おかげさまで

『街もりおか』7月号が好評だ。

やはり、座談会があちこちで話題になっている。岩手めんこいテレビの坂口奈央アナウンサー、IBC岩手放送の奥村奈穂美アナウンサー、テレビ岩手の小林ゆり子アナウンサー、岩手朝日テレビの登田真由子アナウンサーによる盛岡談義には、大いに励まされる。盛岡にもっと自信を持て、盛岡弁を使おうなど、われわれモリオカンがちゃんと考えるべきことも多い。

ちなみに、彼女たちが一堂に会するのは初めてのこと。
県外から縁あって盛岡にいらした彼女たちの盛岡、岩手に対する思いの深さ、強さには頭が下がる思いがする。彼女たちは本当に心強い岩手応援団だ。

また、北銀本町支店では朝礼で『街もりおか』が取り上げられたそうだ。 支店長による機転で振り込め詐欺が未然に防がれたことを書いたエッセイが7月号に掲載されているからである。

ぜひ手にとってご覧ください。『街もりおか』7月号はプラザおでって一階のおもてなしプラザで販売しています。

定期購読も受け付けています。
一冊 250円×12ヶ月に送料込みで 一年3800円です。
郵便振替番号02210-9-54909

電話番号&ファクス
019-625-5835

メールアドレス  morinomiyakosya@yahoo.co.jp

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「街もりおか」6月号ができました

「街もりおか」6月号ができました。

小々特集の材木町「よ市」には、地元の方と「よ市」に出店しているベルボさんのエッセイを掲載。
また、渓流釣りエッセイをはじめ、山菜取りの際のクマ対策、盛岡城跡公園の樹木などネイチャーライティングも充実しています。

そして、今月の白眉はIBCの大塚富夫アナウンサーの闘病記です。大塚さんは甲状腺癌を克服し、アナウンスの現場に復帰しました。「街もりおか」でしか読めない内容です。

市内の各地方銀行本店、。花月堂、まつばや、矢巾町駅前のカフェ・アンダンテ、東大通(桜山神社前)のカフェNi-juなどに置いてます。

定期購読も受け付けています。
一冊 250円×12ヶ月に送料込みで 一年3800円です。
郵便振替番号02210-9-54909

電話番号&ファクス
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『街もりおか』5月号出来

街もりおか』5月号が出た。ぼくが編集長をひきついで初めての号だ。
とはいえ、前編集長からひきついだページがほとんどで、ぼくが関わったのは8ページ分にすぎない。
それでも、「新しい風を感じる」と少なからぬ読者の方からの声が届いている。

今号の目玉はなんといっても、「てくり」(女性だけでつくっている盛岡のタウン誌)、「ラ・クラ」(大人のための北東北マガジン)、「tan tan」(雫石町のタウン誌)の各編集長(あるいはスタッフ)が集まった座談会だ。これは前編集長から「『街もりおか』史に残る座談会」と評された。司会をつとめたぼくも自画自賛したいくらいの出来だ。

『街もりおか』は会員店に置いているが、東山堂書店本店で250円で販売している。定期購読も受け付けています。

■定期購読について■
一冊 250円×12ヶ月に送料込みで 一年3800円です。
郵便振替番号02210-9-54909

電話番号&ファクス
019-625-5835

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『禅とオートバイ修理技術』を読む

オートバイに乗るようになって以降に読んだ本のなかで最も強い影響を受けた本が文庫になった。本書と出会っていなければ、『暁のキックスタート 』も『 オートバイ・ライフ 』も生まれなかっただろう。

若干の改訂もされているらしいので、これを機会にまた読んでみようと思う(5度めくらいかな)。

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『ステッキと山高帽』を読む

イギリスで独特の発展の仕方を見せた「ジェントルマン」について論じた力作。

著者は主に文学作品にあらわれたジェントマン像(ジェントルマンについて意図して書いたものもあれば、無意識のうちに書かれたものもある)を資料としているので、 ジェントルマン史から見たイギリス近代文学史としても読むことができる。

階級社会であるイギリスにおいて、貴族であること以上に「ジェントマンであること」が求められた(とうの貴族が、貴族と呼ばれるよりも、ジェントルマンと呼ばれたがった)のは実におもしろい。
それは、貴族の頽廃が招いたことだった。
したがって、ジェントルマンには道徳性が強く求められた。

もっとも、下から這い上がっていったものは道徳性でもってジェントルマンであることを主張したが、一方、家柄のいいものたちは、道徳性だけではジェントマンとして認めようとせず、「血筋」もジェントルマンの資質であると主張した。

両者ともジェントルマンの資質として「富」を高く評価していない点は共通しているかもしれない。お金持ちになることよりも、ジェントルマンになることが大切だった(ただし、ジェントマンの資質として、お金持ちであることは最低限必要だった)。
また、その「富」が先祖代々(3代以上つづいていなければならないそうだ)のものか、商売による成り上がりであるかも問題にされた。

やがて、「富」の使い方がジェントルマンであるか否かを決めるようになった。ノーブリス・オブリージュもそのひとつ。
つまり、外見(家や持ち物や服装)では、もはやジェントルマンか否かは区別できなくなり、その行動に求めるしかなくなっていったわけだ。

