプではないが)コーラ役のヘイリー・ベネットがよかった(でも、ブッディストからクレームが来るんじゃないかとちょっと心配)。

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『クリムト』を観る

クリムト』を観た。

この監督にクリムトという題材は、やや重荷だったようだ。何を描きたかったのか本人もよくわかっていなかったのではないか。描き方も不完全だ。セットも映像もキャストもいいのに残念。
エゴン・シーレがよく似ている(自画像のシーレに似ているという意味)のでおかしかったが、シーレの使い方も中途半端でもったいなかった。ときおり流れる新ウィーン楽派風の音楽にも光るものがあったのに。

もう一度、フェリーニをしっかり勉強してから映画を撮ったらいいと思う。

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『ドリームガールズ』を観る

ドリームガールズ』を観てきた。

いい映画だ。映像も音楽も素晴らしかった。この種のミュージカル仕立ての映画は深みに欠けることが少なくないのだが(観る側もそこまで求めていないから、それでも問題はない)、この映画は違う。筋が通っていて、腰が入っている。

舞台となっている60年代のブラックミュージックにしては劇中音楽がモダンすぎる傾向があったものの、ブラックミュージックの死(ソウルミュージック、あるいはR&Bの死)をきちんと背景に描いているあたりはさすが。

モータウン風からジェイムズ・ブラウン風、オーティス・レディング風、アリサ・フランクリン風はもちろん、何とマーヴィン・ゲイ風のサウンドまで飛び出して、聴き応え充分の音楽だ。

モータウンは自動車のまちモータータウンからきたレーベル名だが、カーディーラーにからめているところや、DJに裏金を渡すペイオラ事件など当時の音楽シーンの史実も踏まえている。

もっとも、「ジャクソン5がモデルだな」とわかるバンドなども出るが、決して史実通りではない。そのあたりはあまりとらわれないで観るほうが楽しめるだろう。

それにしても、ビヨンセのダイアナ・ロスっぷりにはマイった。おかしいやら、感嘆するやら、表情や体の動かし方など相当に研究したに違いない。

ふと、ブラック・イズ・ビューティフルという今は忘れられた言葉を思いだした。

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『六ヶ所村ラプソディー』を観る

六ヶ所村ラプソディー』を観た。

映画の中から、印象に残った事柄をメモしておく。

○原発に関して「中立」はなく、賛成か反対しかない。中立は「何もしない」ことを意味し、結果的に賛成と同じ(容認)だ。

○再処理工場は「迷惑な親戚と同じ。本当はいてほしくないが、親戚だから、仕方がない」(英国セフィールドの再処理工場の対岸マン島の漁師の言葉)。

○再処理工場は地雷と同じくらい安全。地雷は踏まない限り爆発はしない。

○「地球温暖化防止に原発が役立つ」は詭弁。二酸化炭素削減にはなるだろうけれど、温暖化はそれだけでは解決しない。大量消費をするライフスタイルの根本的な見直しこそが解決策。

○日本のエネルギー予算の95パーセントが原発に(これでは自然エネルギーの開発が遅れるのは当然だ)。

○原発推進派の人々の顔、反対派の人々の顔、映像は正直だ(そして、生活のために再処理工場での仕事を選ばざるを得なかった人々の顔も)。

他に気がついたこと。

○どうやら、鎌仲監督は再処理工場内での撮影許可を得られなかったらしい。

○映画なので、映画としての批評めいたことも書いて罰は当たらないだろう。鎌仲監督は前作『ヒバクシャ』より腕を上げた。抑制のきいた語り口に独特の安定感がある。

ところで、しばしば「我々は電気の恩恵を受けているのだから(原発を批判できない)」という発言を聞く。この映画にも何度が出てきた。

これは制度の問題でもある。われわれは原発の電気を「使わせていただいている」のではなく、「押しつけられている」にすぎない。
北欧のどこかの国では、国民に「現在の料金のまま、原発による電気を買うか。割高になるが、自然エネルギーの電気を買うか」というアンケートをとったところ、自然エネルギーを買うという人が圧倒的に多かったため、原発路線を見直すことになった。

