ツーリング専門誌アウトライダーに3回(vol10~12)にわたって「イーハトーヴォをスーパーカブで味わう」を連載した。岩手のそこかしこに残る宮澤賢治の足跡(そのごく一部だが)をスーパーカブでツーリングした紀行文だ。
これに対して、「なぜ、スーパーカブなのか」という声が寄せられた。アウトライダー本誌でも触れているので重複(ちょうふく)するが、改めて「なぜ、スーパーカブなのか」を考えてみたい。
スーパーカブが誕生したのは今から半世紀も前のことだ。その当時、日本では自動車がまだ高嶺の花だったので、それに代わる乗物としてスーパーカブは大いに人気を博した(今、アジア諸国で当時の日本と同じ現象が起きている)。
一家族あたりの自動車保有台数が自転車の保有台数を上回った現在、もうスーパーカブの時代ではなかろうと思うのに、実際にはまだまだ売れつづけているし、「新しい」と感じさせるものも持っている。
いったい、なぜだろうか。
スーパーカブは基本設計や外観こそ発売当時とあまり変わってないが、実はエンジンをはじめとして各部に先進技術が導入されている。その結果、スーパーカブの実用燃費は、自動車の流れと同じように走って一リッターあたり40キロから50キロにもなる。そのうえ車検もないし、任意保険も自動車のファミリー特約に加入できるので安く上がる。基本的な整備は自転車と同じ工具を使って自分でできる。駐車場代もかからない。しかも、耐久性が高くてなかなか壊れないから、寿命がとても長い。使い捨ての大量消費社会にあって、こういう工業製品は希有である。何かひとつ手にいれるとさらに別のものを、あるいはさらに大きなものを手に入れないと気がすまない。そういう欲望が現代社会を支えているなかにあって、スーパーカブという存在それ自体が、これに対するアンチテーゼでもある。
このようにズバ抜けて経済的でエコロジカルなスーパーカブは、きわめて現代的な乗物といっていい。役割を終えたかのように見えるスーパーカブが今も売れつづけている理由はこの経済性と質実剛健さにあるのではないだろうか。
実用一点張りのスーパーカブだが、これで北海道ツーリングや日本一周をなしとげている人たちもたくさんいる。つまり、ちょっとした冒険にも充分に応えるだけの能力を持っている。私自身、荷物を積んで種山ケ原にキャンプに行き、「けっこうやるじゃないか」と感心した。スーパーカブと過ごしていると「足るを知る」ということを教わる。
ところで、スーパーカブには排気量50ccの原付一種と、90ccの原付二種があり、私のは後者である。前者は普通自動車免許を持っていれば乗ることができるものの、最高速度30キロと定められているし、二車線以上の交差点では二段階に分けて右折しなければならない。一方、後者は小型自動二輪免許を必要とするが、自動車と同じ最高速度で走れるし、もちろん交差点も自動車と同じように右折できる。ただし、高速道路や自動車専用道路は通行できない。
カタログによれば、スーパーカブ50の燃費は、始動がキックのみで3段リターン変速機のスタンダードおよびデラックスがリッターあたり130キロ。セルモーターを装備し、その分重量が増加しているにもかかわらず4段リターン変速機を持つカスタムがリッターあたり(なんと!)146キロとなっている。
で、スーパーカブ90はセル付きもキックなしも同じで、リッターあたり60キロだ。50と90では倍以上のひらきがある(要するに90のほうが倍以上、燃費が悪いことになる)。これだけを見ると、50に比べて90はずいぶん経済性が悪い。
ところが、カタログデータというのは、平坦なコースを加減速せずに原付一種の場合は法定速度30キロ、原付二種は同60キロの定速走行で出した数値だから実際とは隔たりがある。 私の場合、平均してリッター45キロくらい走る。知人が50に乗っていて、私の90とほぼ同じ燃費だ。
セル無しの90を選んだのは、セル付きだとライトとウィンカーが角形になってしまうからだ。スーパーカブには丸型ライトが似合うから、見た目を優先してセルを切り捨てた(セル付きのカスタムは、角形ライトを採用することで高級感を出そうとしたようだが、逆に安っぽく見える)。
私はオートバイにあまり手を入れないタチなのだが、スーパーカブ乗りの先輩の薦めもあって、ライディングポジションに柔軟性があるダブルシートに交換し、ヘルメットを収容できるサイズのトップケース(GIVI製)をリアキャリアに装備した。また、レッグシールドの内側にメッシュインナーラックを付けた。これは、地図や飲み物を入れるのにとても便利で重宝している。
納車してすぐ、盛岡市南郊の田園地帯をスーパーカブで訪れた。
農道で地元の農家の人のスーパーカブとすれ違いざま、なんとなく頭をぺこんと下げて挨拶をした。青々とした田圃の向こうに濃い緑の紫波連山が美しい。反対側に目をやると、早池峰山の神々しい頂きが彼方にあった。
私にとってスーパーカブは懐かしい乗物でもある。十代のころ、親戚のスーパーカブに悪戯をして乗り、運転を誤って生け垣に突っ込んでしまったことが思いだされた。私は『オートバイ・ライフ』というオートバイ入門書などを書いたりしているが、原点はスーパーカブだったのだ。
追記:2007年5月惜別。
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