以上は18世紀から19世紀にかけてのイギリスの事情である。現代ではもう「ジェントルマンとは」が議論されることはなくなった。
本書では「自由と平等」の社会が、誰もがジェントルマンになることを許したと結論している。

ぼくが思うに、富裕層とそれ以外の人々という単純な社会となった結果、野蛮な拝金主義が広く受け入れられたことも付け加えていいと思う。

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探しもの見つからず

『種の起源』をまた読もうと思って探したが、出てこない。確か岩波文庫で上下巻だったはずだが……いや、青い背表紙の講談社学術文庫だったろうか。いくら探しても出てこない。
これを読んで感動したのは30代半ばのころだった。難しい理系の本という先入観があったのだが、ある意味で思想書、あるいは哲学書のような内容だったことに驚きと感動を覚えた。生きる勇気、生きることの意味などを教わったような気がする。

Amazonで図説版が出ているのを知り、入手した。ちょっと高いが、図が入っているとやはり助かる。

 


一方、紛失したと思って再購入した本がひょっこり出てくることもある。仕舞い方も探し方も下手なんですね。 さらに、昨年は同じ本を購入してしまうことも多々あった。積ん読本を増やすことの弊害である。今年は気をつけたいものだが……。

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『ペダリスト宣言!』正誤表

拙著『ペダリスト宣言!』の誤りを訂正します。
○〔144ページのキャプション〕自転車レーン→歩行者・自転車走行帯
○〔205ページ後ろから7行目〕根底にある「自転車は楽しい~」→根底にあるのは「自転車は楽しい~」

最新の日記は↓です。

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ペダリスト宣言

新刊『ペダリスト宣言!』が出ました。ぼくにとっては『オートバイ・ライフ』 (文春新書 )についで二冊目の新書です。前著ではオートバイの美学を綴りましたが、本書は「自転車は地球を救う」というテーマで書きました。盛岡タイムス「自転車びより」もご参照ください。

自転車で痩せた人』の高千穂遥さんと自転車ツーキニスト疋田智さんが帯に素敵な推薦文を書いてくださいました。心強いかぎりです。

『銀輪の覇者』でミステリーファンと自転車愛好家をうならせた斎藤純さんが、ペダリストであることを宣言された。自転車を愛し、自転車とともに生きる世界を愛する斎藤さんの、これはさわやかかつ真摯な宣言だ。といっても、中身は実に多彩で実用的である。自転車の乗り方から、自転車レースの歴史までもがしっかりと記されている。気軽に手にとり、楽しく読んでいただきたい。 高千穂 遙(作家

自転車乗り(ペダリスト)になるということは、いうなれば「等身大」の良さを知ることだろう。人口30 万人の美しい街、盛岡から届いた斎藤さんの新作は、だから、あくまで等身大で具体的だ。人は「真の自転車の在りよう」を知ることで、足ることを知り、無駄のない暮らしを愉しめるようになる。この本には、無理のないエコ、つまり最上質のエコが詰まっているのだ。疋田 智(自転車ツーキニスト)

 

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野坂昭如著『文壇』を読む

草創期の電波業界でひっぱりだこだった野坂昭如氏が小説家としてデビューし、直木賞を受賞する前後の「時代の空気」が、文壇(主に文壇バーが舞台である)という切り口で綴られている。大変な記憶力にただただ驚くばかりだ。
今の若い作家たちはあまりお酒を飲まないこともあり、ここに描かれているような「文壇」はもはや存在しない。ぼくはかろうじて、その残り香を味わうことができた。

この本に登場する作家に関して、ぼくの個人的体験を記しておく。

■生島治郎氏は麻雀のときに生意気なので「ナマシマ」と呼ばれていた。野坂氏より3つ下で、先に直木賞を受賞。直後、「次はおまえさんだよ」と声をかけられたというエピソードが紹介されている。

野坂氏が心酔していた吉行淳之介の訃報は、その生島さんらと銀座「早苗」で飲んでいるときに知った。どこかの新聞がコメントをとるために生島さんの行きそうなところに片っ端から電話をかけていたのだった。
電話を終えて席に戻ってくるなり、「ひとつの時代が終わったな」とポツリ。

ぼくがニューヨークに行くとき、生島さんから「ジュンちゃん、○○(日本では買えない睡眠誘発剤)を買ってきて」と頼まれた。帰国後、お渡しする とレジ袋からトレンチコートのポケットにブツを移した。レジ袋など持たないのだ。レジ袋を持つくらいなら、トレンチコートのポケットをふくらませたほうが いい、そういう方だった。

■直木賞を先に受賞した五木寛之氏と接近遭遇した後、長部日出雄氏がよってきて「やはり気になりますか」と野坂氏に耳打ち。昔の長部さんはそういう方だったらしい。
ほかにも武勇伝をよく耳にしていたので、初めて新宿の某バーでお会いしたときはなるべく目をあわさないようにしていた。
が、ぼくが岩手出身だと知ると「ぼくが監督をした映画、柴田恭平が主演だったんだが、東北が舞台なのにこんな二枚目は似合わないと評論家にやっつけられた。評論家に君を会わせてやりたいものだ」と隣のスツールに移動してこられ、棟方志功のことなど長話になった。
もう15年も前のこと。そのころはすっかり丸くなっていた。