日本でも「原発は国策」と一方的に押しつけるのではなく、上記のようなアンケートをぜひ実施してほしい。いや、国民投票をしてほしいくらいだが、これは自民党にはできまい。民主党に期待したいものだが(ここで疑問符付きの文末にならざるを得ないのは、民主党の不甲斐なさに失望しているからです)。政務調査費って、そういうことには使えないのでしょうか。

まずは、日々、自分にできることをこれからも続けていこう。

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仏ドラマ『ドルメン』

スカイパーフェクTVのミステリチャンネルに、今月、興味深い番組が登場する。『ドルメン 血の伝説』というフランスのミステリ・ドラマだ。

このドラマの舞台であるブルターニュ地方はフランスでも異色の土地で、ケルト文化が濃厚に残っているという(フランス人ではなく、ブルトン人というそうな)。風光明媚なことでも知られているから、ストーリーはもちろんだが、風景も楽しめそうだ。

ドルメンなどの巨石文化はケルト人がその土地に入る以前からのものだが、ケルト人はそれを自分たちの文化と融合させて活用した。それで、こんにちではケルト文化と切っても切れないものとして認識されている。

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『敬愛なるベートーヴェン』を観る

『敬愛なるベートーヴェン』を観た。第九の初演シーンが素晴らしい。このシーンだけでも、この映画は観る価値がある。

「第九誕生の陰に、女性写譜師あり」というフィクションだが、描かれているベートーヴェンはおおよそ史実にのっとっているそうだ。ベートーヴェンが使っている補聴器や集音器をそのひとつ。もっとも、第九を書いているころはもっと難聴が進んでいて、特製の補聴器(ラッパですね)も役に立たなかったという。

危篤状態のベートーヴェンのもとへ向かうヒロインが、ウィーンの自然と弦楽四重奏曲(大フーガ)の交感を経験するシーンや、ベートーヴェンの楽譜を「訂正する」出会いのシーンなど「音楽の本質」をついていて共鳴するが、第九の初演シーン以降は尻すぼみになっていく。

描かれているベートーヴェン像も、モーツァルトを思い切り下品に描いた『アマデウス』を見ていなければ驚かされたかもしれないし、新鮮に受け止めたかもしれないが、幸か不幸か我々はもうこれくらいのことでは動じない(ベートーヴェン役のエド・ハリスの熱演には大きな拍手を送りたい)。ちなみに、ベートーヴェンが用いている鍵盤楽器類は当時のものを再現しているが、流れる音楽は現代の演奏なので、注意が必要(昨今、当時の演奏を再現している指揮者や演奏家が珍しくない)。ただ、そんなことを言いはじめると、ベートーヴェンが英語をしゃべっているのも気持ちが悪い。

でも、くどいようだが、第九の初演シーンはフィクションに飾られているとはいえ、圧巻だし、感動的だ。監督はここだけ撮りたかったのではないか、と思うほど本当に力が入っていて説得力があった。

先月末、岩手県民オーケストラ定期公演で、素晴らしい第九を聴いたばかりなので、ことのほか感じ入ったのかもしれない。

それにしても、ヒドい邦題だ(原題は『COPING BEETHOVEN』)。こんなタイトルでお客に来てもらえると思っているのだろうか。

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プラダを着た悪魔

MOSSに入っているシネコン(新フォーラム)で、『プラダを着た悪魔』を見た。平日の午後だったので、客は5組ほど。

思っていたより大きなスクリーンだったのが嬉しい。旧フォーラムでは場内での飲食は厳禁だったが、新フォーラムでは定石通りポップコーンと飲み物(ビールあり)を売っていて、場内に持ち込める。「時代のニーズ」ってやつなんでしょうな。ただし、外からの飲食物の持ち込みは禁止。

