石神の丘から
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今年は伊福部昭の生誕100年。『ゴジラ』のテーマがあまりにも有名なため、逆に損をしていると思う。かくいう私も2枚しか持っていないのだが……。
伊福部は音楽の専門教育を受けていない。専門は林学で、森林管理の仕事についていた。私が伊福部を信頼するのは、そういうバックボーンを持つ人の音楽が好きだからだ。宮沢賢治も生きていれば、きっと伊福部のファンになっていたに違いない。
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バッハの『フーガの技法』についてはこれまでにもこのブログなどに書いてきた。
バッハが残した楽譜では楽器が指定されていないため、チェンバロによるもの、ピアノによるもの、ギターの多重録音によるもの、古楽アンサンブルによるもの、4本のヴィオラ・ダ・ガンバによるものなどなどがあり、それぞれ楽しく聴いている。
この曲には日本人が持っている(あるいは、求めている)「侘、寂」あるいは「渋み、悟り」に重なるものがある。
その感覚を最も感じさせる演奏はジュリアード弦楽四重奏団によるCDだ。
縁起でもないといわれそうだが、私の葬儀にはジュリアード弦楽四重奏団による『フーガの技法』を流してもらいたいと思っていた。が、今は違う。葬儀不要と遺言することにしたから。
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ブラームスのチェロ・ソナタ集を聴いている。
懐かしい。
これは私がクラシックを本格的に聴き始めた1995年(38歳のとき)に買った。後に、小澤征爾・ロストロポーヴィチ/コンサートキャラバンで、親しく言葉を交わさせていただくことになろうとは夢にも思っていなかった。
コンサート・キャラバンと併せて、ロストロポーヴィチの実演は3度接した(回数でいうとキャラバンでは5~7回聴いた)。ルドルフ・ゼルキンの実演は残念ながら聴いていない。
ちなみに、子息のピーター・ゼルキンの演奏は2011年のサイトウキネン音楽祭(松本市)で聴いた。ピーターはルドルフに反抗し、ルドルフも手におえず、小澤征爾氏に「預けた」格好になったのだった。
さて、この一番は、「亡くなった母への追慕や悲しみ」の思いが反映されていると昔はいわれていたが、クララ・シューマンの手紙が見つかって以降は、ブラームスのクララへの想いと悩みが切々と告白されているものと理解されている。
ロストロポーヴィチの演奏はその切なさをよく伝えてくれる。
二番も、年齢を重ねるとともに逆に若返っていくブラームスらしい作品だ。二人の名演奏家がお互いの音を楽しみ、尊重しあって極上の名演奏を聴かせてくれる。
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諸井誠さんの作品を通して日本の伝統楽器である尺八の魅力を知り、ご著書『ロベルトの日曜日』で尺八のことを学んだ。また、会長をつとめられていたアルバン・ベルク協会の会報もひところ熱心に読んだものだ。
国内作曲界の重鎮の諸井誠(もろい・まこと)さんが2日午前3時36分、間質性肺炎で死去した。
82歳だった。告別式は近親者で行う。喪主は妻、登美子さん。
東京都出身。戦前から活躍した作曲家、諸井三郎の二男。東京音楽学校(現東京芸大)で池内友次郎に師事。日本初の本格的な電子音楽に挑んだり、尺八など邦楽器を大胆に採り入れ、独自の作風で高い評価を確立した。代表作に二つの「協奏交響曲」や、尺八のための「竹籟(ちくらい)五章」など。
音楽評論も手掛け、主著に「ロベルトの日曜日」「音楽の現代史」など。彩の国さいたま芸術劇場館長も務めた。1995年、紫綬褒章。兄は太平洋セメント特別顧問だった故・諸井虔氏。
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昨日は石神の丘美術館で「室内楽の夕べ」があった。
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