■残念ながら野坂氏にはお会いしたことも、お見かけしたこともない。接点がひとつだけある。ぼくの『百万ドルの幻聴』が吉川英治新人賞にノミネートさたとき、野坂氏が猛反対され、落ちた。もちろん、恨んでなどおりません。



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『国のない男』を読む

カート・ヴォネガットのエッセイ集で、これが遺作となった。印象に残った文章から、ごく一部を引いておく(本当にこれはごく一部にすぎない。全部のページが強く印象に残っているのだから)。

ヴォネガットはテクロノジーを「進歩」とはみなさない

--「進化」なんてくそくらえ、というのがわたしの意見だ。人間というのは、何かの間違いなのだ。われわれは、この銀河系で唯一の生命あふれるすばらしい惑星をぼろぼろにしてしまった。それも、この百年ほどのお祭り騒ぎにも似た交通手段の発達によって。

--新製品といえば、コンピュータもそうだ。こいつのおかげで、人間は成長できなくなってしまった。ビル・ゲイツはこう言っている。「あなたのコ ンピュータの成長を温かく見守ってやってほしい」しかし、成長しなくてならないのは人間なのだ。ばかなコンピュータなんか放っておけばいい。

--あの破滅的におろかしいヴェトナム戦争のあいだ、音楽はどんどん進化して、すばらしいものになっていった。一方、われわれは戦争に負けた。 (中略)あの戦争は百万長者を億万長者にしただけだった。そして、今日の戦争は億万長者を兆万長者にしている。、いま、わたしはこれを進歩と呼んでいる。

音楽に関連して。

--アフリカ系アメリカ人がまだ奴隷のころに全世界に与えてくれた贈り物はとても貴重だ。この音楽こそ、いまでも多くの外国人がわれわれのことをほんの少しは好きでいてくれる唯一の理由だといってもいい。

ヴォネガットは強烈な反ブッシュだ。そして、アメリカを憂えている。

--本当に教育があって、自分で考える人は、ワシントンDCでは歓迎されない。

--まだ気づいていないかもしれないから言っておこう。われわれはいま世界中の人から、かつてのナチスと同じくらい恐れられ、憎まれている。

ヴォネガットにならって、ぼくからもひとこと。
その国にへつらい、服従を誓った人が日本の首相になっている。


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さようなら、服部まゆみさん

服部まゆみさんの訃報に接し、『一八八八切り裂きジャック』をまっさきに思いうかべた。 ぼくの大好きな作品なのだ

有名な「切り裂きジャック」の史実を扱った、濃厚な時代ミステリだ。エレファントマンなど19世紀当時のロンドンのようすが活写されていて、読み応えがある。この本で犯人とされている人物は、すでに歴史が「シロ」と認めている。
そんなことは服部まゆみさんだって百も承知の上で、この小説をお書きになったのだと思う。結論が史実に反しているにもかかわらず、説得力があるのだから、豪腕というべきだろう。

服部まゆみ。1948年東京出身。1987年、『時のアラベスク』で横溝正史賞受賞。2007年8月16日、肺癌で死去。

ご冥福をお祈りします。

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斎藤純が選ぶ100冊フェア

100 東山堂書店イオン盛岡南ショッピングセンター店で開催中の同フェアのリストができました。写真をクリックして拡大してご覧ください。

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斎藤純が選ぶ100冊フェア

イオン盛岡南ショッピングセンター内東山堂書店で、ぼくが選んだ100冊の本を展示販売するフェエが行なわれています。愛読書、いつも手元に置いている本、読んでいただきたい 推薦書などです。なるべく手に入りやすい文庫本を選びました。小説、ノンフィクション、音楽書、美術書などジャンルは多岐にわたります。
20460888_230 専門書のなかには高価なものもありますが、この機会に手にとってご覧ください。

小説を100冊選ぶなら楽だったかもしれませんが、あらゆるジャンルから選んだので、思ったよりも絞りこむ作業が大変でした。品切れ・絶版の書籍は除外したため、入れられなかった本がたくさんあることに驚きました。たとえば、中村とうよう氏の音楽書や片岡義男さんのオートバイ小説、それになんと五木寛之氏の『戒厳令の夜』もは今は入手できません。これはとても寂しいことです。

クラシックの音楽書の寿命が短いことも今回知りました。クラシックは長く聴かれる音楽なのですから、関連した音楽書も長く出しつづけてほしいものです。

それはともかく、100冊を選ぶというだけなら雑誌などの企画でもありがちですが、リストアップした書籍を実際に揃えて見せるということはなかなかないことです。とても珍しく、画期的だと思い、協力したしだいです。陳列棚に飾られている水彩画も恥ずかしながら、ぼくが描いたものです。