で、肝心の『プラダを着た悪魔』は、ここ数年間に見たアメリカ映画の中では5本の指に入る作品だと思う。まだアメリカもこういう映画をつくれるんですね。もっとも、メリル・ストリープが一人でひっぱっている映画でもあり、いかに彼女が大(名)女優であるかを強烈に印象づける。

「ファッションとは生き方の問題だ」とはココ・シャネルの言葉だ。その言葉通りの映画だ。ファッションに興味のない人も大いに共感できる作品だと思う。

なお、MOSSについては12月10日のブログに書いたが、ひとつ付け加えておく。駐輪場がきちんと整備されている。これは高く評価したい。駐輪場については、やはり中心市街地活性化の拠点である川徳デパートもぜひ参考にしていただきたい(川徳デパートでは自転車整理の係がいつも大変なご苦労をされておられる。それはそれとして、である)。

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原敬生誕150周年記念特別番組

今年は原敬生誕150年です。

司馬遼太郎が岩手について「明治以降の日本における最大の人材輩出県」であり、「ぞろぞろと中央に出て日本の近代化を担当」したと書いています(『歴史を紀行する』文春文庫)。

その先鞭を切ったのが原敬ではないでしょうか。ぼくは原敬に「精神のダンディズム」を感じてきました。彼のダンディズムに焦点をあてた特別番組に、ナビゲーターとして出演します。

岩手めんこいテレビ:放送日 7月23日(日)16時30分~17時25分
 「一山百文」反骨の人・原敬~その生涯と紳士道~

原敬記念館の木村元館長から、興味深いお話をたっぷりうかがいました。また、原が社長をつとめた毎日新聞時代の話、わんこそば直利庵での話など、知られざる原のもうひとつの顔も。

060723hara02 これは原敬に扮して(貫祿不足は否めませんが)、岩手県公会堂地下の老舗レストラン多賀でローストビーフをちょうだいしている場面です。原は、武士の礼節を例にテーブルマナーを説いたのです。

ぜひ、ご覧ください。乞御高評。

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「イベリア 魂のフラメンコ」を観る

映画『イベリア 魂のフラメンコ』を観た。4/18に岩手県民会館快感に悶えさせてくれた(オヤジギャグですみません)「カルメン」のアイーダ・ゴメスが出ているので、どうしても観ておきたかった。
素晴らしかった。 何とか時間をやりくりして行った甲斐があった。

アルベニスの組曲「イベリア」を基にした音楽がいい。ギター編曲版で有名な「アストゥリアス」のチェロ独奏版が秀逸(サントラがほしいのだが、アマゾンには出ていない)。
もちろん、踊りはいわずもがなである。
レッスンを受けているシーンの子供たちがまた凄かった。あんな小さなときから覚えていくんだから、かないません。

物語はないのに『ウェストサイド物語』を観ているような抒情性に酔わされた。大国日本でなぜこの種の映画がつくられないのか(あるいは、つくれないのか)。
このごろ画壇を賑わせている醜聞と共に、日本の文化レベルはいかがなものかと考えさせられつつ、映画館を後にした。

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『ピンクパンサー』を観る

妻がスティーヴ・マーティンのファンなので、一緒に映画「ピンク・パンサー」を見てきた。

ぼくはオリジナルを見て育った世代だから、「けっ、またアメリカ版に焼き直しですか」と思いきり斜め姿勢で劇場に入ったのだが、出てくるときはすっかりマイっていた。
オリジナルと同じパターンのギャグなのに、スティーヴ・マーティンがやると、また別のおかしさがある。
パリ、スマートカー、ジャン・レノとくると、つい最近観た「超話題作」と重なっているが、こっちのほうが格段にセンスがいい。

クルーゾー警部が発音の練習をするシーンは、フランス人が「単語の頭のHを発音できない(ホンダはオンダになる)」ことを知らないと、少しわかりにくいかもしれない。 このシーンは、ひじょうにクドいのだが、フランス人を茶化しているわけです。同様にアメリカ人を茶化しているシーンもちゃんとあります。
ジャン・レノのダンスシーンにも驚かされつつ笑った。

故ピーター・セラーズ信奉者には受けが悪いかもしれないが、ぼくは次作も(シリーズ化されるなら)楽しみだ。

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『ダ・ヴィンチ・コード』を観る

映画『ダ・ヴィンチ・コード』が昨日、世界一斉に封切りになった。改めて言うまでもなく、同名のベストセラー小説が原作だ。

ぼくは映画と小説は別物だと思っている。小説は(映画になどしていただかなくとも)それじたいで完結している。映画化するなら、小説とは別の次元の映画ならではの世界を見せてほしいと思う。そうでなければ、単なる映像化にすぎない。

ぼくが期待しすぎたのかもしれないが、残念ながら、本作は映画化ではなく、映像化した作品だった。ロン・ハワード監督やジャン・レノにとっては収入のプラスにはなっても、キャリアのプラスにはならなかったんじゃないだろうか。

ストーリーの簡略化と映像化によって、原作の持っていたリアリティが失われている。これは別に珍しいことではなく、文章のほうがリアリティを表現ができる場合があるという一例にすぎない。この映画が原作より先に公開されていたら、バチカンの不興を買うこともなく、こんにちの奇妙な社会現象を招くこともなかっただろう(つまり、インパクトが弱い)。

奇妙な社会現象は「小説(フィクション)」として発表されたものをノンフィクションとして受け取ってしまった純朴な人々が引き起こしている。 映画ではその混乱を避ける努力がなされていた。 原作ではまえがきで「すべて事実に基づいている」と断っているのに対し(ここからすでに小説=フィクションがはじまっているわけだが)、映画では例によって最後に「この映画に出てくる団体~はすべてフィクションです」となっているのだ。これには笑った。

笑ったといえば、ロンドンのバスの場面でリン・ピクネットとクライヴ・プリンス(「マグダラとヨハネのミステリー」、「トリノ聖骸布の謎」などの共著者)が乗り合わせているのにも笑った。こういう遊びがあるとは。

『ジュラシックパーク』もそうだったが、映画化は小説から毒を抜く。その毒こそが著者の最も言いたい肝心なことなのに。

本作は原作を読まないで観るほうが「単純な宝探しもの」として楽しめるかもしれない。ただし、このレベルの映画はごまんとある。

ぼくの知人(ぼくと違って映画マニア)は「そもそも原作が、まるでノベライズ(映画を小説化したもの)みたいなものだから、わざわざ映画を観る必要がない。行くのは図柄や建物を観るだけのため」と言っていた。 そういう方のために角川書店からヴィジュアル版が出ている。これには作中の絵画、建物、場所などの写真が豊富に載っている。ぼくは美術展の図録や画集をひっぱりだして読んだから、こういう本があるといいな、と思っていたのだ。

ここから下は映画を観ていない人、原作を読んでいない人は読まないでください。

同映画の封切りを伝える岩手日報20日夕刊の記事(共同通信配信)に〈キリストが子どもをもうけ、カトリック教会がその事実を隠したという設定が議論を呼び〉という文があった。これって、ネタバレじゃないの? もう少し気をつかってほしい。

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せばまるボキャブラリー

「~的には」という言い方がある。ぼくは使ったことがないし、使いたいと思わないし(語感が悪すぎる)、使えない。

初めて「僕的には~」を聞いたときは、墨滴を連想して吹きだしそうになった。もちろん、これは「僕としては~」という意味であり、吹きだすぼくのほうがズレているだけのこと。

ニュースで女性アナウンサーが「〇〇党首ならではのリップサーヴィスですね」などと言っているのを聞くとドキッとする。リップサーヴィスって、卑猥な言葉じゃないの?