『斎藤純が選ぶ100冊フェア』は8月末まで開催している予定です。お時間のあるときにお寄りいただければ幸いです。

これのCD版、どこかで企画しないかなあ。ジャズ、ロック、クラシックなどオールジャンルから100枚を選ぶ--だけど、これは時間がかかりそうだから、よほど覚悟しないと引き受けられませんね。危なく自分で自分の首を絞めるところでした。

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『ゴッホは欺く』を読む

絵画が絡むミステリーは、どうしても蘊蓄が多くなりがちだが、さすがにアーチャーはツボを心得ている。蘊蓄は最小限かつ効果的に、そしてサスペンスに重きを置いて物語をスピーディに進める。

決して目新しさはない。先が見える展開なのに、グイグイ読ませるのはアーチャーならでは、である。

しかし、我々はすでに『大統領に知らせますか』のジェフリー・アーチャーを知っている。これがほかの誰かの作品だったら、手放しに褒めることもできたのだが。

この作品の長所は(アーチャーの作品はどれもそうだが)脇役に魅力的な人物が配されていることだ。だが、それが欠点にもつながっている。脇役が魅力的すぎるため、主人公の影がちょっと薄い。アーチャーは主人公の人物造形にもう少し筆を費やすべきだったと思う。

とはいえ、一級のエンタテインメントであり、読んで後悔することはない。

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『フーコーの振り子』を読む

購入時には読みだしてすぐに挫折した『フーコーの振り子』を、改めて読んだ。今回は面白くてどんどん引き寄せられた。いえ、書いてあることの半分も理解していませんけど(爆)。

これを読んでいるときの幻惑されるような陶酔感は、ウィリアム・ギブスンの『ニューロマンサー』を読んだときのことを思いださせた。全然違う小説なのにネ。

主人公が「生まれはミラノでも、先祖はれっきとしたヴァルダオスタの出身なんですからね」というセリフがある。

そうか、ヴァッレ・ダオスタはイタリア国内ではそういう風土として受け入れられているのか。4年前の真冬に訪れた、あの谷間のまちアオスタ市のことが懐かしく思いかえされた。

それはともかく、この本から『ダ・ヴィンチ・コード』と『風の影』が生まれた……と言っては言い過ぎだろうか。

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「ロベルトの日曜日」を読む

作曲家の諸井誠が、自身の尺八体験を「ロベルト」という架空の人物を通して描いた傑作。
ぼくは「沈みゆく調べ」を書くときに、この本で尺八に関する基礎知識を得た(純邦楽の方が書かれた本よりもわかりやすかった)。

品切れ(絶版?)になっているが、こういう本が読まれないのは残念だ。ぼくは、「無伴奏フルートよりも精神性が高いじゃないか」と西洋音楽を入口として尺八に入ったのだが、おそらく、多くの方が純邦楽を耳にする機会よりもクラシックを聴く機会を豊富に持っているだろう。本来、逆であるほうが望ましい。こういう状況だからこそ、この本は必要なのだが。

音楽書とはいえ、「読み物」(文学と言い換えてもいい)としてのレベルも高い。尺八や尺八を用いた現代音楽に興味がなくても、この本は面白く読める。
それにしても、こういう文章を書ける音楽家がめっきり少なくなった。
 

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風は盛岡へ

60a 今週の月曜日、新井満さんの新曲『ふるさとの山に向かいて』のレコーディングが、石川啄木記念館で行なわれた(盛岡タイムスの記事をご参照ください)。子供たちの歌声を聴いていると、なぜか涙が溢れてきてたまらなかった。

この曲はNHK-FMのラジオ深夜便でも毎日かかる。盛岡ブランドの大きなひとつになるような気がする。

同じ日、NHK朝の連続ドラマ『どんど晴れ』がはじまった。初回は最低視聴率を記録したそうだが、再放送を観たり、BSで観たりする人が増えているせいだろう。それに、この数値は関西・関東のものだ。岩手県では桁違いの視聴率を記録したに違いない。

ただ、放送を開始して間もないのに、もう「あそこがおかしい」とか「変な盛岡弁」という声が聞こえてきている。ま、それはそうだが、大きな目で見守ってあげるべきだろう。これはあくまでもドラマであって、リアルな盛岡を描くことは目的としていない。それは、『どんど晴れ』なんて、われわれモリオカンが使っていない(したがって、東京の方から「どういう意味なの?」と訊かれるたびに困惑する)造語をタイトルにしていることからも明らかだ。

ぼくはテレビをあまり観ないので、ドラマの出来については何とも言えないが、これをきっかけに盛岡の知名度が上がり、ブランド価値が高まることを期待している。

今年はしょっぱなに盛岡商業高校が全国高校サッカーで初優勝するという快挙でスタートしている。風は盛岡に吹いている。

60b そうそう、月刊『遊歩人』が盛岡を特集しているので、ぜひ手にとっていただきたい。書店以外でもパソコンで、あるいはオンデマンド で入手できる。

追記:東山堂書店から「1、000円以上お買い上げの方で、ご希望があれば無料でさしあげます」というお知らせがありました。全店で展開ですが、先着100名さまとのことです。