いや、これは「方便」といったような意味で使っているわけで、卑猥な言葉を連想するぼくのほうがズレている。けれども、この言葉も使わないし、使いたくないし、使えない(もちろん、公然の場所では--だが)。

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ニュー・シネマ・パラダイス

映像も音楽もイタリア映画の伝統がよみがえったような映画だった。

この映画、 本当は興味がなかったが、郷里(当時、私は盛岡を離れ、川崎市宮前区に住んでいた)の親父から「おまえみたいなのが主人公だ」と電話があり、それで観ることにしたのだった。

私の実家は映画館で、親父はそこの支配人だった。住まいは映画館のなかにあった。なにしろ、もとは芝居小屋(劇場)だったので、バカでかい映画館だった(今はもうない。跡地にはマンションが建っている)。 映写室には「行ってはいけない」と釘をさされていたが、映写技師のおじさんたちも暇なものだから、私の訪問(私にとっては冒険だったが)を喜んでくれた。 そこでの体験はそのままトト少年と重なる。

夏、映写室の窓をあけると、映画館の向かいの建物の壁に映画が反射して映っていることがあった。この映画を観て、そのことを懐かしく思いだした。 同じような経験を岩手県一関市の映画館の息子さんだったKさんもしている。Kさんは、後に大きな映画祭を手がけるプロデューサーになった。トト少年のように映画の道に進んだわけだ。

いっとき、私も映画の道に進もうとしたことがあるが、親父に止められた。親父は日本映画の絶頂期と衰退を身をもって知っているから、その言葉に逆らうことはできなかった。

ちなみに親父は映画館から足を洗い、岩手県民会館で定年を迎えた後、盛岡市民文化ホールの初代館長をつとめ、現在はタウン誌「まち もりおか」(これは「銀座100店」の次に古いタウン誌)の編集長をしている。

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映画祭が終わりました。

第9回みちのく国際ミステリー映画祭が終わった。財政的にますます厳しいと聞いていたが、最新作『まだまだあぶない刑事』(鳥井邦男監督と主演女優の原沙知絵さんが舞台挨拶)、高橋克彦氏原作『オボエテイル』(主演の葛山信吾さん、中村美玲さん、明石知幸監督、芳田秀明監督、久保朝洋監督の舞台挨拶など)、ワールドプレミアム上映『拍手する時に去れ』(チャン・ジン監督の舞台挨拶など)など充実した内容だった。また、新人監督奨励賞の審査員の行定勲監督(第2回の映画祭で同賞を受賞)や時代作家の諸田玲子さんらにも映画祭を盛り上げていただいた。
y チャン・ジン監督も行定監督もこの映画祭がきっかけで盛岡を大事にしてくださっている。低予算ながら、市民が中心になってこつこつと9回もつづけてきた映画祭の財産といっていい。

新人監督奨励賞は『誰がために』の日向寺太郎監督に決まった。この審査会の立会人を私はつとめたが、なごやかな中にも緊張感の漂う、いい選考会だった。

そして、この映画祭、誰が呼んだか飲んべえ映画祭といわれるほど飲む機会が多い。それは私の得意分野なので、ゲストのみなさんに岩手の銘酒を存分に味わっていただくように努めた。
で、本日は休肝日。

明日から三日間、下北~津軽をまわる(BMW BIKESの取材ツーリング)。

2 岩手めんこいテレビ公式サイト連載中

目と耳のライディング」更新しました。

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さよなら、ミセス・ロビンソン

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映画『卒業』のサントラ盤のジャケットだ。手前の美しい脚の持ち主が、アン・バンクロフトが演じたミセス・ロビンソンだ(脚の部分は別撮りしたという噂もある)。

この映画は私にいくつかの影響を残した。

主人公ベン(ダスティ・ホフマン)が乗りまわすアルファ・ロメオ・スパイダー・ジュリエッタは私の永遠の憧れとなった(後に手に入れるチャンスがあったが、憧れはそのままにしてくほうがいいと判断した)。

ミセス・ロビンソンは私を年上の女性好みにし、脚フェチにもした。

この映画で私はサイモン&ガーファンクルを知り、ギターを弾くきっかけになった。いずれにしても、中学1年の子供には「毒」な映画だった。

アン・バンクロフトは「ミセス・ロビンソン役の--」といわれることをあまり好まなかったそうだ。『奇跡の人』の舞台でトニー賞、映画でアカデミー賞をもらっているうえ、他にもいい作品がたくさんあるのだから当然といえば当然だ。

でも、申し訳ないけれど、私にとってアン・バンクロフトはやっぱりミセス・ロビンソンその人だった。きっと今ごろは天国で私のような男を増やしているに違いない。

[ニューヨーク 7日 ロイター] 舞台や映画で幅広く活躍した米女優アン・バンクロフトが6日夜、子宮がんのため入院先のニューヨーク市内の病院で死去した。73歳だった。

 コメディアンで映画監督の夫メル・ブルックスの広報担当者が明らかにした。

 ニューヨーク市内ブロンクスで、イタリア移民の両親の間に生まれる。

 17歳で市内の演劇学校に入学し、アン・マーノの芸名で創成期のテレビに出演。誘いを受けてハリウッドに移り、著名プロデューサーのダリル・ザナックの勧めで、芸名をアン・バンクロフトに変えた。

 役に恵まれずニューヨークに戻った後、「メソッド」で有名なアクターズ・スタジオに学んだ。

 1958年にアーサー・ペン演出の舞台劇「二人でシーソーを」でトニー賞を初受賞。翌年に再びペンが演出を手がけた「奇跡の人」のサリバン先生役が当たり、同賞の2年連続受賞を達成した。

 「奇跡の人」の映画版でも同じ役を演じ、62年にアカデミー主演女優賞を獲得。

 67年には、映画「卒業」のロビンソン夫人役を好演した。

 このほか映画の代表作に「女が愛情に渇くとき」(64年)「愛と喝采の日々」(77年)「アグネス」(85年)など。

 夫ブルックスとの共演作「メル・ブルックスの大脱走」(83)もある。

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ベアテの贈り物

いやあ、しまった、しまった。
ドキュメンタリー映画『ベアテの贈り物』を見るために野村胡堂・あらえびす記念館(紫波町)へ行ったら、なんと財布を忘れて持ってこなかった。幸いロビーに野村晴一館長がいらしたので事情を話し、1000円貸していただいた(後日、拙著を添えてお返しした)。

見応えのある、いい映画だった。
高名なピアニストの娘ベアテ・シロタ・ゴードンは、戦後、新憲法の草案委員会に参加した唯一の女性。映画は、野村胡堂・あらえびす記念館で行なわれたベアテさんの講演を基調に、我が国フェミニズム運動の流れを追った秀作。

ベアテさんは↓こういう方です。

http://www.kashiwashobo.co.jp/new_web/info/beate/beate.html

憲法「改正」(「改悪」)が進行しつつある。その大きな根拠のひとつとして「押しつけられた憲法」という主張がある。
このドキュメンタリー映画のなかでベアテさんは「日本国憲法は誰がつくったのか--人類の叡知がつくった」と語る。
いい言葉だ。アメリカの押しつけ憲法だと主張する人々もこの言葉に謙虚に耳を傾けてほしい。

藤原智子監督のインタビュー↓はこちら。

http://www.mainichi-msn.co.jp/geinou/cinema/cinecom/


ベアテさんのお父上レオ・シロタは、ロシア生まれのユダヤ人ピアニスト。少年時代、パデレフスキーに才能を認められウィーンへ留学。ブゾーニに師事し大きな影響を受けたシロタは、ブゾーニ派ピアニストへと成長する。ウィーンを拠点にヨーロッパで活躍し、若手ピアニストとして名声を博した。その演奏スタイルはヴィルテュオーゾ・タイプと評された。
シベリアを横断し、1928年初来日。山田耕筰と親交を深める。
1931年、東京音楽学校教授に就任し、教育面でもすぐれた才能を発揮した。多くの才能を育み、園田高弘も弟子の一人であった。
戦中は軽井沢に軟禁状態になり、苦しい生活を強いられる。戦後アメリカに移住。後進の指導に当たる一方、リサイタルや放送の活動も続けた。
1963年再来日し、シロタの最後の演奏会が開催された。

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