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アイルランド本を読む

司馬遼太郎著『街道をゆく 愛蘭土』のIとII合わせて、およそ10年ぶりに再読した。アイルランドに関してこちらの知識も増えていることと、年齢を重ねたせいもあって、前に読んだときよりいっそう面白く読めた。

司馬遼太郎の紀行文はいずれもそうだが、まず訪れる土地への愛がある。期待が外れたときは、正直にそのことを書く(ただし、うまくオブラートに包んで)。

アイルランドへの司馬遼太郎の愛は相当なものだ。その思いがしみじみと伝わってくる(オランダ紀行からも深い愛情を感じる)。

ところで、旺盛な知識欲と豊かな感受性の持ち主でありながら、しばしば音楽に弱いと吐露されている。意外な一面だが、どうも謙遜のような気がする。パブでの演奏の描写など、音楽が苦手とはとても思えない。

上記を多分に意識した(と著者本人が記している)高橋哲雄著『アイルランド歴史紀行は、数あるアイルランド本のなかでも出色の一冊だ。 なにしろ、話題が映画、文学、小説、酒、音楽と豊富だ。ツボにハマる話題ばかりで、大いに楽しみつつ、アイルランドについて学ぶことができた。

時系列に史実を並べた歴史書とは違って、こんにちとの関わりから話を進めていく手法がとられているので、とてもわかりやすい。 風土と民俗もよくまとめられている。余談の部類だが、理知的な合理主義者ホームズを生んだコナン・ドイルが子供だましの妖精写真にひっかかった背景など、「そうだったのか」と思わず声を上げてしまった。

ただ、残念なことに本書は現在入手できない。復刊するべき一冊だと思う。

近藤耕人著『アイルランド幻想紀行』は上記2タイトルとは大きく趣を異にする。アイルランドの歴史や風土について勉強しようという目的に本書はこたえてくれないかもしれないが、かの国の空気をよく伝えてくれる。ちょっと小説のような印象も受ける。読みながら山田稔著『コーマルタン界隈』を何度か連想した(決して似ているわけではないのだけれど)。

これらの本を読みながら、やはりぼくは頭のどこかで「アイルランドはヨーロッパの東北だ」と思いつづけている。

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立原道造 盛岡ノート

待ち望んでいた立原道造「盛岡ノート」が再刊された。

立原道造は1938(昭和13)年9月から10月まで盛岡の画家・深沢紅子の別荘に滞在した。そのときの「東北旅行」を綴ったノートがこれだ。
この本は昭和53年に第1版第1刷が発行されている。そのいきさつはこの本の解説に記されている。

Photo_4 「盛岡ノート」は作品化する以前の素描だ。だから、あるいは天国の立原は読まれるのを好まないかもしれない。けれども、ぼくたちにとっては、立原の飾らない言葉に触れることができる素敵な本だ。研究家にとって一級の資料(レオナルド・ダ・ヴィンチの手稿がそうであるように)といえるだろうし、未完成とはいえ、上質な文学作品でもある(宮沢賢治の多くの作品がそうであるように)。

立原道造が「僕の愛したちいさな町」と、盛岡のことを書き残してくれたことに改めて感謝したい。

立原道造「盛岡ノート」

発行日:再刊 第1版第1刷 平成19年1月27日

発行:盛岡ノート刊行委員会(代表池田克典)

出版:株式会社東山堂

印刷:株式会社杜陵印刷

定価:980円

付録の地図も便利だ。これから「盛岡ノート」を手に、散歩をしてこようと思っている。

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『エコシフト』を読む

近年読んだ本の中で、これほどワクワクさせてくれたものはない。
著者はコピーライターで、プロパーの環境運動家ではない。我々に最も近い立場の方が書いた、環境読本である。したがって、とても読みやすく(コピーライターは「たくさんの人に読んでもらう」文章修行を積んでいる)、説教臭くなく、どこかお洒落で(これが大切だ)、しかも内容は濃く、本物だ。

著者自身の言葉を借りるならエコシフトとは〈人類の生き残りをかけて、人々の認識を変え、社会のしくみや政事のしくみやメディアのしくみを変え、経済のしくみを変えること〉をいう。

著者が関わったさまざまな事例が挙げられているが、「意思表示する→世論を動かす→政策を動かす」という狙いが一貫している。巷間にぎわせたホワイトバンドに対する批判も、この本を読めば、いかに的外れだったかがよくわかる。

ぼくは『オートバイ・ライフ』の中で、オートバイ乗りが意識すべき環境問題についてページを割いた。そこで言いたかったのは、「自分に不都合な情報に目をそむけてはならない」ということだった(これはゴア元副大統領の映画『不都合な真実』というタイトルとも一致する)。

『100万人のキャンドルナイト』を立ち上げるときのようすも書かれている。ぼくは2003年(つまり、第一回)から盛岡のキャンドルナイト実行委員会をつとめてきたので、著者とはどこかでつながっていたことになる。本書にも登場する辻信一さんは一昨年の冬のキャンドルナイトにゲストとしてお招きしている。

キャンドルナイトのシンボルマークをつくったのが葛西薫さんだったということも本書で知った。ぼくの『夜の森番たち』の装丁をしてくださった方だ。ここでもつながっていた。

ぼくが著者から受け取った最大のメッセージは〈政治は嫌だからといって、お休みできるものではありません。政治をお休みすると、それはほかの人への委任になって、そしてそれはたいてい一番嫌な人への委任になってしまい、ますます嫌だなあという方向へひっぱられていきます。それはもうその時点で「裏切られても文句が言えない」ということになります〉という「あとがき」の言葉だ。

2003年、夏。市民団体に推されて、ぼくは市長選に出馬した。そのとき、市政に対する自分の考えと同じくらい強く「投票に行ってください。ぼくに市政をまかせるわけにはいかないという方もその声をちゃんと反映させるために投票所に足を運んでください」とアピールした。一人でも多くの方に政治に参加してもらいたいと思ったからだ。

で、あちこちから「今年はどうするのか」と尋ねられるので、この際、はっきり申し上げておきたい(すでに岩手日報の取材に「出る意志はない」と応え、記事にもなっているのに)。

現在、ぼくは盛岡市行財政構造改革推進委員として、微力ながら市政のお手伝いをしている。所属する文化地層研究会では「まちづくり」を含めた「おもしろい盛岡」を掘り起こす活動をおこなっている。また、盛岡自転車会議の代表として、中心市街地活性化などの「まちづくり」を視野に入れた交通問題に、他の市民団体や岩手大学、岩手県立大学などと共同して取り組んでいる。

今年はこれらの活動をさらに充実させていきたいと思っている。だから、選挙ではこれらの取り組みを理解し、応援してくださる方の裏方としてバックアップしていくつもりだ。

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さいとうじゅん氏と会いました

まったく書いた覚えのない文章を褒められたことがある。それも、一度や二度ではなかった。

同姓同名で、年齢も近く、しかも盛岡出身のネイチャーライター(自然をフィールドにした環境文学の書き手)がいるらしいと気がついたのは8年ほど前だったろうか。その後、斎藤潤さんという存在を知った。

間違われるたびに(あるいは、褒められるたびに)「あちらは東大出身の秀才、こっちはしがない三文小説家」と、別人であることを説明してきた。

もう一人の「さいとうじゅん」さんにいつか会えるだろう、と思っていた。そして、先日、ようやくそれが実現した。

あるシンポジウムのゲストとして斎藤潤さんが盛岡にいらっしゃった。ほんの十数分だけお話する機会があった(みちのく国際ミステリー映画祭の最中だったため、ぼくも時間の余裕がなかった)。

「会えるだろうと思ってました」と、斎藤潤さんもおっしゃっていた。で、もう一人ネイチャーライティングをやっている斎藤潤さんがいるのだそうだ。

「だから、こっちはなおさらややこしいんです。原稿料が間違って振り込まれたり……」

それは、ぼくも実は経験がある。宮沢賢治の研究家に「斎藤純」先生がいるのだ。その先生の原稿料がぼくの口座に入っていた。黙ってもらってようかと思ったが、気が小さいので、ちゃんと出版社にお返しした。

ほかに有名なファッションデザイナーの斎藤純さんがいるし、大活躍中のジャズドラマーの斎藤純さんがいる。

いつか「さいとうじゅん」が集まってサミットを開いたら、面白いかもしれない。

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「新撰組血風録」を読む

日本で唯一の文士劇が、岩手県盛岡市でおこなわれている。今年は浅田次郎氏、北方謙三氏、井沢元彦氏、内館牧子氏が特別出演する。もちろん、地元の高橋克彦氏、北上秋彦氏、それにぼくも例年通り出演する。場所はいつもの盛岡劇場(12月2~3日にかけて全4公演)。

だしものは「新撰組(全六場)」である。ぼくの役は槍の使い手として名を馳せた原田佐之介。勉強のために司馬遼太郎著「新撰組血風録」を手に取った。

本当は「燃えよ、剣」を読みたいのだが、時間がないのと演出家の浅沼久さんの「狙い」を理解するためにもこっちを読むことにした。

浅沼さんが「この芝居の鍵は六十年代安保の熱気だ」とお話ししていた。本書を読めば、その意味がわかる。なにしろ、粛清につぐ粛清である。薩長の志士よりも、身内で殺し合っているほうが多いのではないか、と思わせるほどの粛清が描かれている。 これを読んで、かつて学生運動末期に見られた内ゲバを連想しない人はいないだろう。

近藤勇、土方歳三らはもともと武家の出ではない。それゆえ、「武士らしさ」に強くこだわり、厳しい規律を重んじた。それが「粛清」という形になった。

歴史音痴のぼくがこんなことを言うのもなんだが、武士という権力の形に拘泥した新撰組は、まさに滅びゆく側の象徴だった。もっとも、薩長にしても、維新後のありさまを見れば(ごく一部の人物を除いて)新時代の象徴とは言い難い。だから、 同じ穴のムジナが血を流しあったにすぎないという印象をぼくは持っている。ま、戦争とはそういうものだろう(こんにちの中東対ブッシュ・アメリカも同じだ)。

ところで、司馬遼太郎も別のところで盛んに書いているように、維新後の新時代をリードするのは、原敬に代表されるように、「負け」て「賊軍」とされた東北から続々とあらわれた人材だった。新撰組を演じる前に、そのことに一時思いをはせた。

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『鉛筆と人間』を読む

外出の際、鉛筆を持つことが多い。美術館や博物館ではボールペンや万年筆などインクを用いた筆記具の使用が禁じられているため、メモをとるのに鉛筆が必要だからだ。

鉛筆は字を書くだけではなく、絵も描ける(ゴッホの鉛筆画は目眩がするほほど素晴らしい)。消しゴムで消すこともができるのに、それでいて、けっこうしぶとく残る。あたりまえのことなので見逃されがちだが、すごいことだと思う。

ところで、鉛筆を使っていて、ふと疑問に思った。

鉛筆の芯って、素材は何なの?
鉛筆はいつから六角形になったのか?
そもそも、我々はいつから鉛筆を使いだしたのか?

鉛筆の歴史はもちろん、鉛筆に関するさまざまなエピソードを集めた本が『鉛筆と人間』だ。これを読むまで、鉛筆の芯はある種の炭だと思っていたのだが、違いました。『森の生活』のソローの実家が鉛筆製造業者だったなんてこともこの本で知った。

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北東北エリアマガジン「ラクラ」9月号発売中

「ラクラ」vol.5では、萬鉄五郎記念美術館や寺山修司記念館など小さなミュージアムが、巻頭カラー特集で紹介されています。

好評の連載エッセイで、椎名誠さんは高校野球の岩手予選(宮古北vs盛岡南」)のことなどをお書きになっています。ぼくは弘前散策の後編として、津軽三味線のことを書いてます。

今月もますますクォリティの高いローカルマガジンに仕上がっています。ぜひ手にとってご覧ください。コンビニと大きな書店で扱っています。

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篠崎 史紀著『ルフトパウゼ―ウィーンの風に吹かれて』を読む

ぼくはNHK交響楽団のファンだ。岩手にいるのでコンサートにはなかなか行けないが、NHK-FMが放送する定期公演の生中継はほぼ欠かさず聴いている。

N響は特にストリングセクションが秀逸だと思う。

が、クラシックファンにそう言うと、怪訝な顔をされることが少なくない。クセがなくて、面白くないというのだ。ぼくの好きなストリングセクションのことも「水の味はその土地によって違う。でも、N響の弦はまるで蒸留水のように味気がない」という。ぼくはその蒸留水のようなサウンドが好きなのに、評価というのは人によってこうも変わる。

本書はそのN響をひっぱるコンサートマスター(第一ヴァイオリンの一番前の手前にいる方、演奏の前後に指揮者と握手を交わす人ですね)篠崎 史紀氏が書かれた本だ。

ここで「N響をひっぱる」と書いたが、冒頭、著者によってこの見方はあっさり覆される。では、コンサートマスターの役割は何なのか。それは本書を手にとってご覧いただきたい。

N響でのコンマスの役割を紹介しつつ、同僚が読むことを充分に意識し、発奮を促している。本音を垣間見ることができ、面白い。

指揮者について書いているところも興味深く読んだ。しかし、責任の違いか(性格の違いか)、同じN響のヴァイオリニストによる「ヴァイオリニストは肩が凝る」ほどの思い切りのよさはない。だが、それはこの本全体のトーンなので、欠点というわけではない。

モーツァルトの音楽とウィーンでの暮らしを書いたIII、IV章は音楽書として再読、再々読に値する。

ホール運営者の見識のなさなど、これまで再三指摘されてきたことが本書でも触れられているが、残念ながら、そういうマズい公共ホール運営者は決してこの種の本を手にとらないだろう。

ところで、著者は音楽監督のアシュケナージ氏を高く評価しているが、もう他の方に代わるという噂がある。

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『 バイオリニストは肩が凝る―鶴我裕子のN響日記』を読む

NHK交響楽団の第一ヴァイオリン(舞台に向かって左側の手前2列ですね)に所属する鶴我裕子氏のエッセイ集。

久々に面白い音楽書を読んだ。
切れのいい文章で、オーケストラと指揮者の関係などが本音丸出しで書かれている。3箇所で泣き、19箇所で(声を出して)笑った。ニンマリは数えきれず 。
鶴我さんにはもっとたくさん書いていただき、第二弾、第三弾を上梓してほしい。

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『誰も知らなかった英国流ウォーキングの秘密』を読む

いい本なのに、「英国かぶれ」風のタイトルで損をしている。著者は決して「英国礼賛」などしていない。学ぶべきところは学び、そうではないところでは首をかしげ、言うべきところではきっぱりと「嫌いだ」、「おかしい」とおっしゃる。

というわけで、フットパス(英国独特の遊歩道)の歩き方の入門書としてだけでなく、「歩く」ことを文化として捉え、日英独の比較文化論としても読める。

市街地や中間山村地の活性化へのヒントもこの本にはあると思った。

著者は写真も趣味にされているのに、写真が少ないのが残念だった。口絵カラーだけでなく、本文中にもモノクロでいいので、もっと写真がほしかった。

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『サイクリング・ブルース』を読む

盛岡タイムスに連載中のコラム「自転車びより」で、忌野清志郎著『サイクリング・ブルース』(小学館)を紹介しています。

一日も早く、元気な姿を見せてほしい。

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『河鍋暁斎』を読む

明治のお雇い外国人コンドル(上野博物館、鹿鳴館、ニコライ堂、旧岩崎邸などを設計、岩手銀行や東京駅舎を設計した辰野金吾らを育てた)が、河鍋暁斎の弟子だったことをこの本で知った。

英国人が書いたのだから、オリエンタリズムに満ちているのだろうと思いきや、まったくそうではない。
東洋的神秘(という言い方がオリエンタリズムという気がしないでもないけど)を西洋的合理主義で記録した本書は、河鍋暁斎のみならず、日本画を制作したり、鑑賞したりするうえで大いに役立つ。

お雇い外国人の多くがサッサと日本を引き上げたのに対して、コンドルは没するまで日本に居座った。そして、洋風建築ばかりか、こんな素晴らしい本まで残してくれた。感謝してもしきれない。

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『聴く鏡』を読む

オーディオとジャズの世界で、岩手県一関市のジャズ喫茶ベイシーのことを知らない人はいません。本書は菅原正二さんの『ジャズ喫茶ベイシーの選択』に続く待望の第2作です。

が、本書はただのジャズ/オーディオ本ではありません。もちろん、ジャズ/オーディオ本としても超一流ですが、前著同様、随所に鋭い文明批評が散らばっており、生き方の指南に満ちています。これを名著といわずして何といいましょうか。

クラシックが小物評論家による「演奏批評」に終始し、狭い領域から抜けだせないまま落ち目に向かっている今、ジャズは、小さく狭いかもしれないけれど、確かな成熟をもたらした。本書にそれが集約されています。

前著では〈今はまずいものを年中食える便利な世の中になった〉と現代社会を斬ってみせた。この感性は少しも衰えず、ますます進化(深化)し、本書では〈30年以上もたないものを、ぼくはモノとして基本的に認めないことにした〉と言い切る。痛快ですね。日ごろ、ぼくも「10年もたないものを売ったり買ったりしてるようじゃ駄目ね」と言ってるのだが、菅原さんは「30年」である。「壊れタイマー付き」などと揶揄されるソ〇ーの社員にこそ読んでいただきたいものです。全編、この精神がバックボーンにあるように思いました。

オーディオに関して、ぼくはメカニズムには興味がありませんが、出てくる音については多少ウルさいかもしれません。といっても、「紙が素材のスピーカーから、どうしてシンバルやハイハットの金属音が出るのか」不思議がっているというレベルですが。

ところで、菅原さんはあちこちに出かけません。職業柄、そうなのです。ところが、全国から(いや、世界から)菅原さんのところにいろいろな方がやってきます。
こちらから訪ねるのではなく、「いながらにして、大切な人を引き寄せる」のが菅原さん流です。これを菅原さんは「(イスラム原理主義ならぬ)居座る原理主義」(危ない!)と称しています。

「国家の品格」よりも、こういう本にぼくは共鳴します。

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『スロー快楽主義宣言』を読む

自分がやってきたことが(大きくは)間違っていなかった、と励ましてくれる本でした。
辻さんと実際にお会いして、そのお人柄にも惚れました(そのとき、『ブラックミュージックさえあれば』の辻信一さんと同一人物であることを知って、いやあ、驚いたの何の。全然結びついてなかったのです)。

『スロー・イズ・ビューティフル』がちょっと難しかったという方でも、この本ならとっつきやすいでしょう。

ロハスがしょせんマーケティング用語であるのに対して、辻さんのスローやハチドリ計画は腰のすわった活動です。及ばずながら、ぼくも実践しています。

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盛岡タイムスの自転車びより

盛岡タイムスに連載しているコラム「自転車びより」がWEB盛岡タイムスのコンテンツになり、バックナンバーも簡単に読めるようになりました。

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『こぐこぐ自転車』を読む

昨日に続いて自転車本の紹介です。
「年寄りの独り言を金出してまで読む気が知れない」と、ぼくの知人は言うのだが、そういうのが好きなんだからしようがない。
なにしろ、『ヘンリ・ライクロフトの手記』なんてのが愛読書なのだから。

老人というのは、偏屈か、ものわかりがいいかのどっちかだと思っていたら、古希をまたいで自転車に熱中しはじめたという著者はそのバランスが絶妙だ。毒もたっぷり含んでいるのだが、厭味がない。ユーモアという知性で包んでいるからだが、ま、要するに「人生の余裕」でもって書き上げた逸品ですね。

文章もまったく力みがなく、読みやすい。軽いけれど、決して軽薄ではない。タダモノではないな、と思ったら、なんと伊藤整のご子息なのだそうだ(この本ではそんなことはおくびにも出されていない)。

本書に出てくる多摩川サイクリングロードはぼくもずいぶん走ったので、懐かしく読んだ。また、著者が北海道のホテルで経験した自転車差別(自転車と自転車乗りを邪